映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

朱と緑 (朱の巻)(緑の巻) - 島津保次郎 -

2017年03月15日 11時32分25秒 | 邦画その他
『朱と緑』(朱の巻)(緑の巻) 1937年

監督  島津保次郎
原作  片岡鉄兵
脚本  池田忠雄
撮影  生方敏夫
美術  金須孝
音楽  早乙女光

出演
戸山  上原謙
千晶  高杉早苗
雪枝  高峰三枝子
    東日出子
    奈良真養
    岡村文子
清三  佐分利信
    河村黎吉
    水島亮太郎
    武田秀雄
    藤野秀夫


心で結びついた男女.男女の関係では当たり前のことなのだけど、好きな心で結びついた男女.これが『緑』.
お金で結びついた男女.これまた男女の関係では良くあることで、心の裏側を覗くと、たいていは嫌い.これが『朱』.

作品全体に何が描かれるかと言えば、お金で結びついた男女であり、嫌いな心ばかりが描かれていると言って良く、言葉を変えれば『お金』、『嫌い』が旋律(背景)として描かれていると言える.
こう考えて、課題とは何かを考えれば、それは『好き』、人を好きになるとはどの様なことなのか、と言うことになるのだが.....

清三と千晶の事件
ダンスパーティで知り合った二人は、夜の海岸を散歩した.闇夜の寂しい夜で、清三は千晶に頬付けをしたが、千晶は咎めなかった.二人ともどこか寂しい感情に陥っていたせいであろうと千晶は証言した.なんとなく、成り行きでそうなってしまった、と.
ある日、千晶が自分に恋愛感情を抱いているはずと思い込んだ清三は、千晶の部屋に忍び込んで来た.おおよそ30分ほど話したようだが、千晶は清三に『自分はあなたを好きではない』とはっきり言い、清三もまたそれを理解したようだ.清三は『想い出に写真を欲しい』と言ったらしいが、写真を渡したくなかった千晶は、写真に見せかけて封筒に入れたお金を渡したのだった.『お金と知っていれば、彼は受け取らなかったであろう』と彼女は証言した.

雪枝と千晶の父親
戸山に失恋した雪枝は焼けになり、競馬にのめり込んで、最後は戸山から盗んだお金を競馬ですってしまった.お金を盗んだ彼女は家には帰れず、競馬場で出会った千晶の父親に誘われるままに付いていった.そして、ぐでんぐでんに酔ったあげく抱かれてしまったらしい.
なんとなく、成り行きでそうなってしまったのだが.....
父親は、二人の関係をどうするつもりだったのかと言えば、『お金を欲しいだろうから、妾になれ』と言いたかったのであろうが、彼女は、『済んでしまったことを、どうこう言ってもはじまらない.お金はいらないわ.私は売り物じゃないのよ』、そう言って帰っていった.

千晶の父親はお金で雪枝を自分のものにしようとしたが、雪枝は例え肉体関係を持ったにしても、好きでもない父親を相手にしなかった.
千晶は自分を好いている清三との関係を絶ちきろうと、写真に見せかけてお金を渡したのだった.千晶も父親も、二人とも同じで男女の関係をお金の関係にしようとしたのだった.
さらに書けば、千晶は清三の自分を好いている心を利用として自分を守ろうとしたのである.清三は千晶を好いているからこそ、知らずに貰ったお金を、脅し取ったと言って千晶をかばったけれど、その出来事を千晶は『強盗にお金を渡して追い返した』と、皆に偽証したのだった.

戸山にふられた雪枝は、嫉妬心から戸山に冷たく当り、二人の仲を引き裂こうと、千晶の過去を暴く新聞を机の上に置き、最後には戸山のお金を盗んで競馬で使い果たした.そして好きでもない男に、千晶の父親に抱かれて、行き着くところは戸山から好かれるどころか、どこを取っても嫌われるだけの女になってしまっていた.
彼女自身が嫌と言うほど自分の現実に、誰からも好かれることのない自分に、自分でも好きになることの出来ない自分自身に気がついたのであろう.戸山に会わせる顔が無くなった雪枝は、千晶に会って自分の非を詫び、そして戸山と千晶、二人の幸せを願って泣き崩れたのだった.雪枝は二人を好きになる為に千晶に会いに行った、あるいは好きに慣れる自分自身を取り戻すために千晶に会いに行ったと言えるのだが、その結果は.....

千晶は置き手紙を残し、すぐに東京に戻って裁判の証言に立ったのだった.やっと千晶に人を好きになることがどの様なことか理解されたと言って井野であろう.人を好きになることも、人から好かれることも同じことなのだ、と.
『清三との関係をお金で清算しようとした自分だった.が、それが為に清三は自分をかばって重罪を受けようとしている.自分の証言で無罪に等しい事になるのに、それなのに自分は自分の事しか考えていない.清三は私の幸せを考えているのに、私は清三の幸せを何も考えなかった.こんな自分は、誰からも好かれるに値しないのだ.....』

千晶は証言を終えて、法廷を出てドアの外で泣き崩れた.なぜ泣き崩れたのか?、それは雪枝と同じ、相手に詫びる心で泣き崩れたのであろう.法廷では、『自分をかばってくれたことを感謝している』と、清三にお礼を言ったのだが、けれども自分の非を詫びはしなかった.

人を好きになることも、人から好かれることも同じこと.そして人を好きになるということは、自分で自分を好きになることでもある.
雪枝も千晶も、自分で自分を好きになれる自分を取り戻すために、泣いて詫びたと言える.その点は父親も同じ、彼は泣いて詫びる代わりに旅に出ると言った.

書き添えれば、沈黙は金、清三は黙して何も語らず、千晶を好きな自身の心を守り通そうとした.その心は千晶を守る心でもあったと言える.

【映画】こころ (日活 市川崑 夏目漱石原作)

2017年03月13日 22時01分39秒 | 邦画その他
『こころ』
日活 公開1955年8月31日 122分

監督    市川崑
製作    高木雅行
原作    夏目漱石
脚本    猪俣勝人
      長谷部慶治
撮影    伊藤武夫
      藤岡粂信
美術    小池一美
編集    辻井正則
音楽    大木正夫
助監督   舛田利雄

出演
先生.......森雅之
奥さん......新珠三千代
梶........三橋達也
日置.......安井昌二
未亡人......田村秋子
日置の父.....鶴丸睦彦
日置の母.....北林谷栄
日置の兄.....下元勉
旅の僧......久松晃
周旋屋......下絛正巳
先生の叔父....山田禅二
梶の父......伊丹慶治





『人間の愚かさを、内に秘めたまま秘密にすれば悲劇を生み、公にして皆で話し合えば喜劇になる』

1.『K』も『先生』も、二人共に最高学府で学業を究めた自分自身を、高潔な人間であり精神的にも完成された人間であると思い込んでいた.あるいは、そうした人間でありたいと望んでいたと言ってよいであろう.
その傾向は、『K』の方が強くあったようだ.『K』は伊豆の旅で出会った僧侶に、食ってかかるように話しかけて宗教の議論をしたが、僧侶が言葉に詰まると、一方的に『人間が出来ていない』と罵倒してしまった.

