父は今、介護施設で全面的な介護を受けており、コロナ禍で面会もままならず入所した去年の夏以来、顔を見たのは2回。それもアクリル板越しに15分でした。入所する少し前に父から手渡された分厚い日記帳は「これ読んでみろ」と言われ、自分の日記を人に読ませたいのかな?と思いつつそのまま受け取りました。その後、色々あって今の施設に入った訳ですがその諸手続きやら、住まいの片付けやらで忙しく日記を開いたのはつい最近のことでした。その書き始めは昭和54年、いまから43年も前で父が51歳。まだまだ働き盛りの頃ですがその時は訳あって一人暮らしを余儀なくされていた父でした。日暮里の3階建てのアパートで洗濯物を干すのは屋上の共用部分。竿は個人持ちで二本ほど置いてあったそうです。その日の日記のタイトルは
「物干し竿事件」
かいつまんで要約すると父が洗濯物を干していたら、別の階のおばさんが来て「それはうちの竿なのに、なぜあなたは前から使ってるのですか?」と怒りをあらわにされたそうです。父はまだボケる年でもなくその竿は間違いなく自分が持ってきて掛けた竿であると主張したのですが、おばさんも一歩も引かず、そのうちそのおばさんのご主人も現れて言い合いが続くかと思いきやご主人はさらっと「もう一本あるからそっちを使えばいい」と奥さんに促してその場は収まったのですが、どうにも腹の虫が収まらない父は、翌日大家さんに確認しました。すると「あーあのうちの竿はもっとずっと古いので、風が強かった日にうちの庭に飛んできて、そのままになってます。ちょっと変わった方なんで関わらない方がいいですよ」とか。。。。父のほくそ笑む顔が浮かびます。そしてまた翌日、屋上に上がるともう一本の竿が無くなっており、それはどうやら大家さんの所有物だったようです。思い込みで怒るおばさん、関わりたくないからと落ちてきた竿を知らせない大家さんそして、巻き込まれた父とこうして物干し竿事件は起こったのでした。その後、どうなったかは書かれていませんが父の腹の虫は収まったようで、めでたしめでたし?こんな話が幾つも日記に書かれていて、下手な小説より楽しめる私でした。それにしてもご近所付き合いの難しさよW またいつか続きのその2を紹介したいと思います。