揺れる大地 - LA TERRA TREMA - (1948年 161分 イタリア)
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 サルボ・ダンジェロ
原案 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ
アントニオ・ピエトランジェリ
撮影 G・R・アルド
音楽 ウィリー・フェレーロ
助監督 フランチェスコ・ロージ
フランコ・ゼフィレッリ
出演 アントニオ・アルチディアコノ
ジュゼッペ・アルチディアコノ
アントニーノ・ミカーレ
『反抗という言葉も知らない純朴な住民たちだった』、沿革を示すこの言葉からこの映画は始まる.
不正ばかりで、安く魚を買いたたく仲買人に反抗する.初めはみんなで力を合わせて仲買人に立ち向かった.漁師たちは団結して仲買人に反抗した.けれども、自分達の手で直接、街で魚を売ろうと考えたのだが、元手になる資金を必要とすることに対しては、仲間は集まらなかった.皆に手本を示そうと一家だけで事業を始めた.大漁に巡り会い、いったんは事業が成功したかに見えたけれど、嵐に遭い一転して全てを失う事に.
アントーニの好きな女.いったんは結婚を決意したかに思えた彼女は、没落と共に会おうともしなくなった.彼女にとってお金が幸せであったようだ.
長女が想いを寄せる職人の男は、一家の事業が成功したかに見えたとき、豊かな家の女と貧乏な自分を意識して結婚をあきらめる.やはり、お金と幸せを結びつけて考えたようだ.
妹はスカーフ一枚を欲しがって、警察署長の誘惑に乗ってしまう.お金.
弟はお金を稼いで一家を救うべく、怪しげな一味に加わる決心をして家を出る.お金.
地元の住民たちは、一度は成功したかに見えたときの妬みから、誰も彼らを雇おうとしない.
家を差し押さえられ全てを失う一家、アントーニはいたたまれなくなり、浮浪者と一緒に酒浸りの生活になる.
アントーニは船を観たくなった.彼は船の持ち主になった家の娘と出会う.
少女「助けてあげたいけど」
アントーニ「子供じゃあ無理だろう」・・・・・
アントーニ「愛し合って、団結するようにならんと、世間もよくなるまいよ」・・・・・
少女「また見に来てね」
「子供じゃあ無理だろう」なぜ、アントーニはこう答えたのか.子供ではお金を持っていないから、子供ではお金を稼ぐことができないから、だからこんな言葉になったのではないのか.
お金で幸せは買えない、お金以前に、もっと皆が助け合わなければ、こう、映画全体に描き込まれているけど、アントーニ自身がお金で物事を考える人間だったのではないのか.
「愛し合って、団結するようにならんと」と、アントーニは言った.「愛し合って、団結する」事は、お金ではないはず.
「助けてあげたいけど」この少女の言葉が、こう、優しく声をかけることが「愛し合って、団結する」事なのだ.
船を観たくなった、とは、漁に行きたくなった.彼は有能な漁師、その彼が船を観たくなったとは、つまり、頑張って漁をしていた頃の自分を思い出した、あるいは、船を観れば自然と思い出すと言って良いはず.「また見に来てね」と、少女は声をかけた.この言葉は、もう一度、漁に行きなさい、彼にしてみれば、こう、言い聞かせるように受け取られたのでしょう.
恥も外聞もない.如何に罵声を浴びようが、貧乏のどん底から抜け出すには、残った家族が力を合わせて働くしかない.彼らにとっては、もう一度漁に出るより他はない.こうすることが、家族が愛し合って団結することでした.
この映画で描かれた反抗とは団結して戦うことだった.団結して仲買人に対して皆が一緒に戦ったけれど、その団結は、お金が欲しいと言う目的で、皆が一致したからにすぎなかった.けれども、お金だけが目的の結びつきは、お金のバランスが崩れたとき、その団結もバラバラになってしまったのだ.
お金以前に、皆が助け合う心を持つこと、皆が助け合う心で団結することが、何より大切な事である.