2.『先生』から結婚の申し込みを受けた後日、未だその話を『先生』が『K』にしていないことを知って、母親は怪訝な顔をした.
一つ屋根の下に、年頃の男二人と女一人が暮していたら、どの様な結果になるか容易に想像のつくことであり、それがため母親は『K』が下宿することを、初めは反対したのだった.
母親にしてみれば、『K』も『先生』も、二人共に娘を好きなのは分りきった事であったので、親友同士ならば二人でその点に対して決着をつけた上で、『先生』が結婚の申し込みに来たと考えたはずである.

3.これが、結論になります.
『先生』は学生に、自分の愚かさを詳細に書き記した遺書の手紙を書いたが、学生が受け取ったときには『先生』は死んでいた.
しかし本来は、『先生』は学生に直接会って話をするつもりでいたのであって、そうすれば『先生』は死ぬことは無かったと言える.
『皆で話し合えば喜劇になる』と先に書いたのですが、『先生』と学生が直接会って話をしていれば、少なくとも悲劇は避けられたのです.

4.『K』は『先生』も、お嬢さんを好いていることを知った上で、『先生』に対して、お嬢さんを好きなことを告白した.難しく考えることは止しますが、卑怯なことは『先生』も『K』も、何ら変わりはしなかったのであり、さらに言えば、『先生』の卑怯は目に見える卑怯であったのに対して、『K』の卑怯は心の中の格闘として存在する、目に見えない卑怯であって、相手の心を知った上でその裏をかく、悪辣な行為であったと言わなければなりません.

5.『K』は『先生』の、見え見えの卑怯な行為によって、自分の行った目に見えない卑怯な行為を、よりいっそう許されない行為として自覚することになったのでしょうか.その結果、『K』は綺麗事を並べた遺書を残して自殺してしまったのですが、つまりは、自分の卑怯な行為を秘密にしたまま死んでしまったと言えます.
『俺は、貴様の卑怯な行為によって、自分が行った卑怯な行為を自覚することになった』、もし『K』が『先生』にこのように話をしていれば、二人共卑怯な愚かな人間であったので、互いに理解し許しあうことが出来たはずなのですが.


人間は誰でも、自分が高潔でありたいと思い、自分の愚かさを話すことは容易なことではない.
なぜ、妻が不幸にならなければならなかったのか?
言い換えれば、どうすれば、妻の不幸を避けることが出来たのか、と考えると、

『人間の愚かさを、内に秘めたまま秘密にすれば悲劇を生み、公にして皆で話し合えば喜劇になる』







挽歌 (五所平之助 松竹 1957年9月1日 127分)

2016年06月22日 03時30分22秒 | 邦画その他
挽歌
公開 1957年9月1日
監督 五所平之助
原作 原田康子
脚本 八住利雄
   由起しげ子
撮影 瀬川順一
美術 久保一雄
音楽 芥川也寸志

出演
兵藤怜子.....久我美子
桂木節雄.....森雅之
妻あき子.....高峰三枝子
娘くみ子.....中里悦子
姪友子加.....賀ちか子
古瀬達巳.....渡辺文雄
久田幹夫.....石浜朗
ダフネのおやじ..中村是好
女中ゆき.....武藤れい子
谷岡夫人.....高杉早苗
怜子の父.....斎藤達雄
弟信彦......高崎敦生
ばあや......浦辺粂子






怜子と桂木
『ねえ、お願い.今だけでいいわ.私のことだけ考えて.他の事みんな忘れて.ねえ、お願いよ』
湖畔のホテルで怜子は桂木にこう言って、そして二人は関係を持った.これはこれで別に何も言うことは無いのだけど、でも、家に戻ってからの彼女は、居留守を使って、桂木からの電話に全く出ようとしなかった.
『こうなったからには、相手の男に責任をとってもらわなくちゃ』と、ばあやは怜子に言ったのだけど.....
後の成り行きから言って、桂木は玲子に対して責任をとるために電話をかけてきたと考えれば、怜子が電話に出なかった行為は、桂木に責任をとらせようとはしなかったと言える.



幹夫と怜子
怜子の幹夫に対する気持ちは全く描かれない.けれども、喫茶店のマスターも、あき子も、いずれ二人が結婚をするのが当然の関係と思っていた.
少なくとも怜子は幹夫を嫌いではなかったし、怜子は幹夫の自分に対する気持ちも良く分っていたはずである.それなのに、なぜ怜子は、わざわざ中年の男との関係を求めたのか?.
『彼(桂木)は私の手が不自由なので、かわいそうに思って優しくしてるのだ.そんなのは嫌.本当の愛が欲しい』、怜子はこんなことを言っていたけれど.けれども、所詮こんな言葉は、言葉の飾り、言葉の遊びに過ぎないと思う.

覚めた目で怜子の行為を考えてみよう.
怜子が幹夫と肉体関係を持ったとしたら、それは否応なく結婚に結びつく事になる.20歳過ぎた年齢を考えれば、肉体関係を持つということは結婚を考えることであり、つまりは自分の将来を、自分の人生を考える事であったはずだ.もっと具体的に言えば、経済的には共稼ぎをしなければならず、仕事を探すことでもあったと思う.

では、妻子のある中年の桂木の場合は.
まず第一に、お金の心配は要らない.
結婚は?、怜子は桂木と結婚したいとは考えていなかった.先に書いたように、関係を持ってからは、桂木から電話がかかってきても出ようとしなかった.そして札幌の桂木を尋ねて、桂木が戻ってきたら自分と結婚しようと考えていることを知ると、そうさせないように画策した.

『ねえ、先のことは言わないで.今日一日は、なんにも忘れて楽しく送りたいわ』
これは札幌の牧場で怜子が言った言葉.彼女は何時も同じで、今だけ、今日だけが楽しければ良くて、明日のこと、将来のことは考えたくない女の子だった.
ロッテ館だっけ、『私こんなところ嫌』と言う怜子に、桂木は『君に似合いの場所だ』と言ったけれど、肉体関係だけで結婚する気のない者にふさわしいホテルだと言ったのであろう.(夫婦で行っても楽しいとは思うけど)

『ね、どこか遠いところへ行こうよ.僕はどうなってもいいと思ってるんだ』
これは達巳があき子に行った言葉.達巳も明日のことを、将来のことを考えない男だった.
それに対してあき子は、『東京に戻って学業を続けなさい』と言っている.

