『大いなる幻影』 (1937年 117分 フランス)
監督 ジャン・ルノワール
脚本 ジャン・ルノワール
シャルル・スパーク
撮影 クリスチャン・マトラ
クロード・ルノワール
音楽 ジョセフ・コズマ
出演
ジャン・ギャバン
ピエール・フレネー
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ディタ・パルロ
ジュリアン・カレット
マルセル・ダリオ
ジャン・ダステ
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日本で言えば江戸時代までは、戦争をするのは武士の役目でした.けれども、明治維新によって政治制度が変わることによって、富国強兵の名のもと、一般国民が戦争に駆り出される時代に変わりました.
江戸時代という武士が支配する時代が終わる時、封建制度が崩壊し、例え見かけだけにしても平等な時代に変わった結果、戦争の役目を普通の国民が負うようになりました.
フランスにおいても(ヨーロッパの諸国においても)、この点は日本と同じであったと言ってよいのでしょう.マレシャル中尉等、貴族以外の人間が将校になったことを『革命の恩恵だ』と、ラウフェンシュタイン大尉は言いました.今はなんでも平等の時代である.性病も貴族の特権ではなくなったと、会話の中で言っていますが、やはり、日本と同じように、戦争の役目を貴族だけでなく、皆平等に、一般国民も負うようになったと言ってよいでしょう.
第一次世界大戦は、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたのを契機として、ヨーロッパの各国が次々に国家総動員令を発動し、ヨーロッパ全土に拡大して行きました.そして、戦争終結と共に、貴族社会が崩壊することになったのは、この映画に描かれるところです.
日本の武士と同様に、ボワルデュー大尉、ラウフェンシュタイン大尉に描かれるヨーロッパの貴族にとっても、命をかけて国を守る、国に仕えるのが彼らの役目でした.
ラウフェンシュタイン大尉は、負傷してやけどを負い、貴族であるのに、軍人としてでなく役人としてしか国に仕えることは出来ないのだと言いました.
捕虜になったボワルデュー大尉もまた、軍人としては国に仕えることが出来なくなったのですが、それでも貴族として、国に命を捧げる道を選んだと言ってよいのでしょうか.彼は命を捧げて、普通の国民である将校の、マレシャル中尉とユダヤ人のローゼンタール中尉の脱走を手助けしました.
ラウフェンシュタイン大尉は、同じ貴族として、ボワルデュー大尉に友情を求め、彼だけを優遇しようとしたのですが、それに対しボワルデュー大尉は、差別のない友情によって皆に接しました.そして、貴族として国民を守ることに命をかけたのでした.
ラウフェンシュタイン大尉は友人であるボワルデュー大尉、自分が撃ったボワルデュー大尉が、国民を守るために命をかけたことを知って、彼は改めて、貴族としての自身の役目を自覚したと言ってよいでしょう.
戦争をするのは貴族の役目であり、国民を守るのが貴族の役目である.
「戦争が終わると共に貴族社会も終わる」この、ラウフェンシュタイン大尉の言葉は、貴族社会の終わりと共に、戦争の時代も終わりにしなければならない、こう語っていると言ってよいのではないでしょうか.
ボワルデュー大尉は、母にも妻にもこんな言葉で話す、貴族の話し方で会話をするのだと言いました.ラウフェンシュタイン大尉もまた、貴族としての誇りを失わない人間でした.二人とも、普通の国民とは違う人間であったと言えます.マレシャル中尉は、俺達は金がなくなればただの貧乏人だが、貴族のボワルデュー大尉は、金がなくてもやっぱり貴族だと言いました.つまりは、普通の国民とは違う特別な人間の貴族が、戦争の役目を負っていたのであり、普通の国民が貴族に代わって戦争の役目を負ってはならないのですね.余計な物はいらない.性病が平等になっただけで、十分のはず.
さて、普通の国民として、普通の人間として命をかけて守るべきものは何か.それは、マレシャル中尉とユダヤ人のローゼンタール中尉の逃避行を通して描かれる.
ユダヤ人に対する虐待はナチだけの行為でなく、当時のフランスにおいても差別が行われたのは、やはり映画に描かれています.フランス人とユダヤ人との友情、ドイツ人のエルザとの恋愛は、当時の日本に当てはめれば、日本人と中国人あるいは韓国人との友情、日本人とアメリカ人との恋愛を描いていると言ってよいでしょう.
戦争をするのが特別な人間の貴族の役目であったのならば、普通の国民の役目は平和を守ることでなければなりません.
この映画が公開されたこの年に、ほとんど同時と言ってよい時期に、ドイツによりゲルニカの空爆が行われ、戦闘員、非戦闘員の区別なく犠牲になる、より悲惨な形に戦争が変化して行きました.事実として幻影であった言わなければならないのですが、けれども、だからこそ、と、訴えかけるのがこの映画と言ってよいでしょう.