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 サルボ・ダンジェロ
原案 ルキノ・ヴィスコンティ
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ
アントニオ・ピエトランジェリ
撮影 G・R・アルド
音楽 ウィリー・フェレーロ
助監督 フランチェスコ・ロージ
フランコ・ゼフィレッリ
出演 アントニオ・アルチディアコノ
ジュゼッペ・アルチディアコノ
アントニーノ・ミカーレ
『反抗という言葉も知らない純朴な住民たちだった』、沿革を示すこの言葉からこの映画は始まる.
不正ばかりで、安く魚を買いたたく仲買人に反抗する.初めはみんなで力を合わせて仲買人に立ち向かった.漁師たちは団結して仲買人に反抗した.けれども、自分達の手で直接、街で魚を売ろうと考えたのだが、元手になる資金を必要とすることに対しては、仲間は集まらなかった.皆に手本を示そうと一家だけで事業を始めた.大漁に巡り会い、いったんは事業が成功したかに見えたけれど、嵐に遭い一転して全てを失う事に.
アントーニの好きな女.いったんは結婚を決意したかに思えた彼女は、没落と共に会おうともしなくなった.彼女にとってお金が幸せであったようだ.
長女が想いを寄せる職人の男は、一家の事業が成功したかに見えたとき、豊かな家の女と貧乏な自分を意識して結婚をあきらめる.やはり、お金と幸せを結びつけて考えたようだ.
妹はスカーフ一枚を欲しがって、警察署長の誘惑に乗ってしまう.お金.
弟はお金を稼いで一家を救うべく、怪しげな一味に加わる決心をして家を出る.お金.
地元の住民たちは、一度は成功したかに見えたときの妬みから、誰も彼らを雇おうとしない.
家を差し押さえられ全てを失う一家、アントーニはいたたまれなくなり、浮浪者と一緒に酒浸りの生活になる.
アントーニは船を観たくなった.彼は船の持ち主になった家の娘と出会う.
少女「助けてあげたいけど」
アントーニ「子供じゃあ無理だろう」・・・・・
アントーニ「愛し合って、団結するようにならんと、世間もよくなるまいよ」・・・・・
少女「また見に来てね」
「子供じゃあ無理だろう」なぜ、アントーニはこう答えたのか.子供ではお金を持っていないから、子供ではお金を稼ぐことができないから、だからこんな言葉になったのではないのか.
お金で幸せは買えない、お金以前に、もっと皆が助け合わなければ、こう、映画全体に描き込まれているけど、アントーニ自身がお金で物事を考える人間だったのではないのか.
「愛し合って、団結するようにならんと」と、アントーニは言った.「愛し合って、団結する」事は、お金ではないはず.
「助けてあげたいけど」この少女の言葉が、こう、優しく声をかけることが「愛し合って、団結する」事なのだ.
船を観たくなった、とは、漁に行きたくなった.彼は有能な漁師、その彼が船を観たくなったとは、つまり、頑張って漁をしていた頃の自分を思い出した、あるいは、船を観れば自然と思い出すと言って良いはず.「また見に来てね」と、少女は声をかけた.この言葉は、もう一度、漁に行きなさい、彼にしてみれば、こう、言い聞かせるように受け取られたのでしょう.
恥も外聞もない.如何に罵声を浴びようが、貧乏のどん底から抜け出すには、残った家族が力を合わせて働くしかない.彼らにとっては、もう一度漁に出るより他はない.こうすることが、家族が愛し合って団結することでした.
この映画で描かれた反抗とは団結して戦うことだった.団結して仲買人に対して皆が一緒に戦ったけれど、その団結は、お金が欲しいと言う目的で、皆が一致したからにすぎなかった.けれども、お金だけが目的の結びつきは、お金のバランスが崩れたとき、その団結もバラバラになってしまったのだ.
お金以前に、皆が助け合う心を持つこと、皆が助け合う心で団結することが、何より大切な事である.