あき子は『あなたは自分を大切にしなければ』と怜子に言ったけれど、今だけよければ良い、今のことしか考えない、将来のことは考えないという生き方は、自分を大切にしない行為であり、彼らの行為があき子の自殺に結びついたことを考えれば、つまりは相手をも大切にしない考えであった.









桂木
湖畔の宿で初めての一夜を過ごした翌日、怜子が散歩に出かけていた留守の内に、彼は自分の会社に電話して、怜子の父親に言付けを頼んでいた.怜子も拒まずに付いてきたのであるから、怜子を強引に連れ出してきた事は置いておくとしても、妻子ある男が歳の離れた若い娘の父親に、初めて一夜を共にしただけで、その事を連絡する心境はどういうことなのだろうか?.
長いつきあいで互いに結婚を決めている男女なら、この際ついで、全てをはっきりさせてしまおうと言う考えもあろうけれど、男女が肉体関係を持ったからと言って、一々親に報告するような考え方はどこにもないと思えるのだが.
若い娘が無断で家を空けたので親が心配しているのは当然であり、なるべく早く、余計な心配をしないよう連絡するのも当然としても、それならば怜子が家に電話をすれば良いことであり、怜子が自分で電話をするのを嫌がったならば、例えばホテルの従業員に怜子からの伝言として電話をしてもらえば良かったであろう.





怜子が札幌へ桂木を尋ねたときも、彼は同様であった.いきなり尋ねてきた玲子を、まず実家に連れていった.
『もう2、3日すると親父たち帰ってくるからね、君も一度会っておいて欲しいんだよ』
『僕は君に済まないと思ってるんだ、僕は初婚ではないし子供が居るしね』
『待ってよ、まだ結婚するなんて言ってないわ』と、怜子は拒んだのだが、怜子が我が儘な娘ならば、一度肉体関係を持っただけで結婚する気になっている桂木の方も、相当に身勝手な考え方の男と言わなければならない.

コキュ【(フランス)cocu】の意味 - goo国語辞書
dictionary.goo.ne.jp/jn/76521/meaning/m0u/
コキュ【(フランス)cocu】とは。意味や解説、類語。妻を寝取られた男。

アーミー(?)
よく分からないけど、話の流れから判断して『愛人』と思われる.









怜子は桂木に妻が浮気をしていると思わせる手紙を書き、そして『赤と黒』、妻が若い男と浮気をした話をして、最後には明白に桂木に対して『妻を寝取られた男』と言った.
『妻が若い男と浮気をして悔しいでしょ.だったら、あなたも私を誘惑して浮気をしたらどうなの』
『うるさい、黙れ』と、桂木は怒りながらも怜子を抱き締めて口付けをした.....桂木は若い娘の怜子の侮辱とも言える言葉で自分の心を見透かされて怒ったけれど、同時に妻に若い男と浮気された悔しさを押さえきれなくなって.....見事に怜子の誘惑に負けてしまうことになった.

あき子が達巳を避けようとしていることを、怜子は良く知っていたはず.それなのに、あき子に対して達巳と桂木とどっちが好きか聞いた.
怜子は相手の心を知った上で、相手が最も触れたくない、触れられたくないと思っていることを口に出す女の子だった.(相手の弱みに付け込むと言ってよいのか)

怜子は幹夫の心を知った上で、彼があなたをモデルに絵を描きたいと言っていると、あき子に嘘を言い、そして幹夫と一緒に桂木の家の中へ入り込んで、あき子と桂木の家庭の中を覗き見した.あき子、桂木、そして幹夫、誰に対しても悪趣味で我が儘な女の子だったと言い放って良いだろう.

けれども、幾何か怜子を弁護して置こう.あき子が夫の食事を作る姿を見て居た為であろう、怜子は留守の家に勝手に上がり込んで、あき子を真似て桂木のためにサラダを作った.古くさい感情と言われるかも知れないが『妻の喜び』と言ったような感情が、怜子にも理解されて来たようだ.
自分がそうした生き方を望むかどうかではなく、そうした行為に喜びを見いだす生き方もあって、あき子の場合はたとえ自分が浮気をしたからと言って変わりはしなかった、そんな性質の心であると.....父親は怜子に『女親がいないと、女らしさが失われていってしまう』と言ったけれど、本来は母親の姿から自然に受け取るはずの感情が失われていってしまうと言いたかったのではなかろうか.

先に『本当の愛が欲しい』と言う玲子の言葉を、言葉の遊びと書いたのだけど、もう少し書き加えておこう.『本当の愛とは何だろう』、これなら何も問題はないはず、愛とはどの様なことか、考えながら本当の愛を見つけ出せばよいのだから.
けれども『本当の愛が欲しい』とは、相手からの愛を一方的に望んでいる.本当の愛が、身体と引き換えに相手の男から一方的に与えられると考えていた、この考え方は男女平等とは程遠い古典的、封建的な考え方であった.
桂木家の内部を盗み見みしようとした怜子は、本当の愛がどの様なことか分らなくとも、この点の間違いに気付くことになったはず.あき子の母親として子供に接する姿を通して、あるいは主婦として食事を作る姿によって、愛とは一方的に受け取るものではなく、互いにやり取りしあう心の触れ合いにあるのだと.





2016/06/24 追記
あき子と達巳
『東京へお帰りなさいな』と、あき子が言うと、達巳は『君と一緒ならいいが、一人じゃ嫌だ』と答えた.
『二人でどこか遠いとこへ行こう』とも言ったが、けれども彼は一言も『結婚しよう』とは言っていない.

若い男ならまさか結婚を望みはしないだろうと思って、あき子は達巳と遊びの関係を持ったのであろう.彼女の予想通り達巳は結婚を望みはしなかった.が、彼は予想に反して、桂木と離婚して愛人関係を続けるようにせまって、あき子に付きまとった.

怜子
怜子は男と関係を持ちたいが、けれども結婚によって自由を奪われたくないと考えていた.だから肉体関係になれば結婚を望むであろう幹夫ではなく、妻子のある桂木を誘惑した.
札幌に桂木を尋ねたとき、怜子はAMI(大切な人、愛人)になりたいと言っている.

あき子と怜子
桂木との関係があき子にばれてしまったとき、怜子は『もう二度と桂木とは会わない』とあき子に言ったのだが、桂木と結婚したいけれど自分に遠慮して言っているのだ、と、あき子は受け取ったに違いない.だから、自分の相手の達巳は、離婚しろと言うのに愛人を望んで結婚をしようと言わない酷い奴だけど、『怜子は(結婚を望む)良い子よ』と桂木に告げて、あき子は身を引くように自殺してしまった.

実際には、怜子は桂木との結婚を望んでいなくて、桂木とあき子が夫婦でいてくれることを望んでいたのだから、怜子がきちんと素直に自分の気持ちをあき子に話をしていれば、こんなことにはならなかったはず.
あき子も怜子も愛人関係を望んだが、けれども決して家庭を壊すことを望んだのではなく、二人とも同じことを望んだバカな女だったと互いに理解できたはずだった.

















