映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

ゲームの規則 (ジャン・ルノワール 1939年 106分 フランス)

2013年02月05日 20時14分06秒 | ジャン・ルノワール
『ゲームの規則』 (1939年 106分 フランス)

監督   ジャン・ルノワール
脚本   カール・コッホ
製作   ジャン・ルノワール
脚本   ジャン・ルノワール
撮影   ジャン・バシュレ
     ジャン=ポール・オルフェン
     ジャック・ルメール
     アラン・ルノワール
編集   マーサ・ユーレ
     マルグリット・ウーレ=ルノワール
美術   マックス・ドゥーイ
     ユージン・ローリー
衣装   ココ・シャネル
音楽   ロジェ・デゾルミエール
スチル写真 アンリ・カルティエ=ブレッソン

出演
マルセル・ダリオ
ジャン・ルノワール
ノラ・グレゴール
ローラン・トゥータン
ポーレット・デュボスト
ミラ・パレリ
オデット・タラザク
ジュリアン・カレット



友情と愛情

登場人物が沢山で、映画が進むにつれて誰が誰だか?
侯爵
書生 オクターヴ
妻 クリスチーヌ
飛行士 アンドレ
召使 リゼット
森番
密猟者 マルソー
姪の ジャッキー
愛人 ジュヌヴィエーヴ

クリスチーヌとリゼット、女同士の会話
『友情をどう考えて?』
『男とのですか、無理ですわ』
なんとなく二人は笑って、話は終わったのだった.

侯爵と愛人との別れ話
『奥さんが怒るのは私達の関係ではなく、結婚当初からのあんたの嘘よ』

リゼットの結婚
『君に来てくれと言っている』、侯爵は森番の手紙の用件を、リゼットに伝えた.
『私が奥様の許を去って?、では離婚します』、リゼットは夫の森番に対して、愛情も友情も抱いていなかった.

クリスチーヌ
『人の首に抱きつく癖がある.子供のようにな』
『パリでは、男の人に愛想よくしてはいけないの?』
彼女は、自分の国に居たときと同じように、誰にでも愛想良く接する女性だったようだ.アンドレの気持ちは、友情を愛情と誤解されたものらしいけど、さてどうなのか?.
ともかくは、彼女も、夫の侯爵も、オクターヴの希望に沿って、アンドレをコリニエールに招待することにした.

アンドレとジャッキー
アンドレがジャッキーに射撃を教えていたけれど、ウサギは逃げていった.良かった.
『君ほど優雅な不器用はいない』
『本当?』
『そうとも』
『またヘマをしたわ』
『なぜ』
『キスが楽しみよ』
『ジャッキー、僕は君を愛していない』
『知ってるわ、伯母とは時間の損よ』
『君には何も隠せん』
『あなたの悩みは、私の悩みよ』
ジャッキーはアンドレの心を正しく知っていた.だからこそ、アンドレを正しく愛していたと思えるけれど.

クリスチーヌとジュヌヴィエーヴ
ひどく面白い光景を目撃することによって、夫の浮気を知ったクリスチーヌは、愛人ジュヌヴィエーヴに会いに行き、率直に話し合うことにした.
『私は人の邪魔になる妻?』
『なぜ私の邪魔に?』
『夫とあなたの交際を邪魔したことがあって?』
『知ってたの?』
『誰でもよ』
真実を知ると、友情が生まれると言ってよいのか、二人は女同士、理解し合ったのだった.

パーティの騒動
妻と夫の愛人、二人は話し合うことによって、女同士では理解し合ったのだけど、けれども、彼女が夫を許したかどうかは、また別の問題であった.
『奥さんが怒るのは私達の関係ではなく、結婚当初からのあんたの嘘よ』
愛人ジュヌヴィエーヴは、別れ話をする侯爵にこう言ったのだけど、この言葉の通り、クリスチーヌは侯爵を許せなかったらしい.彼女はパーティを抜け出して、サン=トーバンと言う男と逢い引きを、そして、リゼットと森番とマルソーの騒動も合わせて、騒ぎは拡がって行く.
サン=トーバンと一緒にいるクリスチーヌを見つけたアンドレ.その後を、ジャッキーも追ってきた.
殴り合いの喧嘩の末、クリスチーヌを取り戻したアンドレ.クリスチーヌはアンドレに対する愛を語り、今すぐ逃げようと行ったのだが、アンドレは自分を招待してくれた侯爵から、断りなしにその妻を連れ去ることはできないと言ったのだった.
『話をしたい』とアンドレは公爵に言ったけれど、二人は殴り合いの喧嘩を始めてしまった.その間に、クリスチーヌはオクターヴと庭へ出ていった.
庭先に居る二人をリゼットが探しに来た.
『奥様とご結婚前からです.海水浴が縁でしたわ』
『誰でも知ってるわ.私に隠してたのね』
『奥様のためです』
『そうだよ』
『3年間、私は欺され続けてきたのよ』
クリスチーヌは、夫の浮気を二人に確かめ、オクターヴ、リゼットの二人も、隠していたことが明かになった.

リゼットの浮気
発砲騒ぎによって、森番もマルソーも館から去ることになった.森番もマルソーもリゼットに会えなかったらしい.館の前で出会った二人は、共にリゼットを失った事を知って、仲良くなったのだった.

