拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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  Bad-man・辰 の『ミス』考

2025年01月14日 | オレ的アングル

  定年退職(2017年)以来、週イチ3時間のバトミントン修練を続ける中で、いろいろ思う事がある・・・。

 

  他のスポーツはどうか知らないが、我々がやっている『バトミントン・ダブルス』において、自他ともども『ミス(失敗)』する機会の絶大なること

  他の追従を許さない・・・スポーツではないかと、思う今日此の頃、その意味と意義を考えてみた。

 

  土曜日の午後、3時間、その日参加する人数によって最大4コート利用できるバトミントン・クラブに私は参加している。

  平均年齢が40〜50歳ぐらいで、内女性が3〜4人、だから多いときは全員で16名ということになり、そのうちの4〜6人は

  別の曜日もプレーしているので、バトミントンに完全にハマっているオヤジの中には週に3回プレーしている奴もいる。(かつて私の如く)

 

  バトミントンをプレーする時に、問題になるのはそのレベルで、実力の差がこれほど歴然とするスポーツもまた珍しいと言えるかもしれないほど

  レベルに差がつくスポーツで、昔私は競技団体に所属して、各地域で主催される大会に参加したものだが、

  A(ナショナルチームに参加するレベル) 以下B,C,Dとレベル分けされる中私はDの3のレベルであった。

  このレベル分けがなければ、話にならないほど、実力差が大きく、プレーしていても全く面白くないのだ。

 

  そういう意味では、私が今参加しているグループのレベルというのは、平均値として『Dの上〜中』で、この範囲で上手い者と下手な者いろいろだ。

 

  このグループでは、マッチ(試合)を始める前の15分ほどの準備運動としての羽の打ち合い、それが終わると残り2時間45分はすべてダブルスの試合となり、

  2セットの試合が終わると7、8分の休憩をはさんで即、自分と相手のパートナーと変えて次の試合が始まる・・・この繰り返しだ。

 

  バトミントンのダブルスというのは、パートナーとのコンビネーションが非常に難しいスポーツで、基本的なことをトレーナーに付いて

  一度でも学んだ者と、そうでない者とでは動きがぜんぜん違ってくる事もあり、組んだパートナーのレベルによって自分の対応が違ってくることを

  プレーするうえで自覚することが重要になる。

 

  ・・・エトセトラ。細々書くとキリがないのでこれくらいにして、『ミス(失敗)』について書くと

  自分のミスもさながら、時々一緒にプレーするパートナーの『いつものミス』には、ほぼ『諦めの境地』に私は達していて、

  それは、自分の『いつものミス』・・・バトミントンであるから、一瞬の判断におけるプレーにおける『いつものミス』に自動的にハマってしまう

  魔境との戦い・・・とも言えるコントロール不能状態に陥るたびに、『あぁ〜っ!』と後悔することが、ママあるのだ。

 

  本来であれば、『いつものミス』を矯正すべく、プロのトレーナーとともに、同じシチュエーションを繰り返し練習して克服すれば良いのだが

  そういった余裕のない我々は、ぶっつけ本番での際に克服すべき点を、強い意志をもって問題克服に取り組むべく『試合』に挑む…しかない。

  その意味では、バトミントン・ダブルスという競技は、そのチャンスが何度も何度もやってくる競技であることは、実にありがたい競技であるのに

  私達はそれでも毎回『いつものミス』を繰り返している・・・。これの克服が『Bad-man辰』(私のバトミントン名)の今年の目標である。

 

  (せっかくのチャンスを『いつものミス』で台無しにする・・・という状態は、『小さな悟りチャンス』を意識の働きが薄弱の為に見逃すのに似ている…かも)

 

              

  バトミントン世界選手権大会がローザンヌであった1995年(私43歳)から私はバトミントンにハマり、引越屋になる2003年まで夢中にプレーした。

  2017年に定年退職したのを機に、バトミントン再開! 今に至る・・・。昔はシングルのみ、現在はダブルスのみ。

               

  



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