国土地理院 地図、空中写真閲覧サービス
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=357598
整理番号 MHO611
1961/05/09撮影画像

釧路駅から真っ直ぐ下がったところの橋が幣舞橋


幣舞橋と、橋のすぐ右、川沿いに桂木事務所のあるビルが分ります.
橋を渡って坂を登って桂木の家に行くのですが、実際の家の位置は不明です.

橋が印象的だったので探してみました.


http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=921442
整理番号 CHO7746
1977/09/23撮影画像

釧網線塘路駅の西部です.(写真の頃は鉄橋に掛け替えられていて、更に水害で落下している)


暖流 (再編集版) (吉村公三郎 1939年12月1日 124分)

2015年01月25日 22時53分37秒 | 邦画その他
暖流 (再編集版) (1939年12月1日 124分)

監督  吉村公三郎
原作  岸田國士
脚色  池田忠雄
撮影  生方敏夫
美術  金須孝
編集  浜村義康
音楽  早乙女光
編集  浜村義康
照明  斉藤幸太郎

配役
日匹祐三 ____________ 佐分利信
石渡ぎん ____________ 水戸光子
笹島 ________________ 徳大寺伸
志摩啓子 ____________ 高峰三枝子
志摩泰英 ____________ 藤野秀夫
仝 滝子 ____________ 葛城文子
仝 泰彦 ____________ 斎藤達雄
仝 三喜枝 __________ 森川まさみ
堤ひで子 ____________ 槇芙佐子
梶原 ________________ 小桜昌子
絲田 ________________ 日守新一


日疋と、啓子
『(このような状態の時に結婚を申し込むのは)不純な感情があると思われても仕方がないが.....』
『今はその様なことは考えたくない.....』

日疋と、ぎん
『一方に断られてすぐに君の愛情が受け入れられる男が、随分滑稽だと思わないかい?』
『思いませんわ』
そして、私があなたを勝手に好きになっているのだから、あなたも勝手に誰かを好きになっていても、それは構わないことだ、と彼女は言った.
......
『あの方を、本当に思い切っておしまいになりますかしら?』
『うん、出来ると思うよ』
『すぐに、思い切っていただかなくても良いわ.あなたの側に居られたら、それでいいの.私だって、きっと何時かは、お嬢様を思い切らせて見せられると想いますもの』

誰でも、自分だけを好きになって欲しい、愛して欲しいと思うのだけど.けれども、そう出来なくても構わないし、その必要もない.ぎんは、好きになれと言われて好きになるものでなければ、嫌いになれと言われて嫌いになるものでもない.何人好きになろうが仕方のないことを、一人の相手を思い続ける自分自身の心から見つけ出していた.
日疋は、ぎんには目もくれず啓子一人に夢中になっていた.ぎんも同じで、日疋一人に夢中になっていた.日疋もぎんも、二人共、只一人だけに夢中になれる人間であったからこそ、二人でも三人でも、好きになり愛することが出来る人間であったと言って良いのでしょうか.

『他人を泣かすよりは、自分が泣く道を選ぶ』などと、つい言いたくなるのですが.その逆の考え方にたてば、『私があなたを好きになるのが自由であるならば、あなたが誰かを好きになるのも、それも自由なこと』と、なるのかもしれません.

日疋と啓子に戻れば、日疋が啓子に、啓子の結婚相手の裏側を暴いて教えたことは、恋愛感情から恋敵を陥れた、と、受け取れなくもないけれど.けれども日疋もまた『不純な感情があると思われても仕方がない』と、考えたからこそ、あの時、啓子に結婚を申し込んだのであり、これもまた、一人の相手に夢中になれるからこそ、出来たことと言うべきでしょうか.

で、今一度、啓子.
『本当は、親に進められた結婚相手の男より、あなたの方が好きだった』と、彼女は最後になって日疋に言ったけれど.彼女は一人の男に夢中になることが出来なかった、それだけの事なのではないでしょうか?

日疋はぎんに『啓子に振られて、今度は君にしよう』と言う、自分の考えが受け入れられるかどうか聞いた.『あっちが駄目なら、今度はこっち』、身勝手な許されない考え方に思えるけれど.そして、日疋が啓子に結婚を申し込んだのは、啓子に対して『あっちが駄目なら、自分にしなさい』と言ったのであり、相手の心を考えない、身勝手な言い草に思えたのですが.
日疋は啓子一人に夢中であったので、身勝手でもなんでもない、当然の考え方であったけれど、他方、啓子の方は、本当は日疋の方が好きであったがために受け入れられない行為、啓子が言ったように、返事に時間を置かなければならない出来事であったと思われます.


岸田国士
この人は、大学教授を辞めて、請われるままに大政翼賛会に加わり文化部長を勤めたため、あれこれと批判を浴びることになりました.その辺りにかかわる著作も何点かありそうなので、機会があれば調べてみようと考えています.
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『この物語の主題は言うまでもなく、現実と理想との相克から生まれる人生の美醜両面を描くにあるのだが、必ずしも私はここで「新しい倫理」を説こうとしたのではない。むしろ我々の伝統的感情が、現代の混乱を極めた世相の中で、如何にその生来の面目を発揮するかという問題に答えようとしたのである。』

岸田国士は自作について、このように述べているそうです.
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男女の恋愛が描かれた作品です.
恋愛の『理想』とは、相思相愛で男女が愛し合い、なおかつ、男も女も他の相手を愛していないこと.
恋愛の『現実』とは、ぎんは日疋だけを好きだったけれど、相手の日疋は、ぎんの心を知りながらも、ぎんには目もくれず、ただひたすら啓子を好きだった.

『伝統的感情』とは、どの様なことか?、これは既に書いてしまいました.ぎんは日疋が啓子を好きだと知りながらも、ひたすら日疋一人を想い続けていた.そして、日疋も同じで、啓子が他の男と結婚を決意したことを知りながらも、ひたすら啓子一人を想い続けていた.
かなわない想いと分っていても、ひたすら一人の相手を想い続ける感情を、作者は『伝統的感情』と表現したのだと思います.
さて、そうであるならば、その感情が『面目を発揮』しなければなりません.

あ、その前にもう一つ、
『現実と理想との相克から生まれる人生の美醜両面を描くにある』と、作者は言ってます.
『現実』と『理想』は書きました.では、その『相克から生まれる人生の美醜』、『美』と『醜』とは何なのか.
ここでは『美』は置いておいて、『醜』の方を考えて見れば、日疋は啓子に振られて、すぐに、ぎんを好きになることにした、相手の心を知りながら振った女の所に、自分が他の女に振られたら転がり込んでいったと言ってよいでしょうか、この事実を作者は『醜』と、言っているのだと思われます.

