シャオリン共和国

社会人16年目のシャオリンのブログです。日常生活等について書いています。

12年間で変わったこと

2025-01-04 11:16:00 | シャオリン共和国総集編
12年ぶりにブログを書こうとすると、
この12年間で様々なことが変わったなぁ、と実感します。
しばらくはこの12年間で変わったことについて、
順不同にツラツラと書いてみようかなと思います。

(変わったことネタ候補)
・婚活したこと。(合コンネタ)
・仕事や社内で週2〜3ペースで飲み明かしていたこと。
・結婚したこと。
・結婚して1回目のマンションの引越しをしたこと。
・子供が産まれたこと。
・家(マンション)を買ったこと。物件の内見をしまくったこと。
・株式投資をするようになったこと。
・営業を10年やったこと。
・人事を計3年弱やったこと。
・総務を計4年やっていること。
・フィナンシャルプランナー3級を受けて合格したこと。
・いくつかの資格試験を不合格になったこと(1級管工事施工管理技士、個人情報保護実務検定2級)
・一大プロジェクトに取り掛かったことがきっかけで鬱病になったこと。
・鬱病で3回休職したこと。(現在も休職中)
・新型コロナウイルスに3回も感染したこと。
・コロナ禍で仕事が振り回されたこと。
・政治に再び関心を持つようになったこと。
・阪神タイガースがリーグ優勝して日本一になったこと。
・大学将棋部のOBOG会を開催しようとしたが、コロナ禍で開催延期になったこと。
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2006年度の神将を振り返って

2007-10-25 16:14:35 | シャオリン共和国総集編
「失敗と模索」


二昨年前にC級から這い上がり、
前年はB級での現状維持に成功した神将だったが、
この年の神将は大きな挫折を味わうことになった。

春の一軍戦でのC級陥落。
二昨年前のレギュラーが集まらなかったがためのC級陥落とは意味が異なり、
実力の不足でC級に陥落してしまったことは
部員にも少なからぬショックを与えた。
オーダーがまずかったことや、
選手情報を部員に伝えきれていなかったとか、
様々なミスもあったが、
それを跳ね返す力も当時の神将には不足していた。


その年は、これまで幽霊部員状態だった橋本が部に復帰した一方、
神将を戦力面で支えてきた磯川、薮本の二人が抜け、
既存の戦力は昨年の秋からあまり伸長したとはいい難く、
即戦力級の有力新人も加入しなかった。
しかも、他大学は軒並み有力な新人が加入していたため、
相対的にも神戸大学将棋部の実力は大きく低下していた。
この状態では秋の一軍戦でB級に復帰することも覚束無いと、
私は危惧した。


そんなこともあって、この年は昨年から取ってきた方針に加えて、
より他大学との交流を密にすることによって部員に刺激を与え、
部の全体の力を高めていこうとした。

定期的に行う自主練、大阪府立大学との交流戦、
機関誌の発刊など様々なものがあったが、
一番大規模だった企画が
大阪大学、関西大学、神戸大学、近畿大学の
四大学を中心とする合同合宿である。
昨年まで付き合いの深かった関西大、近畿大に加えて、
この年に大きく躍進した大阪大学と一緒に合同で合宿を行ったことは、
部員にも大きな刺激になったと思う。
他大学と積極的に交流しようとする部員が少数だったことが少し寂しかったが、
徐々に交流に積極的な動きが出てきていることは素直にうれしかった。


上に掲げた方策が実ってか、
秋には部全体の力も大きく高まっているように感じた。
とりわけ、この年は1回生がよくがんばっていたと思う。
中でも、入部当初は初心者だった宮本君が、
レギュラークラスにまで棋力を高めたことはうれしかった。
1回生が元気に活動しているかどうかは、
将棋部の活力の一つの指標であると私は考えているが、
その意味でこれまでに無い手応えを感じていた。

そんな中で臨んだ秋の一軍戦では、優勝こそ逃したものの、
入れ替え戦の末B級に復帰することができた。
皆が「B級に復帰しよう」という意識を共有し、
切磋琢磨した時期があってこそ、チーム全体でつかみ取れた勝利だと思う。
入れ替え戦で勝った時の喜びの大きさは格別だった。

結果的に、B級→C級→B級とプラスマイナスゼロの結果に落ち着いたが、
部としては貴重な経験をした年だったと思う。
棋力という点ではまだまだのレベルだが、
チームワークの良さという点では、
この年は私が入学したどの年よりも良かったと思う。
春の失敗も、将来の発展のためのコストとプラスに考えて、
後輩たちに教訓を伝えていきたい。

+++++

この年はもう一つ大きな変化があった。
副部長の私が音頭を取る形で、
部内の様々な企画を進めていったことによって、
将棋部の組織の力関係が大きく変わることになった。

