映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

帰郷 (大庭秀雄 1950年11月25日 104分 松竹)

2015年01月23日 02時49分28秒 | 大庭秀雄
『帰郷』
監督  大庭秀雄
製作  小出孝
原作  大佛次郎
脚本  池田忠雄
撮影  生方敏夫
音楽  吉沢博

出演
     木暮実千代
     津島恵子
     佐分利信
     徳大寺伸
     三井弘次
     山村聰


戦友の男を鎌倉に訪ねて、一緒に仕事をしようと誘ったけれど、「お前のお金は」と言って断られた.彼は、はっきりは描かれないけれど、博打で金を稼いで生きてきたのでしょう.
他方、女は、軍部に寄生して、戦争に寄生して金を稼いで来たのだけど.

公金横領の金を博打で稼ごうとして、失敗し、自分の全てを、家族を捨てなければならなくなってしまった男.
最後はインチキのトランプで、互いに好き合った男女なのに、その相手も捨てざるを得なかった.なぜって、一生、一人で娘のことを思い続けて生きて行くと言ったのだけれど.....
博打で人生を決めることはないし、博打で人生を決めてはいけないし、人生を決めるような博打をしてはいけない.
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この映画、ルーレット賭博で始まり、トランプの賭博で終わります.

描かれた女を今一度考えてみれば.....
戦地で日本の軍人相手に酒場を経営していた様だけど、それに留まらず、憲兵の手先になって、日本軍にとって好ましくない男を探るスパイもしていたらしい.
もう日本が負けることは誰にでも予想つく戦況になって、女は日本に持ち帰るべく、ダイヤモンドを買いあさっていた.
男と女の出会いは、決してスパイが目的ではなかったのだが.けれども、ダイヤモンドの件を脅されて、女は憲兵隊に男を売ってしまった.

日本に帰った女は、娘に出会い、やはり日本に戻っていた男の居所もつきとめる.
娘に親切にし、ダイヤモンドの指輪を与えたのは、女の良心の呵責からであろうが.けれども、娘は指輪を返そうと思っていたし、女が手下のように使っていた学生の男は、卑劣に近い手段で娘に迫った.この女、果たして許されるのかどうなのか.....
女は娘と一緒に京都まで出掛けはしたが、その時は男に会おうとはしなかった.決意を新たに男に会いに行った女であったが、男に許しを求めに行ったと言うよりは、むしろ、自分で自分に許しを求めるために会いに行ったと考える方が自然なのではないのか.
こう考えれば、なぜ男は、イカサマ博打で女を振り切って行ったのかも、自然に導き出されることになる.男は自分で自分を許すことなく、女を振り切って行ったのである.
そして、何を自分で自分が許すことが出来なかったかと言えば、自分の人生を狂わせ、妻、娘を苦しませることになった間違い、公金横領の負債を博打で取り返そうとした、自分の人生を博打に頼った、その行為に他ならないと言える.

雪国 (岩下志麻 1965年4月10日公開 113分 大庭秀雄)

2015年01月23日 01時34分58秒 | 大庭秀雄
『雪国』
監督  大庭秀雄
製作  山内静夫
原作  川端康成
脚本  大庭秀雄
    斎藤良輔
撮影  成島東一郎
美術  芳野尹孝
音楽  山本直純

出演
岩下志麻
木村功
加賀まり子
沢村貞子
早川保
柳沢真一
桜京美


誠実

葉子は行男を誠実に看病し、死後も墓参りを欠かさなかった.一人の男を純真に好きになった女であり、また、弟ことを親身になって心配する姉でもあった.
他方、駒子は、行きずりの男、島村に抱かれた身勝手な女、酒の上で男を騙し、旦那を裏切った身勝手な女ではあるが、島村を好きな心は純真であり、養母の家庭を救うために芸者に身を落とし、実の家族を助けるために年季奉公にでた、生きることに対して誠実な心を持った女性であったと言える.

この二人の女に対して島村はと言えば、妻にきちんと手紙を書く誠実さを持ち合わせていたとは言え、所詮は浮気者であり、駒子の立場から言えば浮気者を許せたとしても、駒子に対する誠実さは何も持ち合わせていなかった.鳥追祭りに来るという約束を守らず、1年間音沙汰が無く、ある日突然やってくる男であった.

ちぢみを織る人達の姿に重ねて、島村自身が自覚することなのだけど、駒子も葉子も幸せな巡り会いをすれば、一人の相手を愛し幸せな家庭を持った女であったはずであり、幸せに巡り会えなくても、誠実さを失わないで生きて行こうとする、あるいは誠実さを追い求めて生きている女であった.
人それぞれに、置かれた境遇の中で誠実に生きている.それに対して島村は、幸せな家庭を持ちながらも、駒子にも、葉子に対しても誠実さを持ち合わせてはいなかった.

「君を友達と思いたいからだ.君を友達と思えば口説かずに済む」、駒子に芸者を頼んだとき島村はこう言ったのだけど、一見、駒子に対する誠実さがあるように思え無くもないけれど、田舎の温泉宿で思いもよらぬ美人に巡り会って、所詮は一目惚れした女を口説く言葉に過ぎなかったのか.
島村は、駒子のことを東京の喫茶店で友人に話していたが、声高に笑いはしないにしても、駒子が言うように、おもしろおかしい出来事として話していたのだと思える.

駅まで見送りに来た駒子を、行男を容体が悪くなったと迎えに来たとき、彼女は帰ろうとはしなかった.葉子は一人の女として行男に誠実に尽くしていたのであり、駒子にしてみれば二人の女の誠実さを求める行男に、尽くす気になれなくて当然であろう.