さて、さて、その感情が『面目を発揮』しなければなりません.
その場面を、映画から拾ってみます.

日疋 『一方に断られてすぐに君の愛情が受け入れられる男が、随分滑稽だと思わないかい?』.....(醜いと思わないかい?)
ぎん 『思いませんわ』.....(醜いとは思わないので、美であったと言っても構わないのでは?)

例え相手が別の人を好きであったにしても、ただひたすら、その相手を好きであり続けること、これが『伝統的感情』であり、この点において、ぎんも日疋も同じであった.ぎんが日疋を好きな心も、日疋が啓子を好きな心も、同じ心なので、ぎんは日疋を理解することが出来、啓子に振られてきた日疋を、何の躊躇いもなく受け入れることが出来た、と、言うことが出来ます.
日疋の側から見れば、彼は、ただひたすら啓子を好きだったけれど振られてしまい、ただひたすら自分を好きな、ぎんの所にやってきた.まさしく、ただひたすら一人の相手を好きであり続けようとする伝統的感情が、面目を発揮した出来事でした.


もう一度、ぎんと日疋
『一方に断られてすぐに君の愛情が受け入れられる男が、随分滑稽だと思わないかい?』
『思いませんわ』

そして、私があなたを勝手に好きになっているのだから、あなたも勝手に誰かを好きになっていても、それは構わないことだ、と彼女は言った.
......
『あの方を、本当に思い切っておしまいになりますかしら?』
『うん、出来ると思うよ』
『すぐに、思い切っていただかなくても良いわ.あなたの側に居られたら、それでいいの.私だって、きっと何時かは、お嬢様を思い切らせて見せられると想いますもの』

誰でも、自分だけを好きになって欲しい、愛して欲しいと思うのだけど.けれども、そう出来なくても構わないし、その必要もない.
好きになれと言われて好きになるものでなければ、嫌いになれと言われて嫌いになるものでもない.その事を、ぎんは自分の日疋を好きな心を通して、自分自身の心の中から見つけ出していた.
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啓子が一度は結婚を決意した、医師の男、あの男は、単純に『醜』であって、『現実と理想との相克から生まれる人生の美醜』の、『醜』ではないのみならず、当然のことながら、そこに『美』も存在しません.

さて、最後に日疋は、『自分を必要とする女と結婚する.あなたは自分を必要としていない』、このようなことを啓子に言いました.
啓子の言葉によれば、結婚を決意した医師よりも本当は日疋を好きであったらしいのですが、どちらが好きであったにしても、彼女は、一度は日疋以外の男との結婚を決意した女であって、他方、ぎんは、ただひたすら日疋一人を思い続けていた女である.
日疋にしてみれば、自分以外の男と結婚を決意した女は、自分を必要としない女であって、ひたすら自分だけを思い続けていた女は、自分を必要とする女である.単にそれだけのことに過ぎません.


今一度、啓子
『高根の花の相手は諦めて、分相応の相手と一緒になる』、日疋はこんな風に啓子に言ったはず.
啓子は本当に好きな日疋ではなく、社会的な地位の高い医師と結婚しようとした.そうした啓子に対する、皮肉、嫌みに思ったけれど、この捉え方は文学的な理解ではないらしい.この場合、日疋の言葉を、啓子と同じような立場にある女性が、どの様に受け取るか考えなければならないはず.

『理想』を言えば、男女平等でなければならない.が、『現実』には、啓子と日疋の場合は、極端に言えば主人と使用人の関係、平等な立場にはなかったと言える.
啓子と同じ立場にある女性が、日疋の言葉を、嫌み、皮肉と捉えれば『醜』になり、男女平等を『理想』としつつも、『現実』の不平等を理解して、自分から結婚して欲しいと言わなければならないのだ、と、考えることが出来れば、『美』になる.

『現実と理想との相克から生まれる人生の美醜両面を描くにある』、とは、
『理想』を求めれば、『醜』になり、
『現実』を、ありのままに受け入れれば、『美』になる.

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追記
作者の言葉をヒントにして考えれば、このような結論に至るのですが、作者のヒント無しで、このような結論に至る作品であるかどうかは、分りません.
しかし、『理想』求めれば『醜』になり、『現実』を受け入れれば『美』になる.この考え方を基礎にして、作者が作品を描き上げたことは、間違いのないことだと思います.

追記の追記
描かれた日疋は病院の主事で、それなりの給料をもらっていたのですが、もし彼の立場で庶民の給料しかもらっていなければ、『あんな、お金持ちのお嬢さんに、お金の苦労はさせたくない』と、身を引いてしまう事は良くあることであり、最後の日疋の言葉は、お金持ちのお嬢さんに、ストレートに、貧乏人のひがみ、として受け取ってもらえば良い言葉であったと思われます.
『あんな、お金持ちのお嬢さんに、お金の苦労はさせたくない』、この考えは、まさしく『理想』を求める考え方であり、そして貧乏人のひがみと言って良いでしょう.
お金持ちのお嬢さんは、相手の男が貧乏人の場合、相手は必ずひがんだ考え方をして、自分に結婚を申し込むことはない、と言う『現実』を受け入れ、男が女に結婚を申し込むのだと言う『理想』を捨てて、自分から好きだと言わなければなりません.

そして、そして、こう考えて、この作品の筋書きが、やっと理解できると言ってよいのか.
病院の負債の整理をしながら、日疋は啓子と母親に対して、幾度かこのようなことを言っているはず.
『御二人には、お金の苦労はかけませんから』
お金持ちのお嬢さんが、貧乏人の男は必ず、『お金の苦労はさせたくない』と、考えるものであると、気がつくかどうか?.

お金に苦労したことが無い人には、相手が自分に対してお金の苦労をさせたくないと考えているとは、理解しがたいはず.
だから、没落寸前のお金持ちのお嬢さんの家庭を通して、没落を少しでも食い止めようとする日疋の姿を通して、その事を理解させようと描いている.

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『ボヴァリー夫人』
小間使いの女、貧乏人の女は、貧乏人の男、出入りの商人とかと遊んで快楽を求め、お金に困れば身体を売って工面するらしい.
「奥様のためです.皆がやっていることですから」と言って、小間使いの女は夫人に公証人の男に身体を売って、お金の工面をすることを勧めたのだが.
上流階級の男、貴族のプレイボーイの男との快楽を求め、また、若い男に貢いで快楽を求めた夫人だった.言い換えればお金に快楽を求めた夫人だっただが、けれども、相手に快楽を与えてお金を稼ぐことは出来ず、死の道を選んだのだった.

