コペルニクス的転回…という言葉がある。
天体としての地球を考えた時、最初は太陽が地球の周りをぐるぐる回っていると思っていたら、16世紀ポーランドの天文学者で聖職者のコペルニクスが
いやいや、地球は自転しながら他の惑星とともに太陽の周りをぐるぐる回っているんですよ・・・と言った。 それで皆ビックリしたというのですね。
天動説であると思っていたのが、実は地動説であったと。
この違い、知っていても、知らなくても我々の生活自体はなんら変わらないような気がしますが、どうなんでしょうか。
100%人間中心に物事が進んでいると思っていたのが、じつはそうでは無い・・・と知ることの間には、それこそ天地の差というものがあります。
それを踏まえて『人生の軌道』を考えた時、東洋思想を考えた時、つまるところ人間は『丹動説』であると私、馬骨は考えました。
洋の東西を問わず、人生は『諸行無常』という真理は絶対です。その中で人はどう生きていけばいいのか?
仏陀は『諸法無我』の道を開き『涅槃寂静』を見出しました。
呼び名は違っても、『涅槃寂静』の境地に至った人は世界中にいることも確かです。
それは当然で人は誰でもその境地に至る性質を備わっているのですから。
それぞれの人生の中でひょんなことから『悟り』に至った人は沢山いるでしょう。ただ、形や呼び名は違っていても『無我』という段階は
必ず経てきていることは間違いありません。
そういった経過を経験に基づいて『涅槃』に至る修行形式を確立した一つに『禅』がありますが、
今は東洋思想全体を考えた時に観えてくる唯一無二のモノに、『丹田』の働き・・・があることに気が付きます。
東洋といえば『身心一如』、その『身』と『心』を結ぶのが『丹田(呼吸)』であり、『無我』から『悟り』の境地へと人を導きます。
日本はそれを『道の文化』としてその精神の火種を絶やすことなく守っている唯一の国かもしれません。
地球という観点からみる自他共に幸福にする『人生の軌道』は『丹動説』である…という『丹田』を強く意識した人間の生活のあり方
を今一度考え、それぞれのやり方で実行することで、日本の世界に対する『役割』が観えてくる気がします。
今はわが町、モルジュの湖畔の散歩道にはとてもチャーミングな街灯が軌道をなしていた図
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