これまでの神将はどちらかというと伝統的に部長の権限が強く、
部長のリーダーシップの下で部が動いていくスタイルを取っていたが、
この年はそうしたシステムが機能しなかった。
部長が部内でリーダーシップを発揮することはあまり無く、
いつからか、部の仕事の多くが副部長の私のところに裁可を仰ぐ形になっていた。
他大学でも、私が部長だと思っていた人も少なからずいたようだ。
当時の部長が他大学の人に「一応、部長をしています」と話しているのを聞いて、寂しい気分になったのが今でも思い出される。

この年から、
部長職は「大学に対する部の代表。部内の調整役」として、
副部長(あるいは主将)は、
「部内の棋力を底上げするための様々な企画を行う仕事。大会の時のキャプテン」
として、役職を分離する動きが見られてきた。

今年に入ってその傾向はやや薄れているが、
それでも、以前と比べれば
部長はあくまで調整役に徹しており、
部長本人がリーダーシップを発揮する場面は少なくなっていると思う。

「部がうまく回っていくなら、それでもいいんじゃない?」
と、部員も概ね今の体制には好意的なように感じているが、
今後もその傾向が続くのか、続けるべきなのかは、
考察する必要のある課題だ。
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序文:2004年度の神将

2007-07-04 12:59:56 | シャオリン共和国総集編
今回から、しばらく総集編の将棋部編をお送りします。

+++++

本論に入る前に、2004年度の神将を説明する必要があると思いますので、
まずは前年度の解説から。

当時の神将は数年前の全盛期を知る4回生陣が主力。
B級でも上位を狙える位置にいましたが、
いかんせん、一軍戦当日の集まりが悪く
(1回生も含めて7、8人しか集まらなかった)、
神将は前年度の春にC級に降級してしまいました。
当時の僕は幽霊部員状態で、大会には参加しませんでしたが、
OBのでかうーぴんさんの日記を読んで、
部の人たちに迷惑をかけてしまったと後悔しました。
この時のことは今でも申し訳無い気持ちでいます。
以来、大会には必ず参加することにしています。

このままではダメだ、という反省もあり、
C級で戦うことになった秋の一軍戦は
ほとんどのレギュラーメンバーが集まりました。
その当時の模様は、OBのおすぎさん、
でかうーぴんさんの日記を読んでもらえればいいかと思います。
1回生の育成も視野に入れた布陣だったため、
けっこうギリギリで昇級することになり、
途中はかなり冷や冷やしていましたが、
優勝した瞬間は本当にうれしかったです。

+++++

さて、B級に戻ったのはいいとして、
それまでの主力だった4回生陣が卒業することになり、
再び神将は戦力的にピンチに立たされます。
4回生陣が抜けた後にB級でも十分に戦えると考えられていたのは、
橋本、礒川、藪本、穂満、正司の5人でしたが、
橋本氏はこの当時はあまり部の活動に参加していなかったため、実質4人。
人数が集まらずC級落ちしてしまった春と戦力的には大差ありません。
このままではさすがにまずいと思いました。
この事態を打開するには、
1,2回生が強くなるしかありません。

と、いうことで、年度の終わり頃から、
1回生と穂満新部長を中心として、自主練を行うようになりました。
週1の活動日だけではさすがに練習量が不足しているため、
それに加えて週1,2で学生会館のロビーに陣取り、
来訪した部員で集まって指していました。
今と比べればあまり質の高い将棋を指していたとは言い難いですが、
それでもその甲斐があってか、1回生陣は
入部した当初とは見違えるように強くなりました。

それでも公式戦で結果を上げるにはまだまだで、
1,2回生がチームの中心となった最強校戦・キリン団体戦は、
二つともブービー賞となってしまい、
先行きの厳しさを痛感させる結果となってしまいました。

そうこうしているうちに、
待ちに待った新人勧誘の季節が巡ってきました。
いてもたってもいられなくなり、
入学手続きの日に勧誘のビラを配りに行ったり、
将棋部の宣伝に努めました。
そして、4月に入り、新歓祭当日を迎えることになります。

+++++

ちなみに、今となってはおなじみになった
ネットリーグ「じょんいる杯」は、
この年から始まりました。
OBの茶坊主さんが棋戦を立ち上げ、
多くの神将部員がそれに参加しました。
それまで幽霊部員同然だった僕もこの棋戦に参加したことで、
神将になじむきっかけをつかむことができました。
主催者の茶坊主さんならびに、
快く僕を向かいいれてくれた先輩の方々には、
感謝の気持ちでいっぱいです。

+++++

なお、この時期、個人的に重要だった出来事としては、
連盟理事就任が決まったことです。
いきなり決まったのでびっくりしましたが、
やるからには全力を尽くそうと思いました。

最強校戦が終了して、その帰り道、
新理事長の松井さんに理事として必要なことを質問してみたところ、
「他大学の主要選手の名前を覚えておけば、何かと便利だよ」
とアドバイスをもらいました。