兄夫婦の浪士癖はいかんともしがたいものだった.日疋は兄に病院でのしかるべき地位を与え、生活には困らない配慮をしたのだが、やはり予想したように兄は母親にお金をせびりに来ていた.
啓子と母親は、息子夫婦とお金のもめ事で裁判沙汰になったが、和解の道を選んだ.
『親子、兄弟でお金の争いをするくらいなら、餓死した方がよい』と、こんなことを二人は言ったと思うけれど、本当にそうなのか.....『そこまで、おっしゃるのなら』と、日疋は引き下がったのだが.

日疋は病院を株式組織にして、残った乏しい財産の中から、母親の生活費のために何とか病院の株券を残した.約8千万円で配当金が10%、年800万円ほどの収入が得られ、贅沢は無理だが生活には困らないであろうと日疋は考えた.けれども、浪費癖の抜けない兄夫婦が病院経営に関われば、いずれは病院経営も成行かなくなるであろう、それは目に見えている事なのだが.....


樋口一葉『にごりえ』第6章

2013年11月05日 02時45分15秒 | 邦画その他
書きかけです.ご容赦を

樋口一葉原作、『にごりえ』六章途中より、『お前は出世を望むな』この言葉を考える.

『にごりえ』の口語訳があります.PDFでとても読みやすいです.
http://www.kufs.ac.jp/French/i_miyaza/publique/litterature02/ichiyou_nigorie.pdf#search='ichiyou_nigorie'


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酒席で綺麗事の嘘を言い、客の嫌らしい行為に耐える遊女.もうこんな生活は嫌、結城の妻になって幸せになりたい、そう思えば思うほど、お力は遊女の境遇に耐えられなくなっていた.
嫌らしく言い寄る客に堪えかねて、お力は仕事を放り出して街をさまよい歩く.

もし、妻になれと言われたらどうしよう.私は未だ源七が好きだから、結城だけを好きな良い妻にはなれない.やっぱりこんな私は、幸せな結婚は出来ないのだ.

源七を好きになって幸せになれると思ったのに、源七は不幸になってしまった.やっぱり、男を騙してばかり居た私には、幸せな結婚は無理なんだ.幸せな結婚より不幸な結婚の方が、自分には似合っている、そんな荒んだ想いが、浮かんで来てならなかった.

源七を本当に好きになって幸せになれると思ったのに、源七は不幸になってしまった.
では逆に、好きだ好きだと口先だけの嘘を言う男と、口先だけで好きだと言って一緒になったにしても、幸せになれるはずがない.
男を騙してばかり居た私は、誰と一緒になっても幸せになれないんだ.

結城の妻になりたい、幸せになりたい一心で、お力は想いを巡らしたけれど、どの様に考えても無理、考えれば考えるほどに、無理なことに思えてきた.
諦めなければ、諦めなければ、やっぱり自分は遊女のお力、源七の家庭を不幸にしてしまった自分が、結城の妻になって幸せになるなんて、許されそうにない.
でも、でも、私は悪い女かもしれないけど、私だけが悪いんじゃない.源七も同じように悪いはず.私が人並みの幸せを望むのが無理にしても、私が悪いのは半分だけ、人並みの半分は幸せになってもよいはずじゃないの.
あ、そうだ私は遊女のお力、妾ならいいのじゃ、遊女も妾も金で買われた女、今と変わらないから許されそう.きっと妾ならいいんだ.人並みの半分の幸せでも構わない、遊女の生活とおさらば出来ればそれで良い.
でも、困ったわ.結城は独身.あの人は私が妻にして欲しいと言えば、間違いなく妻にしてくれる、その相手に妾にしてくれと言うには、どういったらいいのだろう.
よい方法を思いついたお力であったが、また新たな困難がお力を悩ませた.

遊女も妾も金で買われた女、どうせ私はそんな生き方しか出来ない、なんとなく虚しく思ったお力、あ、店に戻らなければ、あんな店二度と戻りたくないと歩き始めたお力の肩を、後ろからたたくものがあった.
やっぱり妻は無理なのかと諦め、でも、妾の方が自分にはふさわしいと納得し、これで自分は幸せになれると希望を抱いていたお力.妻でも妾でもどっちだって構わない、好きでもない男に好きだと言い心ない文を書く、嘘で塗り固められた生活とはもうおさらば、好きで好きでならな男と一緒にいられるんだ、嬉しい.....、お力は思わず結城の腕にすがりついていた.
二人は、店に戻る.

『そもそもの最初から私は貴君が好きで好きで、一日お目にかからねば恋しいほどなれど、奥様にと言ふて下されたらどうでござんしよか、持たれるは嫌なり他処ながらは慕はしし、一ト口に言はれたら浮気者でござんせう、』

私は、あなたをどうしようもないほど好きだけど、でも源七も好きだから、妻になれと言われても、あなただけのものになることは出来ない.むしろ、妾になれと言われた方が、よっぽどか嬉しい.妾なら、あなたも浮気、私に浮気心があっても許されるでしょうから.
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お力は、幼かった頃の辛い想い出を語る.

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祖父は、なまじっか読み書きが出来たので、自分の正しいと思うことを書いたビラを作ってばらまいたら、牢屋に入れられて野垂れ死にしたらしい.
父親も、名職人だったけれど、自分の正しいと思った仕事しかしなかったので、客がつかず貧乏のどん底の生活だった.
私の家系は3代続くきちがいさ.三代目の私も、自分が正しいと思ったことをやっても、幸せになれっこない.

(お前は出世を望むな=お前は良い妻になろうと思うな.遊女にとって出世とは、玉の輿に乗って、良家の奥様に収まること)
お前は良い妻になって、良家の奥様にならなければいけないと思っているのだろう.だったら良い妻になろうと思わなければいいじゃないか.

え、私、本当にあなたの妻になりたいと思っていないわよ.どうせなったって、私は無作法だから、お膳を(味噌汁を)ひっくり返すのが落ち、そんなんじゃ良家の奥様にはなれないわ.

もう、気心が知れた仲じゃないか.嘘を言うなよ.思い切って、俺の妻になってみろ.
お前は未だ源七のことを好きなので、俺の良い妻にはなれないと思っている.だったら、良い妻になろうと思わなければいいんだ.俺はお前に、俺だけを好きになれとは言わない.解るだろ、あの時だって、源七を部屋に呼べと言ったじゃないか.

もう一度考えてみると、
『お前は出世を望むなと突然に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし様子に見えしが、私等が身にて望んだ処が味噌こしが落、何の玉の輿までは思ひがけませぬといふ』
『嘘をいふは人に依る始めから何も見知つてゐるに隠すは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれやれとあるに、』

お力は妻よりも妾にして欲しいと言っていた.分かりにくい言葉で『妻になる出世は望まない.妾にして欲しい』と言っていたので、自分の言いたかった言葉を結城に言われて『ゑツ』と驚いたのだった.
お力はもう一度、無作法だから良い妻になれないという、嘘の言い訳をしたのだが、

だから俺は悪い妻で構わないと言ってるだろ.もう、そんな嘘の言い訳はよせよ.気心が知れた仲じゃないか.お前が源七を好きなことはよく解っている.源七を好きな悪い妻でも構わないから、思い切って俺の妻になれ.

