拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
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   『坐』〜 天地『無』用

2024年08月30日 | 東洋自分なり研究所

  7年前までやっていた引越屋という職業がら、日本から来た荷物に『天地無用』と書かれた荷物をよく運んだものだが…

  『天地無用』の荷がなんで、天地を傾けることが厳禁なのか?? まるで公案(禅問答)だよな〜と思いながらも、深く考える暇もなかった。

 

  『東洋自分なり研究所』開設以来、『坐禅』の『坐』の字について、あれこれ考察してきたつもりでいたが、最も肝心な『坐』の土台となる

  『土』についての考察が欠落していた事に・・・突然気付き、そのあまりの重要度に勝手に腑に落ちてる今日此の頃。

 

  馬骨流『佛語解字』解説・・・ということで、滅茶苦茶というかバカみたいな解説を、『佛にちなみ』許してもらいたいのだが・・・

  『土』は『大地』や『天地』という『大自然』を前提としたニュアンスで使う時、

  『土』は『➕&➖=ゼロ』の天然『浄化力』、つまり『無』を表していると解するべきで、

  だとすれば、『坐』こそ、天然『浄化』作用が人間に働きかけている事象であることがわかる。

  禅が『坐』を中心に据えて修行した事実は、同時に東洋思想としての『無の思想』の確立を意味したが、

  そのとき禅者はまさに『天地無用!』と、二重に『重ね合わせ』られた意味を承知の上で高らかに宣言をしたに違いない。

 

  仏教の『三法印〜諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』の『諸行無常』という、人をして『一切皆苦』に落とし入れる、まさに無情の現象現実にあって、

  『諸法無我』という境涯に至らしめる唯一の救済方法『坐』が人間に残され、それを釈尊が2500年前に見事に使って『無』を『空』へと昇華させた。

 

  仏教はそれを『悟り』と称して今日まで延々と伝え続け、特に日本において『禅仏教』として後進の人類を導くべく

  ほそぼそとではあるが確固たる修行を続けている・・・のだ。

 

               

               『 「無」は無視で 悟り悟りと じゃかましい その口閉じて 坐殺あるのみ 」 馬骨    

 

  サンドイッチマンの富沢の如き『何言ってるか、わかんない…』というべからず、

  『最初はグー、ジャンケンぽん!』のように、最初は『無〜』こそが、禅の実践において大事ということなんだけど・・・

  



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