拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  Imageな街 Vevey 2024

2024年09月12日 | 一撮レポート

  先日、2年おきに催されるローザンヌの隣町 Vevey の『第9回・Image展』が9月7日〜29日まで行われ、早速観てきました。

  このブログにも何回か『一撮レポート』のカテゴリーで紹介していますが、参考に12年前の記事 2012年9月12日のブログ記事〜シンディ・シャーマンな街Vevey

 

         

      毎回、駅前のビルに特大の写真が展示される。今年はアレッチ氷河の写真であったが、そのせいか9月半ばというのに11月のような気温だった。

 

         

       一見、楽しく幸福そうなシーンであるが、接近してみると眼や鼻など顔の一部に『修正』ならぬ『修悪』に変形され、ドキッとさせる・・・写真群

 

         

      このフォトフェスの主作品は、『コンテンポラリー』と呼ばれるもので、私の好きでないタイプの写真であったが、もうそれが主流になって

      すでに長い年月を経るうち、作家の意図も深まりを魅せ、『人間観察』に鋭く迫り、恐ろしかったり可笑しかったり非常に見応えのある作品ばかりであった。

 

        

  中でも傑作の一つ・・・と思ったのが、この作品、トルコで撮ったらしいが、『5G通信システム』のために新たに設置されたアンテナが『疑似樹木』の形態

  をとっており、世の中いよいよ『人工物』でいっぱいになる事を暗示していて、まさにコンテンポラリー!!!と感じた。

 

       

   そんな時、ふらりとやってきた、ケッタイオッサンは、『カメラ人間』のうようで、すかさず我が携帯のカメラで激写していると

   このオッサンが私のところにやってきて、形態言語で『お前、私のケイタイで私の写真を撮ってくれ・・・』と言っているようであったので、カメラを向ける…

 

               

          『青カメラ人間』は、そこに居合わせた、若者グループの所に行って、ここ撮れ『ワンワン』というので、撮ってあげた一撮

 

                      

            これは写真とは関係ないが、『設置芸術』の一種で風船のようにヘリウム(?)で膨らました飛行機

            レマン湖畔のお城 内 ↑  では毎回、面白い展示をするが、今年はこれであった。

 

           

     Veveyの街なかのいたる所(野外・室内)50ヶ所で写真が展示されているが、ここは喫茶店内での中年女性のセルフポートレート作品。

     大きい布にプリントされ店内に垂れ下がっているが、一枚はどうしても邪魔のようでたくし上げられていたのが可笑しい。

 

                   

          そして、これが我が『森山大道』氏の作品〜プリティ・ガール。奇しくも今現在ローザンヌの写真美術館で彼の作品展がなされている。

          私が写真を始めたころ(1974年頃)彼はバリバリに活躍していた頃で、あの森山大道が・・・という感がしきり。それにしても凄い迫力。

 

          

  今回の展示で最も感動した作品かも?! 暗い室内にまるでオーケストラのように配置された譜面台にはこのように ↑ タブレットが一代ずつ設置され

  南米のどこだかで取材した大道芸人の音楽(歌・ギター・太鼓・ハーモニカ・トランペット・バイオリン・ベース・チューバ・木琴などなど)の動画を

  視聴できるようになっている! ・・・ なんと凝った作品であろか!

 

  2年おきに催されるこの『Image展』・・・全部無料で観ることができる。 非常に高いレベルの作品群を妥協することなく展示してみせるのは

  一体どれほどの金がかかっていることだろうか?・・・などと下世話な妄想を湧きたてながら、私は楽しんだのであった。近くに住んでいる人は必見だべや!

  

 


  『 仕(ライフ)・事(ワーク)』

2024年09月12日 | 東洋自分なり研究所

  何の動画であったか?『ライフワーク』という言葉を発している人がいて、私はちょっとハッとさせられた気がした・・・。

 

  この『ライフワーク』という言葉を発する人というのは、なんだかの事業なんかで成功した人が使う言葉…というニュアンスを前提とするとき

  私の場合は、じつにたくさんの仕事につきながら、どれも中途半端でフラフラとした人生を送ってきた・・・わけであるのに、

  そのじつ、なんとなく『ライフワークのど真ん中を歩いてきました・・・』と、ドヤ顔で言っている自分がいるのだ。

 

  むしろ、その『ライフワーク』こそを守るために、様々な仕事をしてきた・・・という気がしている。

  二十歳の頃、写真に出会ってこれで行くぞー・・・と意気込んでいたが、それに満足しない自分がいて、

  三十の頃には鍼灸師を目指したが、それにも満足できなく、結局何の役にも立たない『禅』みたいな処に落着した感があった。

  もちろん、写真で大成しながら、『禅』を深める・・・みたいなことも出来たのであろうが、私は一重に不器用であったのだと思う。

 

  だからこそであろうか、『考えるな、漢字ろ!』に到ったわけで、

  『仕事』の『仕』が『人をして➕・➖=0(浄化)』して生きていく『事』であると『観』じた時、

  私は『仕(ライフ)事(ワーク)』に生きている自分を感じている・・・のだろう。

 

         

          実際の仕事からは『ヌメッ』として自分の手では掴み取れない何か?・・・を思い浮かべたとき、

          この『瓢鮎図』を思い出したが、この公案の私の出した答えというのは案外このへんにあったのだろうか・・・。

 

  『瓢鮎図』について、はこれまで何度か書いていた・・・ 2023年8月28日のブログ記事〜『問』の国、日本