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1.
『そんなに体裁には及ばぬではないか、可愛い人を素戻しもひどからう、追ひかけてあふが宜い、何なら此処へでも呼び給へ、片隅へ寄つて話しの邪魔はすまいからといふに』

結城は、源七が好きなら会ってこい(会っても構わない)と言っている.
(源七を好きなお力の)女心を、お金でも、力ずくでも、どうすることも出来ないことを結城はよく解っていた.だから結城は、自分だけを好きになれ、源七を嫌いになれとは言わなかった.逆に、好きな心はどうすることも出来ないのだから、会ってこいと言っています.

2.
お力が、私は下品だから良い結婚は出来ないと言ったら、
結城は、お前のような美人なら、一足飛びに玉の輿に乗れると言った.(遊女としての出世が出来ると言った)

3.
お力は、結城も源七も二人とも好きだった.『私は浮気者で、結城だけを好きになることは出来ないので、結城の良い妻になることは出来ない』と、思っていた.
だから、結城の妻になりたくても、口では『私は下品(無作法)だから、玉の輿に乗れない(出世は出来ない)』、と言った内容の嘘を言っているので、次の結城の言葉になる.

4.
『お前は出世を望むな』=『良い妻になろうと思うな』
『良い妻になろうと思うな』は、『礼儀作法を知らなくて良い、下品のままで良い』、『悪い妻』=『浮気者』=『源七を好きでも構わない』
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『そんなに体裁には及ばぬではないか、可愛い人を素戻しもひどからう、追ひかけてあふが宜い、何なら此処へでも呼び給へ、片隅へ寄つて話しの邪魔はすまいからといふに』
ずっと以前に、結城はお力に言っていたのだけど、お力には冗談にしか思えなかった.

けれども『お前は出世を望むな』と言われて、やっと結城の心が解った.自分が源七を忘れられないでいる、その気持ちを知った上で、結城は自分を好きになっていることが解ったでしょう.

もう一度振りかって、

『そもそもの最初から私は貴君が好きで好きで、一日お目にかからねば恋しいほどなれど、奥様にと言ふて下されたらどうでござんしよか、持たれるは嫌なり他処ながらは慕はしし、一ト口に言はれたら浮気者でござんせう、』

お力は、『私は妻になって、出世しようとは思っていない、妾の方がいい』と言った.

そして次に、自分の子供の頃の貧乏のどん底の生活、辛い出来事を語った.
『私は、貧乏でどん底の生活をしていた子供の頃の辛い出来事を、未だに忘れられない.私のせいで源七の家族は貧乏になってしまった.そして、源七の子供は私の子供の頃と同じ、辛い想いをしている.自分があの子に、自分の子供の頃と同じ辛い想いをさせているのだと思うと、私は耐えられない.こんな女があなたの妻になって幸せになるなんて、許されないことでしょう』

(私は簡単にお力は源七を好きだったと書いていますが、正確に言えば、子供に辛い想いをさせてしまったので、源七を忘れ去ることは出来ない、それは許されないのだとお力は思っていたのです.自分の子供の頃の出来事を忘れることが出来ないお力は、源七の子供に同じ想いをさせてしまったので、源七との出来事も忘れることの出来ない出来事になってしまった.もちろん、単にお力が源七を好きな気持ちがあったのかもしれませんが)

お力の涙が乾いた頃、
突然、結城は『お前は出世を望むな』と言ったので、お力は自分の言いたかったことが結城の口から出てきて驚いた.と同時に、自分は『出世しようと思っていない』と言ったのに、結城は『出世するなと』と言っている.
結城の真意を測りかねたお力は、『私は本当にあなたの妻になりたいとは、思っていないのよ』と、念を押すように言ったのだった.

『お前は出世を望むなと突然に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし様子に見えしが、私等が身にて望んだ処が味噌こしが落、何の玉の輿までは思ひがけませぬといふ』
『嘘をいふは人に依る始めから何も見知つてゐるに隠すは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれやれとあるに、あれそのやうなけしかけ詞はよして下され、どうでこんな身でござんするにと打しほれて又もの言はず』

だから言っているだろう.お前は無作法で悪い妻でも、源七を好きで悪い妻でも構わないと.そんなことどうでも良いじゃないか.思い切って俺の妻になれ.
結城は自分の心を全て理解した上で、自分に妻になれと言ってる、それを知ってお力は嬉しくてならなかった.けれども、それでもなお、本当に自分がそんな幸せを受け入れてよいのかどうか、迷うのだった.

6章の初めに戻れば、
源七を好きになって幸せになれると思ったら、源七の家族は不幸になってしまった.では逆に、うわべだけの綺麗事を言う男と、うわべだけの綺麗事を言って妻になったら、幸せになれるかと言えば、そんなはずはない.
これでは、私は絶対に幸せになれないじゃないか.私は確かに悪いかもしれないけど、決して、私一人が悪いのじゃないはず.私だって、幸せになっても良いはずだ.

お力は、自分が源七の子供に、自分の子供の頃と同じ辛い想いをさせてしまったので、もう自分は、幸せになることは許されないと思った.
けれども、私なりに簡単に書けば、自分一人が悪いんじゃない、源七も同じように悪いはず、だったら人並みの幸せが許されなくても、人並みの半分は幸せになってよいはずだ、こんな風に考えて、妻になることは許されなくても、妾なら許されるのじゃないか、と言う想いに至ったのでしょう.

遊女も妾も、金で買われた女、自分はやっぱりこんな生き方しか出来ないのだ、と言う、あきらめと同時に、納得もし、そして、これなら結城と一緒になれる、遊女の生活と別れることが出来るという希望も抱いて、肩をたたいた結城と一緒に店に戻ってきたのだと思われます.
(妻になりたいと言えば、間違いなく妻にしてくれる結城に、妾にして欲しいと言うにはどういったらいいのだろう.お力は随分悩み考えたことでしょう.自分をきちがいだとも言いましたが)
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お力は自分は三代続いたきちがいだ、と言いました.自分が正しいと思うことをすると不幸になる.
結城の妻になることを、お力は正しい考えと思ったのでしょうか、あるいは源七の子供にお菓子を買って上げたのが、お力が正しいと思ったことによるのでしょう.
子供がお菓子を持って帰り『知らないおじさんと一緒にいた、鬼姉にもらった』と言ったので、源七はお力に好きな男が出来たと知ることになりました.

結城は、お力を自分一人のものにしようとしなかった.
では源七は、と考えれば、なぜ悲惨な結末になってしまったのか解ります.

追記
『お前は出世を望むな』は、映画には全く描かれていません.
映画『にごりえ』は、『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』三作を合わせた、オムニバスになっています.

