映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

愛怨峡 (溝口健二 新興キネマ 1937年6月17日 108分)

2018年03月20日 22時53分32秒 | 溝口健二
『愛怨峡』
公開 1937年6月17日 108分

監督   溝口健二
原作   川口松太郎
脚色   依田義賢
     溝口健二
撮影   三木稔
美術   水谷浩
編集   板根田鶴子
     近藤光夫
音楽   宇賀神味津男
助監督  高木孝一
     関忠果

出演   山路ふみ子
     河津清三郎


『浪華悲歌』
女は自分を好きな男、自分と結婚したい男なら自分をかばってくれるはず、と考えていたのであろう.好きな男に美人局の片棒を担がせ、そして、警察に捕まったとき、『なぜ、あんなことをしたのか正直に言え』と警察で問われて、彼女は、『あの人と一緒になりたいから、あんなことをした』と、答えたのだった.
けれども男は、『彼女に躍らされただけで自分は何も知らない.こんなことが知れたら会社を首になってしまう』と、女との関係を否定して、彼女の前から去っていった.


『愛怨峡』
仕事の世話をしてくれるという甘い言葉に引っかかり、悪人に騙されそうになった女.その女を救うために悪人を刺して、刑務所に行くことになった男.刑務所から出てきた男は、酌婦に身を持ち崩した女に優しく尽くすのだけど、けれども、女はこう言うのだった.
『あんた、なぜ私につくしてくれるの.もう私、男はこりごりだから、私に優しくしても無駄よ』
女は身を持ち崩したにしても、決して男に頼らずに、自分の力で子供を育てて行こうとしていた.

やがて二人は旅芸人の一座に加わり、漫才のコンビを組むことになった.演ずるものは二人の人生.掛け合い漫才を通して描かれたのは、互いに助け合って生きる男女の姿であり、同時に、決して男に頼るのではない、一人の人間として自立して生きて行く女の姿でもあった.