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監督 ジャン・ルノワール
脚本 ジャン・ルノワール
シャルル・スパーク
撮影 クリスチャン・マトラ
クロード・ルノワール
音楽 ジョセフ・コズマ
出演
ジャン・ギャバン
ピエール・フレネー
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ディタ・パルロ
ジュリアン・カレット
マルセル・ダリオ
ジャン・ダステ
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日本で言えば江戸時代までは、戦争をするのは武士の役目でした.けれども、明治維新によって政治制度が変わることによって、富国強兵の名のもと、一般国民が戦争に駆り出される時代に変わりました.
江戸時代という武士が支配する時代が終わる時、封建制度が崩壊し、例え見かけだけにしても平等な時代に変わった結果、戦争の役目を普通の国民が負うようになりました.
フランスにおいても(ヨーロッパの諸国においても)、この点は日本と同じであったと言ってよいのでしょう.マレシャル中尉等、貴族以外の人間が将校になったことを『革命の恩恵だ』と、ラウフェンシュタイン大尉は言いました.今はなんでも平等の時代である.性病も貴族の特権ではなくなったと、会話の中で言っていますが、やはり、日本と同じように、戦争の役目を貴族だけでなく、皆平等に、一般国民も負うようになったと言ってよいでしょう.
第一次世界大戦は、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたのを契機として、ヨーロッパの各国が次々に国家総動員令を発動し、ヨーロッパ全土に拡大して行きました.そして、戦争終結と共に、貴族社会が崩壊することになったのは、この映画に描かれるところです.
日本の武士と同様に、ボワルデュー大尉、ラウフェンシュタイン大尉に描かれるヨーロッパの貴族にとっても、命をかけて国を守る、国に仕えるのが彼らの役目でした.
ラウフェンシュタイン大尉は、負傷してやけどを負い、貴族であるのに、軍人としてでなく役人としてしか国に仕えることは出来ないのだと言いました.
捕虜になったボワルデュー大尉もまた、軍人としては国に仕えることが出来なくなったのですが、それでも貴族として、国に命を捧げる道を選んだと言ってよいのでしょうか.彼は命を捧げて、普通の国民である将校の、マレシャル中尉とユダヤ人のローゼンタール中尉の脱走を手助けしました.
ラウフェンシュタイン大尉は、同じ貴族として、ボワルデュー大尉に友情を求め、彼だけを優遇しようとしたのですが、それに対しボワルデュー大尉は、差別のない友情によって皆に接しました.そして、貴族として国民を守ることに命をかけたのでした.
ラウフェンシュタイン大尉は友人であるボワルデュー大尉、自分が撃ったボワルデュー大尉が、国民を守るために命をかけたことを知って、彼は改めて、貴族としての自身の役目を自覚したと言ってよいでしょう.
戦争をするのは貴族の役目であり、国民を守るのが貴族の役目である.
「戦争が終わると共に貴族社会も終わる」この、ラウフェンシュタイン大尉の言葉は、貴族社会の終わりと共に、戦争の時代も終わりにしなければならない、こう語っていると言ってよいのではないでしょうか.
ボワルデュー大尉は、母にも妻にもこんな言葉で話す、貴族の話し方で会話をするのだと言いました.ラウフェンシュタイン大尉もまた、貴族としての誇りを失わない人間でした.二人とも、普通の国民とは違う人間であったと言えます.マレシャル中尉は、俺達は金がなくなればただの貧乏人だが、貴族のボワルデュー大尉は、金がなくてもやっぱり貴族だと言いました.つまりは、普通の国民とは違う特別な人間の貴族が、戦争の役目を負っていたのであり、普通の国民が貴族に代わって戦争の役目を負ってはならないのですね.余計な物はいらない.性病が平等になっただけで、十分のはず.
さて、普通の国民として、普通の人間として命をかけて守るべきものは何か.それは、マレシャル中尉とユダヤ人のローゼンタール中尉の逃避行を通して描かれる.
ユダヤ人に対する虐待はナチだけの行為でなく、当時のフランスにおいても差別が行われたのは、やはり映画に描かれています.フランス人とユダヤ人との友情、ドイツ人のエルザとの恋愛は、当時の日本に当てはめれば、日本人と中国人あるいは韓国人との友情、日本人とアメリカ人との恋愛を描いていると言ってよいでしょう.
戦争をするのが特別な人間の貴族の役目であったのならば、普通の国民の役目は平和を守ることでなければなりません.
この映画が公開されたこの年に、ほとんど同時と言ってよい時期に、ドイツによりゲルニカの空爆が行われ、戦闘員、非戦闘員の区別なく犠牲になる、より悲惨な形に戦争が変化して行きました.事実として幻影であった言わなければならないのですが、けれども、だからこそ、と、訴えかけるのがこの映画と言ってよいでしょう.
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