拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 アリの郷里

2021年11月23日 | 観自在

  新居に引っ越してから最初の、同じアパートで友人になったカナダ人女性、アリさんが我が家に遊びに来てくれた。

  彼女は10月の『隣人まつりの日』に世話人を買って出て、夫と共にオーガナイズ、アパートの中庭で越してきたばかりの

  住人たちの顔合わせパーティーを可能にしてくれた人物であった。

  相方ニコルが彼女に連絡をとって我が家でお茶することが実現。

  前回お会いしたときは初対面であったし、立ち話でもあったので、親日家のカナダ人女性・・・ということぐらいしか

  知ることができなかったので、今日はお茶を飲みながらいろいろ話をすることができた。

 

  アリの話は、彼女の夫となったスイス男性との出逢いが京都… その後オーストラリア、ロンドン、シンガポール・・・と移り住み

  終の棲家として今年、ここスイスに来た…という過去話にも興味をもったが、この話の前後、中間に何度も振り返るように懐かしみ

  日本人の私や日本を誰よりも愛している相方の気持ちが共鳴するのか、日本での思い出話をする彼女の言葉の中に

  『何故なのか分からないけど、まるでHome(郷里)に帰ってきたようで・・・』という『 Home 』といった彼女の言葉は

  『悟り』=『郷里サトリ』・・・を提唱している馬骨としては聞き捨てできない一言であった。

 

  私のこれまでの人生でこういった人々には割とたくさん出会ったせいか、特別な感慨というのはないのであるが、

  『郷里サトリ』説が自分の中で確立後にこうした感想を持つ人に出会った事に、なにかシミジミしたものを感じざるを得ない。

 

  帰るべき郷里は、個々人の心の中であるが、その此岸と彼岸の渡しをする船をあらゆる形で『渡し環境』を整えているのが

  日本文化なのだ・・・とアリの話を聞いていて改めて強く思った。

       

   中庭の三つの花壇にいよいよ樹木が植えられる。それぞれ松竹梅・・・だといいんだけど、そうわ行かないのがスイス。

   でもそれに近い形で写真右の花壇には3種類の『松』。左が『楓系』の樹木。我が家の真下の写真に写ってない花壇には

   何であったか名前を忘れたが別な樹木がそれぞれ植えられ、いよいよアパートも完成に近づきつつあるが

   一階、2階の会社や歯科医院、店などがもう少し時間がかかるようだ。



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