拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  国際結婚と禅

2024年11月03日 | 東洋自分なり研究所

  ついに来るところまできてしまったかぁ…という重いテーマ『国際結婚と禅』・・・について考察。

  一見、ゼンゼン関係ない『国際結婚と禅』なのだけれど、私的には案外というか、非常に密接な関係性を観るテーマなのです。

 

  まず『国際結婚』ですが、国際交流がかなり普及する現在、それはそう珍しい巡り合わせでもないようです。

  それに、当人同士は毎日の生活の中、国際もひったくれもなく日常生活を淡々と送っているだけ、それぞれ個人の事情を持ちながら

  それを尊重しながらの生活ということで、別段『国際』的なことはない・・・、と言いたい所ですが、いやいや『負の面』ということ、

  言語、文化の違いによる理解不能の面・・・は案外多々あるところは、『まぁ…、確かにあるでしょうね・・・』というような所で、

  良く言えば『丸く収める』的な感じで終始している。

 

  ただ、私自身が定年退職して時間的余裕ができたあたりから、相方の両親を始め、彼女の母方父方のオジ、オバそしてその子供たちとの

  関係を深めてみると、一気に『国際結婚』という、スイスを中心にロシアを含めたヨーロッパ全体にまで、関係性の網が広がる思いがした。

 

  例えば、数年前に92歳で亡くなった叔母は、戦争中ドイツが浸透するボーランドから亡命してきた兵士と結婚したために、教師の職を失い

  (当時スイスでは外国人と結婚した女性は公職を失う)裁縫の仕事を始め、2男1女を育てた。

  また伯母の方は、ジュネーブの国連で同時通訳をし、同職のロシア系の男性と結婚し、2男を育て、一人は有名な私立銀行のマネージャーとなった。

  ・・・などなど、掘り下げるとそれぞれ面白そうな人生の方々をみうけ、こりゃ確かに『国際結婚であるわい…』と実感することしきり。

  私の全く知らない世界が広がる思いがして、これこそ『国際結婚』の賜物であろう。

  しかし、そこにはコミュニケーションのツールである言語の薄弱さと、私の性格の『内気』の面がつい壁となって、本来の60%ほどしか堪能できてない。

 

  で、私と相方の『国際結婚』であるが、数ある国際結婚カップルの中でも、私達ほど言語によるコミュニケーションが貧しいカップルはないのでは

  ないかと自負している・・・が、そもそも私が、相方に会って実際にひとつ屋根の下で生活を始めた時期と私の第二期禅修行期とは重なる。

 

  それはつまり、私は禅修行を通して『非言語コミュニケーション』のより深い所をめざしていたが、禅は人をして『天上天下唯我独尊』の『禅天魔』の

  境地に貶めるのではなく、真反対の自分の至らなさに日夜目覚め、そんな未熟な自分と生活を共にしよう・・・という相方の存在に、

  私は感謝しかなかったのである。

  禅は私が、『何も知らない』ということを、情けなくなるほど体験を通して証明して見せ、『謙虚』である事を私に教えた時期であり

  カップルの生活の中で、わかり合えない事は当然あるものとして受け入れる、寛容性というものを熟成していた事は間違いない。

 

  『拈華微笑』ではないが、非言語コミュニケーションによる『自他不二』の活用・・・そんな所に、『国際結婚と禅』みたいなものが

  あるのではないだろうか。 しかし、時折、互いに『バカ!』・・・と、一喝することも忘れてないが。

 

         

         この一見、衝撃的写真は、洞爺湖あたりに行った時にアイヌの人々とコスプレの図

         (結婚式をしていない、我々としてはこれが結婚記念写真・・・のようなものか)

  

  



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