気のせいか、現実かは自ら判断するものではない。
邪気は意識せずとも、覆い被さってくるものだ。
素人判断が一番厄介である。
いいかげんな方法で取り除こうとすると身体の軸を狂わすだけだ。
一旦身体の軸が狂うと本当に厄介である。
数種の祓法を実施するも、身体が反応しないことがある。
だが、役目がある者は、必死になってこれを取り除こうとする。
それが、今世に存在する理由だからだ。
自分の歩む道は自分で見極めるしかない
他人の意見を聞くのも大事だが最終的には自分自身の信念だ
良い道も
悪い道も
全ては自分の責任の下に成立する
信念を貫き通すことが唯一の正しき道である
世の中には、欲というものが存在する。
意識しようがしまいが、欲というものは存在する。
欲のない、または欲をもたない人間は皆無に等しい。
魂の浄化は、少なくとも数百年はかかるものだ。この世にいる内に浄化させることは非常に難しい。いや、敢えて難しくしているのだ。
唯一の手段は、心穏やかに暮らすことだ。
人間界には、それを気づかせる役目の者が存在する。
以前にも、この場を通して伝えたことがある。その者と縁があるか無いかは、日頃の心の持ち方だ。信仰心とは違う・・・心の奥底から抱ける信頼関係である。
遠くばかりを見ていると足元が見えない。
足元ばかりを見ていると遠くが見えない。
なんと、単純なことだろう。
この単純なことに人間は右往左往する。
右往左往している内はいい。
一番悪いのは諦めることだ。
諦めることが楽になることと勘違いしている。
諦めることが一番苦しくなることに気づくべきだ。
今一度、自分の周りを見てみよ。
頑張っている人間がたくさんいることに気がつくはずだ。
心軽やかに人生を送れたら、どんなにいいだろう。
なんの気負いも無い、素の自分で生きられたら、どんなにいいだろう。
所詮、人間は愚かな生き物だ。他と比較することに生きがいを感じる時もある。
何度と生き死にを繰り返しても反省することがない。
「じゃあ、何の為に生まれてくるのだ!」と自問すれば、
どこからともなく、「気づくチャンスを与えているのだ。」と声が聞こえてくる。