映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

巴里祭 (フランス 公開1933年 91分 ルネ・クレール)

2013年02月10日 11時37分30秒 | ルネ・クレール
巴里祭 - QUATORZE JUILLET - (1933年 91分 フランス)

監督   ルネ・クレール
脚本   ルネ・クレール
撮影   ジョルジュ・ペリナール
音楽   モーリス・ジョーベール

出演
     アナベラ
     ジョルジュ・リゴー
     レイモン・コルディ
     ポーラ・イルリ
     レイモン・エイムス


喧嘩と仲直り

窓を開けて、向かいに住むアンナと顔を合わせたジャン.おばさんが掃除にやってきて、風に吹かれて女の写真が落ちた.
ジャンは写真を立てかけたのだけど、出かけるときにドアを開けると、また風に吹かれ落ちたのだった.
『あれ、ない.持ってたんだ』
『なに?、写真?』
『覚えてるだろ、よく来てた栗色の髪の女、同棲してただろう』
『それで』
『出てったよ』
『ああ、そうだったね』
『ああ、あった』、踏んづけていた写真を見つける.
『何が?』
『写真さ』
『捨てたんだね』
『じゃ、もう愛してないんだね』
『厄介払いだ』
二人のおばさんの、やっかみに満ちた様な会話なのですが、でも、第三者の視点から、結構正しい事を言い表しているのではないでしょうか?.
風に吹かれて落ちた写真を拾い上げて、ジャンは眺めていた.そしてもう一度、立てかけて置いた.
出かけるときになって、また落ちた写真.彼は拾い上げ、しばらく写真を眺めていたけれど、アンナが鳴らすクラクション、写真を床にほかって部屋を出ていったらしい.
写真が飾ってあったと言うことは、彼はポーラに未練があったに他ならない.アンナに巡り合って彼女と仲良くなったので、突然戻ってきたポーラは邪魔だった.おばさんが言うように、厄介払いしたくって追い出そうとした様に思えるけれど.

明日、アンナと踊りに行く約束をしたジャン.彼が部屋に戻ると、勝手に出ていったポーラが戻って来ていて、ベットに寝そべっていた.
『何しに』
『あんたに会いに』
『出て行け』
ジャンはポーラと大喧嘩をして、出て行けと言ったけれど、どうしてもポーラは出て行かなかった.
『明日までだ』、そう言って、彼はポーラを残し散歩に出て行ったのだった.

母親が病気になり、踊りに行けなくなったアンナはジャンに知らせに来た.けれども、彼の部屋に女が居たことを知り、帰り際にはその女に出会う.
おばさん達は、アンナとポーラが顔を合わせ、喧嘩になることを期待したけれど、アンナは身を隠して、喧嘩にならなかった.
しかしアンナは、散歩から戻ってきたのであろうジャンと、喧嘩してしまったのだった.
あのおばさん達の話は、妬みに満ちて他人の不幸を願う、悪いことを言っているように思えたけれど、単純にそう言いきることもできないらしい.おばさん達の期待に沿うように、女同士で喧嘩した方が、良かったのではないのか?.

『ジャン、ジャン』母親が死んで、アンナは窓から彼の名前を呼んだのだけど.けれども、彼は祭りの広場にいたのだった.悪人の親分と一緒にいたポーラは、『ジャン』と呼びながら、ジャンに寄っていった.

誤解からジャンと喧嘩してしまったアンナ、と言いたいけれど、昨夜はあんなに嫌っていたポーラを、アンナと喧嘩したことによって、簡単に受け入れてしまったジャンも、許されないものがあると言わなくてはならない.彼が部屋にいれば、アンナが助けを呼んだとき、また二人は仲直りができたはずであり、誤解も解けたはすである.

泥棒の稼ぎの指輪が欲しくて、ポーラは親分に言い寄って行った.ジャンは再びポーラと別れるつもりになったのだろうか.彼はアンナに会いたくて元の部屋に戻ってみたのだけど、向かいのアンナの部屋には別人が住んでいた.気落ちしたジャンは、悪の仲間に戻って行っていた.それまでは、稼ぎの悪いこそ泥だったジャンが、だんだんと悪の道に身を堕として行くのか、いよいよ強盗の初仕事だった.
アンナが勤めている店とは、知らずにいたジャンなのだけど.
『今度いつ会える』
『もう会いたくない』
『無理もない』
やっとジャンは、悪の仲間と手を切らなければ、アンナに嫌われても当然と悟り、アンナもまた、悪の仲間にいても、悪いやつと喧嘩をして自分を救おうとしたジャンを、好きになることができた、と言うことなのでしょう.