そのこともあって、年度の変わり目の頃は、
連盟や他大学の機関誌やHPを閲覧するなどして、
情報収集に努めていました。
他大学の情報収集のやり方はもちろん、
団体戦での偵察やオーダー戦術の考え方、
「他大学と交流を進めるべきだ」などの考え方は、
この当時に形成されたものです。

情報収集の傍ら、
目に止まった学生棋界関係者の文章は片っ端から読んでいきました。
とりわけ、僕が愛読したのは、
OBの勢田さんの書いたエッセイ「ねおん」と、
大阪府立大のwebページの日記、
平成13年度版の「縮図」などです。
これらは僕の将棋部に対する考え方や、
連盟理事の仕事に対する考え方について、
大きな影響を与えてくれました。

学生棋界を知れば知るほど、
その世界の面白さにのめりこんでいった気がします。
そのことで「いつかA級に昇級したい」という思いも強くなりました。
「まったりしたいから」という理由で将棋部に入部したのに、
今から思えば、よくまぁここまで変わったなぁと苦笑せざるをえません。

僕がこうなったきっかけは、
この時期の将棋部が逆境だったからかもしれません。
順調だったら、恐らく部に定着せず、
今頃は帰宅部だったことでしょう。
運命の巡り合わせって不思議だなと思います。
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はじめに

2007-06-23 22:55:17 | シャオリン共和国総集編
今回から、「シャオリン共和国総集編」と題し、
不定期で特集記事を作成していきます。
主に2,3回生の頃に、
僕が将棋部や連盟の活動にどのように取り組んだのか、
どんなことを考えていたのかについて
書いていくつもりです。


+++++

◎将棋部の活動について

1回生の最初の頃は僕もそれほど熱心に活動はしていませんでした。
やがて、秋の一軍戦でC級からB級に昇級したこと、
OBのせたさんの書いたエッセイ「ねおん」を読んだことがあって、
触発されて次第に「A級に昇級したい!」と思うようになりました。
ちなみに、連盟理事の仕事に就いて、
他大学の人と親しくなるようになったことも、
一軍戦への思い入れが強くなった要因の一つでもあります。

そのような経緯があって、1回生の終わり頃から、
部の運営についていろいろと口を出すようになりました。
その際、とった方針としては、
大まかにいって次の二つが挙げられます。

1:練習量を従来より増やす。
2:外部との接触を増やす。

とりわけ、僕は2を重要視しました。
何故ならば、同じ部員の間だけで指すのは、
強くなるのに限界があると感じていたからです。
また、他大学の人と指すのはいい刺激になりますし、
他大学で親しい人が増えれば大会の参加が楽しくなるものです。
その方針に沿って、他大学との交流戦や他大学との合同合宿が
定期的に行われるようになりました。

2年間の総括はまた後の回で行いたいと思いますが、
この2年間はB級下位~C級上位で低迷しており、
思うような結果は出せませんでした。
ただ、昨年や2年前と比べれば部全体も力強くなったように思いますし、
将棋に対する取り組み方や姿勢に課題があるものの、
方針そのものの方向性は間違っていないと思います。

真価が問われるのはこれからです。


+++++

◎連盟の活動について

1回生の終わりに、
ひょんなことで関西学生将棋連盟の理事に就任することになりました。
関西学生将棋連盟とは、関西地区の大学将棋部を統括する自治組織で、
主に大会の準備・運営や機関誌の発行、その他諸々の雑務を行っています。

僕が理事に就任した当時は大阪市立大の松井さんが理事長に就任し、
ちょうど連盟の改革期に差しかかっていた頃でした。
連盟の係る仕事を増やし、
まるでサービス業のように100%完璧な仕事を行おうという姿勢は、
いわば「大きな政府」路線と呼べます。
「連盟とは警察のようにあるべきだ」
という松井さんの主張に僕も共鳴し、
僕の代に至ってもその姿勢を堅持することにしました。

僕が理事長に就任してからは、松井さんの取った方策を維持しつつ、
以下のようないくつかの若干の工夫を施しました。
・連盟の存在を外部に広報する姿勢を強化したこと。ex)将棋雑誌への投稿など
・全日本学生将棋連盟との関わりを強めたこと。ex)全国大会の運営
・幹事会で大会ルールや連盟参加資格などの問題について
 議論する時間を長くとったこと。ex)専門学校生の大会参加の認可
・奨励会員の方をお招きして、個人戦の際に指導対局のイベントを行なったこと。

詳しくは、まだおいおい書いていきたいと思います。


しんどいことも多く、反省すべき点も多々ありましたが、
この2年間の連盟理事の日々は、
僕にとって、とても充実した、とても幸せな日々でした。





+++++

初回ということでまずはこんなところで。
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