映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

女だけの都 - LA KERMESSE HEROIQUE - (ジャック・フェデー)

2013年01月19日 03時02分40秒 | ジャック・フェデー
女だけの都 - LA KERMESSE HEROIQUE - (1935年 114分 フランス)

監督  ジャック・フェデー Jacques Feyder
脚本  ジャック・フェデー
    シャルル・スパーク Charles Spaak
撮影  アリ・ストラトリング
    ハリー・ストラドリング
音楽  ルイ・ベイツ

出演  フランソワーズ・ロゼー Francoise Rosay
    ジャン・ミュラー
    アンドレ・アレルム


勇敢と卑怯ではなくて、勇気と臆病

あの町長、死ぬのは自分一人でいいと死んだふり.勇気があるというよりやはり臆病.画家の男もなかなか結婚話を相手の父親である町長に言い出せなくて、彼も臆病で意気地なしだった.
けれども、意気地なしは卑怯とは違う.町長と助役の肉屋は、結婚を商売の取引に使うのですが、これは許されない卑怯な行為言わなければなりません.
さて、勇敢の方はと言えば、町長の妻は女だけでスペイン軍に立ち向かおうとする、一見勇敢に見えなくないけれど、その実態は女の武器で立ち向かうという、いささか怪しげな手法で、男たちと比べれば、逃げ隠れせず正々堂々と立ち向かう分、勇気のある行為ではあるのですが、勇敢とは言い難いようです.
使用人の娘のお尻を弓で射た男の子、母親一人で行かせまいと自分も一緒に行くと言う.母親は「優しい子ね」とは言ったのですが、勇敢とは言いませんでした.鏡をしっかり持っていて、とは勇気は認めるが、勇敢はたしなめた光景と思えます.

勝手に抵抗してはならないとお触れを出して、自分は死んだふりの町長の行為は、描かれた通りその功労者であると言って良いのですね.公爵は小枝に水をつけ、死んだふりの町長にかけて後は知らん顔.あまりに弱すぎて、相手にするのも馬鹿げた事だったのでしょう.
そして、妻が体を与えて町を守ったのではないはず.母親が子供の幸せを思う心、もう少し広く捉えて、愛するものを守る心が町の幸せを守った、こう言って良いのでしょうか.

まとめましょう.
卑怯は悪、そして愛するものを守る勇気は忘れてはならないけれど、適いっこない相手に立ち向かうことは勇敢であるかもしれないが、本当に勇気のある行為かどうかは怪しい.
卑怯は争いを生む.勇敢に立ち向かえば、やはり争いを生むことになる.けれども、臆病は争いを生みません.結果的に争いを起こさずに、平穏のままスペイン軍は去って行きました.


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