本当は誰とでも喧嘩をしてはいけないと言いたいのですが.けれども悪いやつとは喧嘩してでも、きちんと別れなければいけない.
当然なことだけど、好きな相手とは、決して喧嘩をしてはいけない.
喧嘩をしても、どうしたら仲直りできるか、考えなくちゃいけない.
少し言い換えれば、
悪いやつとは喧嘩別れで構わない.
けれども、好きな相手とは、喧嘩別れをしてはいけない.

書き添えれば、あのお爺さん.いきなり女の子にキスしようとして、初めは許す事ができなかったけれど、でも、それほど悪い人でもなかったみたい.優しく接すれば、優しく答えるお爺さんだった.なにがなんでも喧嘩をしなければならない相手ではなかったでしょう.
お釣りをいっぱい貰ったけれど、元を質せばお爺さんのせいで、お店で花を売ることができなくなったのだから、貰っておいても構わないはず.
ダンスホールの出来事も、アンナは、あんな風に喧嘩することも、なかったのではないか?.お爺さんとはともかくとして、お店の人とは、仲直りのできないような喧嘩を、してはいけなかったはずである.

2016/04/03
悪い女(悪い奴等)とキッパリと別れないと、幸せにはなれない.
勝手に出ていってしまった女、悪い女のはずなのに彼には未練を絶ちきれず、部屋には未だ女の写真が飾ってあった.けれども、彼は向かいの家の女の子アン好きになって、戻ってきた女を何とかして追い払おうとした彼だった.
しかし、アンと喧嘩をしたら、また悪い女とよりが戻ってしまい、更には女の手引きで悪党仲間に引き込まれてしまった.そして、女が悪党のボスと仲良くなって、結局は女とは別れたのだけど、それでも彼は、悪党の仲間から抜け出すことが出来ずに居た.

彼は悪党仲間を裏切って、どうにかアンを救ったのだけど、けれども今度は、店の主人にアンが泥棒の仲間と思われて、アンは首になってしまった.好きな女の子に巡り合ってから、悪い女と別れようとしても遅い.悪党の仲間から抜けようとしても遅いのだ.
何よりも先に、悪い女(悪い奴等)とキッパリと別れないと、幸せにはなれない.

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この作品を、チャップリンの『街の灯』からのパクリだと言う人がいるのですが、それは違うと思います.
『街の灯』は、酔っ払いの金持ちを助けたので、そのお礼にお金をもらっても当然であり、一度くれると言いながら気が変わったのだから、盗んだのではないと言いたいようなのですが、盗んだお金に変わりはありません.あの映画の幸せは、救われた娘が、自分を救うために男が何をしたかを知らないから成り立つペテンであり、現実の世の中では泥棒をする以外に、あんな風に大金が手に入ることもあり得ないでしょう.(私も騙されました)
泥棒をして幸せになったのではいけない.だから、ルネ・クレールは、この映画を撮ったのだと思います.
この映画は、ジャンが強盗をして、アンナに嫌われてしまったけれど、彼は自分の力で真面目な生活に戻りました.そして二人が再びアンナと巡り会うことができた、そこに好き合った二人の幸せがあるはずです.
元々はアンナににキスしようとした酔っ払いおじさんが悪いのであって、アンナは貰ったお金で元の花家さんに戻ることができたに過ぎません.


アンナと心が通じ合うものがあったのに.....
勝手に出ていった悪い女を、思い切ることが出来ずに居た.








花売り娘の女の子、返すお釣りが無いと言ったら、
酔っ払いおじさんが「すまなかった」と言って、お釣りをくれた.


悪いのは酔っ払いおじさん.酔っ払いおじさんがキスしようとしたから、アンナはレストランで花を売ることができなくなった.彼女は酔っ払いおじさんから沢山お釣りを貰って、元の花家さんに戻ることができたらしい.


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