私は原作を全部読んでいません.拾い読みしただけなので、ですから、映画と原作を混ぜ合わせて書いています.
もう一つ、映画に描かれていないことに、『丸木橋を渡る覚悟』と言う言葉があります.
お力がどの様な覚悟をしたのか?
なるほど、なるほど、悪く言えば、お力の計画的犯行は見事に成功したのか.と思ったのだけど、お力の心を結城に見抜かれたので実は失敗だった.やはり幸せにはなれなかった.

お力は、見事に考え抜いた、その考え方が正しかったかに思えたけれど、やっぱりダメだった.
こう考えれば、難しく考えたって、駄目なものはダメ、もっともっと素直に生きればそれで良いのだ.結城に話したように、自分の子供の頃の辛い出来事を源七に話し、自分の辛い想いと同じ想いを子供にさせてしまったことを詫びて、そして、今でもあなたが好きなのだけど、今のあなたでは一緒になることが出来ないじゃないか、元のあなたに戻って欲しい」、こう言えば良かったはず.

振り返れば、お力は、幸せになろうと一生懸命、嘘を考えました.その結果、一見幸せになれたかに思えたけれど、やはりダメだった.
本当のことを言っても、嘘をついても結果は同じだったかもしれないけれど、結果が同じならばわざわざ嘘を考えることはなかったのであり、むしろ逆に、どうしたら本当のことを言えるか、それを考えなければならなかったのではないでしょうか.


さて、映画に戻りましょう.

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妾にして欲しいというお力の言葉は本心であった.けれども同時にその言葉は、本当は妻になりたいと言う気持ちも現すものであった.一つの言葉が相反する二つの心を現している.ここに芸術性が存在する.

見方を変えれば、
自分の家系は三代続くきちがい.自分が正しいと思うことをすると不幸になる.
妾になりたいのが自分の正しい考えならば、自分は妾という不幸な結婚をすることになる.
もし逆に妻になれたら、自分の正しいと考えたことの逆をしたので、妻という幸せな結婚が出来る.
でも、お力は、妻になりたい一心でこう考えたので、.....口では、妾にして欲しいと言ったのですが、結城に嘘を言うなと言われて.....
お力は必死に嘘を言おうと考えたのだが、その嘘は真実を伝えることになり、嘘にはならなかった.
お力は嘘をついて結城を騙そうとしたのではないので、その嘘は嘘にはならなかった.
だったら、初めから嘘を言おうとは考えず、素直に真実を話せば良かったはず.

遊女の世界は、嘘を言うのが正しい世界だったのか.
お力もまた、嘘を言うのが正しいと考えて、結城にあのようなことを言ったのだけど、
結城はお力の嘘を見抜いて、お力の心は伝わったので、一見お力は正しかったに思えたけれど、
けれども、嘘を言うのが正しいことなんてあり得ない.

遊女の世界だけに限って言えば、
遊女の世界は、お力も言っていたが、本当のことを言っていたらお客なんかこない.けれども、だからといって、嘘を言うのが正しいことに思い込んでいるとしたら、間違っている.
私が付け加えれば、確かに、嘘を言ってバカなお客を喜ばせるのが彼女たちの仕事なのだけど、それと人を騙すために言う嘘は別である.
結城は独身なので妻にして欲しい、源七には妻があったので妾にして欲しいと言えば良かったのだけど、お力は言わなかったので、こんなことになってしまった.
お力は源七が好きなので、源七を騙したわけではなく、悪いのは全て源七ではないかと思っていたのだけど、あんな店に通いつめて布団屋をつぶす前に、源七に店に来るのを止めるように言わなければならなかったはず.好きな相手ならちゃんと言わなければ.こんな店に通いつめるくらいなら、妾にして欲しいと言うべきだったのでしょう.
私の家系は3代続くきちがい、自分の正しいと思ったことをすると不幸になると考えて言わなかったのか、あるいは言ったにしてみても、お力のあの話し方では分らなかったのか.
源七の妻は言っていた.もとのような立派な店を構えて、女でもなんでも囲って好きにしたらいいと.
お力は妾が嫌なので、源七に妾にして欲しいと言わなかったのかも、言ったのに相手に理解できなかったのかも、あるいは思いつかず言わなかったのか、どれでも同じこと、言わなかったのでこんなことになった.
源七はお力に妾になれと言ったのに、お力が「うん」と言わなかったので、源七はお力を自分のものにしようと通いつめ、布団屋をつぶしてしまった.と、考えるのが一番自然でしょう.
お力は源七を騙し、そして結城も、見事に騙している.
源七がお力に妾になれと言ったのに、お力は「その返事はまた今度」と、思わせぶりな答えを繰り返していた.お力には妾になるつもりはなかった.(「お前は気位が高いから源さんとは一緒になろうとは思うまい」と、同僚の遊女のお高が言っているらしい)
逆に結城には妾にして欲しいと言ったけれど、結城は独身なので、妻になれというのが分っていた.分っていて妾になりたいと言ったのだ.

もう一度振り返って、
簡単に言ってしまえば、遊女の姿を克明に描いた作品である.一言付け加えれば、遊女が男を騙す姿を克明に描いた作品である.そして私も騙されました.

『お手紙差し上げようかどうしようか、随分迷っておりましたが、今朝『鳩のごとく素直に、蛇のごとく悟かれ』と言うイエスの言葉をふと想いだし、お手紙差し上げることにしました.直治の姉でございます.憶えておいででしょうか、お忘れでしたら思い出してください』
太宰治の斜陽の一節で、たしか没落した貴族の女は、自分を妾にして欲しい、と手紙を書いた初めの部分のはず.素直な気持ちがにじみ出ている.

お力は決して結城を騙そうとしたわけではない、嘘を言おうとしたのではないのですが、けれども素直に自分の心を語ろうとしたかというと、全くその逆であった.

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余談になりますが、
勝ちたい、勝ちたい一心で、勝てる、勝てると嘘を言って行ったのが、太平洋戦争です.天皇以下国民全てが嘘つきであったと言ってよいと思います.

日清戦争は、天皇が伊藤博文にやめさせろ言ったのですが、伊藤博文が全責任を負うという事で行われました.
日露戦争は、いざというときのお覚悟を、と、伊藤博文は天皇に言ったそうです.

日清戦争は、勝ち負けの結果よりも(と共に)、日本は戦争の経済に対する影響を怖れていて、賠償金をとって終わらせる道をとりました.三国干渉に対しても同様に、こじれると清が賠償金を払わない可能性があるので、受け入れたのです.
結果、清は干渉を行った三国から借金をして、日本に賠償金を払ったので、日本の判断は正しかったと言えるのですが、後々まで日本は三国干渉を屈辱と考えていて、北支那事変で北京進駐を行うことになります.そして、太平洋戦争へ.....