温室にいるオクターヴとクリスティーヌ、クリスティーヌをリゼットと勘違いした二人.ついさっきまで、ピストルを持った森番に追いかけ回されていたマルソーは、お前のピストルで撃ってしまえと言った.マルソーは男だけを撃てと言い、森番は二人とも撃ち殺すと言った.
人間とはいいかげんで、自分勝手なものなのだけど、それはさておき、元を質せば、リゼットが愛情もないのに森番と結婚したことが、全ての問題の元であったはずだ.そして、夫に友情すらないリゼットは、問題の直中にいながら、自分から問題を解決しようとはしなかった.このことが、悲劇を、より悲劇に導いていったと言わなければならない.

オクターヴはクリスティーヌに愛情も、友情も抱いていたが、クリスティーヌも同じだったはず.男女の間にあっては、愛情も友情も区別のできない感情なのだと思うけど.
大好きな人が他人と結婚すれば誰でも辛い.その辛い感情を抑えるために、愛情を自分で押さえ込んで耐えるのだと思う.だから、クリスティーヌが侯爵と結婚することによって、その分はオクターヴのクリスティーヌに対する愛情は薄らいでいったはず、同時に友情も薄らいで行ったのだろうか.なぜ、オクターヴはクリスチーヌに侯爵に愛人がいることを、隠していたのだろう.

騒ぎの後も、クリスチーヌの元に残ることにしたリゼットは、愛情も友情もない女だったのか.クリスチーヌに愛人の存在を隠し続けてきただけでなく、夫も、マルソーも、捨て去ることにしたのだった.そして、奥様のため、とオクターヴに言った結果が、アンドレが撃ち殺されることになったのだが.

男女の間では、愛情も友情も区別のない心であり、区別しようとする方が間違っているのだと思うけれど.
それはさておき、愛情も友情も、人を欺く心ではないはず.なのに、オクターヴもリゼットも、愛人の存在をクリスチーヌに隠し続けてきた.このことは、騒動を起こす以前の問題であり、クリスチーヌにとって悲劇以外のなにものでもなかった.おせっかいとは悲劇を生みだす感情で、友情とも愛情とも無縁の感情らしい.

侯爵とアンドレは、殴り合いの結果、と言うより、クリスチーヌが居なくなったことを知って、仲直りをしてしまった.
マルソーと森番も、二人ともリゼットに会えないことを知って、仲良くなった.
愛人のジュヌヴィエーヴと、クリスチーヌは率直に話し合って仲良くなった.
互いに共通した愛情があると分ると、友情が生まれてきたらしい.
愛情があるところには、友情もあるのである.クリスチーヌは、夫の浮気を知ったとき、愛人とは話し合ったのだけど、夫を交えて、アンドレ、オクターブとも、皆で話し合えば、こんなことにはならなかったはずである.
オクターブも然り.クリスチーヌが結婚する前に、侯爵に対して、愛人と別れるか、嫌なら自分はクリスチーヌをつれてどこかへ行くと、はっきり言えば、やはり、こんな悲劇は起こらなかったのではないか.

アンドレとジャッキーの様に、互いに相手の気持ちを理解し合っていれば、愛情も友情もいつまでも続くはずである.
問題は愛情が失われたときなのだけど、アンドレとジャッキーの様に、相手に愛情があれば友情を示すことができるとすれば、クリスチーヌが夫の浮気を知ったとき、彼女はやはり第一に、夫と話し合うべきであったのだろう.彼女の愛情は失われても、夫の愛情は失われていなかったのだから、彼女の夫への友情も失われなかったとすれば、悲劇は避けられたと言えるのではないのか.
難しく考えても分らない.ともかく、友情、愛情があるならば、皆で話し合えばよいはずである.

もう一度考えてみれば、
一番いけないのは、愛情もないのに結婚したリゼット、と言うより、そんな結婚を認めている社会的な感覚、悲劇を悲劇と認識しない感覚が、問題と言うべきだと思う.
リゼットだけでなく、侯爵も、クリスチーヌも、オクターヴも、皆が悲劇を悲劇と認識していなかった.その感覚が、悲劇を導き出したと言うべきでしょう.
そして、もう一度書けば、
侯爵とアンドレは、殴り合いの結果、と言うより、クリスチーヌが居なくなったことを知って、仲直りをしてしまった.
マルソーと森番も、二人ともリゼットに会えないことを知って、仲良くなった.
愛人のジュヌヴィエーヴと、クリスチーヌは率直に話し合って仲良くなった.

考え直してみると、どの場合も、悲劇を悲劇として認識したとき、仲直りをしている.アンドレとジャッキーの場合も、『君を愛していない』とアンドレは言ったのだけど、ジャッキーは悲劇としてその言葉を受け取ったはずである.
その逆なのが、リゼット、あるいはオクターヴ.彼らは、侯爵に愛人がいることを隠していたけれど、悲劇を隠していたに過ぎないのであり、結果として、より悲惨な悲劇を、引き起こすことになったと言わなければならない.

クリスチーヌは、愛人のジュヌヴィエーヴと率直に話し合って仲良くなったけれど、夫とは話をせず、相手は誰でもよくて、他の男と逃げるつもりだった.
『私は邪魔をしない』と言う彼女の考えも、悲劇を避けようとしただけだったのかも.

もう一度書いておこう.
愛情も、友情も、人を欺く心ではない.

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『誰もが嘘をつく時代だ.薬剤師の広告、政府、ラジオ、映画、新聞、みなそうだ』
悲劇を隠す嘘が、悲劇をより悲惨な悲劇にする.
ウサギ、キジを撃ち殺す、残酷なシーン.
1939年の作品.迫り来る戦争は、皆が言っているより、遥かに悲惨な結果になると、ジャン・ルノワールは言いたかったのかもしれない.


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