前回ブログで、『「郷里サトリ」を振り返る機会・・・』というような事を書いたせいか?
ふと、『故郷は遠くにありて思うもの・・・』という有名な詩の冒頭部が我が愚脳をよぎった。
その一節しか知らず、誰が詠ったのかも知らなかったので調べると、かの『室生犀星』の詩であった。
『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても 帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや』 室生犀星 「小景異情」より抜粋
室生犀星も生い立ちに複雑な事情があって、それが終生かれの文学に影響している…とのことであるが、
彼の言う『ふるさと』を、馬骨が言う『郷里・サトリ』に置き換え、人間の『自分』探しの本能とを掛け合わせて観た時
より深い詩の味わいが出てくる気がするのだが・・・。
昨日電車の中で、スカーフを頭に巻いたニコルに『ローリング・ストーンズ』のギタリスト『キース・リチャーズ』に似てる・・・と言ったら
その気になった相方の図 (あんがい動態模写がうまい相方・・・)
西洋の『ロックンロール』・・・というものも、人間の『道』を求める『足掻き・アガキ』エネルギーであろうか?
『仏道』、中でも『禅』はそういった人間の『足掻き』に明確に『道』を示している・・・と思う。
私もこの詩の冒頭しか知らなかったので
記事にしていただきありがとうございます。
まだ意味がよくわからないのですが、大事にしたいと思います。
ニコルさん
スター性がありますね!
かっこいい!