今、流行の言葉といえるだろうか? 『重ね合わせ』或いは『もつれ』・・・などなど
こういった科学の最先端、『量子力学』用語を用いて仏教を説明する人が増えたようだが、もしかすると馬骨もその一人か。
馬骨はだいぶ以前から『般若心経』に登場する『観自在菩薩』が玄奘三蔵法師(7世紀)がサンスクリットから漢訳した菩薩名に注目していた。
というのは同じ菩薩名を、彼より250年前に鳩摩羅什(4世紀)が『観世音菩薩』と漢訳していたからだ。
そして日本では『観世音菩薩』を略した『観音』様という愛称で非常に庶民に親しまれている現象がある。
その昔、この二人の優れた仏教徒が同じ菩薩を指して『観世音・観自在』と訳した事実は非常に重い・・・と馬骨は思っていたが
そのことを指摘する仏教徒や仏教学者を私は知らない。(単なる勉強不足だろう… )
量子力学で用いる用語『重ね合わせ』がどういうものか、私には正直理解できないが
般若心経の菩薩名『観世音と観自在』の『重ね合わせ』については、自分の中で徐々に解明しつつあるところだ。
この図は、『悟りは郷里(さとり)』という馬骨論の根拠となっている『郷』の字の解字をベースとしている。
『観音』という境涯では『観音鏡』に映るもう一人の自分(真我)を観ること、『真の自我が在るを観る=観自・在』が先ずあって
その後、『観世音』(インプット)・『観自在』(アウトプット)の菩薩作用が作動するのでは・・・。
私にとって『観る私=観られる私』の次元の『観』の存在する場が『間』で、人間と称する『間』の原点がここにある事を確認する。
そういった意味では、有名な白隠禅師の公案『隻手の音声』の先に『観音』が在り、それは仏教にとって重要な意味合いを持っているように思う。
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