新居から駅まで2分、というストレス・レスのせいで鉄道沿線の地域はすべて我々夫婦の散歩コース候補となり
最近我々のお気に入りは、Rolleというレマン湖畔に緩やかな傾斜で広がるブドウ畑を持つ村は我々の住むモルジュから電車で10分のところ。
同じレマン湖半でもその町々村々で雰囲気が違うところが、散歩者としては非常に楽しいポイントである。
相方の場合はそれに加えて楽しくも、どこか隠し味のあるカフェ(喫茶店)があることが重要事項となっている。
先日その第3回目のRolle散歩をして、いつもと違うところを歩いているとこんな風景にであった。
船修理場であるが、一目みて何故か懐かしい…気分になり、思わず『昭和』の風景!と思ってしまった。
その時に、普段私によって『面倒くさいシステム』と貶(けな)されている『元号制』について、ちょっと待てよ・・・という思いにいたった。
そう言えば、ヨーロッパにはややこしい『元号』がない。それをずーっと羨ましい・・・と思っていた私だが、こういった風景に出会った時
我々日本人の場合、『昭和』とか『明治』とか『平成』などと各世代世代の『期語』ならぬ、様々な時代の要素を含んだ『季語』とも言える
『元号』を持ち、人生を縦横に『還暦スキャン』する文化を持つ日本としては、非常に重要であることに気付いたしだいだ。
そもそも、60歳になっても『還暦』という感慨すらも文化として持たないヨーロッパ人はどんなモノを基準として還暦するのだろうか?
逆に、様々な次元で『季語』的象徴を持つ日本文化はその点でも確かにユニークな国で、外国人が憧れる要因の一つになっているのかもしれない。
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