フローラルなジェネラル
「ん?」
救急車の行列ができる救命救急センターで、佐藤伸一は首を捻った。殺伐とした薬品臭の中に、ふわりと香った香り。
気のせいか。俺も疲れ切っているよなぁ。
と、自分を分析しつつ、ICUへと向かった。
「ん?」
如月翔子はそこ儚く漂うフローラルな香りに、敏感に反応した。
何で、こんな香りがオレンジでするのかしら? 私たち看護師は香りを付けるのは、禁止されているし…。ドクターたちはいつも消毒薬か石けんの匂いしかしないし…。紅一点の和泉先生も女を捨てているし…。
常に生死と隣り合わせの戦場では、男とか女とか意識している暇などない。全員が一人の人間で、共に戦う戦友なのだ。好き・嫌いなど言う暇もない。
そこにあるのは、信頼だけだった。
「佐藤先生。何かいい匂いがしているのに気づいてました?」
「ん?」
「ふわっとした、優しい香りがしていませんでした?」
医局に戻って来た和泉がコーヒーカップを手に、診察録を書いている上司に尋ねた。
「やっぱり? 俺の勘違いとか思ったけど、違ったんだな」
「…もう。アロマとかを取り入れたって話は聞いていないですよね」
「ああ。師長は何も言っていないし…」
「ですよねぇ」
うーん。と首を捻る二人。
「後で他の奴らにも聞いてみるわ」
佐藤はそう言うと、仕事の続きに戻った。
「行灯! てめぇ、何を洗濯したんだ!」
ものすごい剣幕で、愚痴外来に飛び込んで来たオレンジ新棟の将軍。
「何って?」
こちらは何のこと?と、きょとんとする田口。
「まあ。速水先生、どうされたのですか?」
藤原看護師がさりげなくコーヒーを差し出しながら、微笑んだ。
「聞いてくださいよ、藤原さん。こいつがヘンな柔軟剤を使ったせいで、行く先々で“速水先生、いい匂いがしますね”と言われるんですよ」
「それで、速水先生は何と答えられたのですか?」
「自分ではよく分からないので、ええとごまかしましたが…」
「まあいいではないですか。いつも消毒剤の匂いでは、心に余裕なんて生まれませんよ。ヘンな香りではないのですから、いいじゃありませんか」
まあ、そうですが…。と、速水も藤原には逆らわないで、大人しくしている。
「俺はそんなこと言われないけど…」
「そうなのか?」
「うん」
「ふうん」
納得したようなしないような声を出すと、速水はコーヒーを手にした。そして、
「よく考えれば、藤原さんの言うとおりだ。臭いって言われるよりいいよな。じゃあ」
と言い残して、来たとき同様、突風のごとく去って行った。
残った田口は藤原に、
「単純な奴ですよねぇ。あれぐらいで文句を言われるなら、今度はラフレシアの匂いでも付けてやろうかな。ありすにもペッてされて、落ち込むといいのに」
と愚痴るのだった。
*藤原さん。田口と速水の愚痴を聞く係になっているようです。