ここ数年来、山本太郎の街宣動画を通して、『失われた30年・・・』という言葉が、耳にタコができるほど聞いてきた。
そしてここ数週間は、政治家や政治評論家、経済評論家なども同様にこの言葉を繰り返していたように思う。
この言葉『失われた30年・・・』というのは、1991年の夏以来、スイス在住している私にとって、祖国日本を思う時、まさに
『失われた33年』となり、その点自分が『浦島太郎』状態であることを改めて思い、日本在住の日本人とはまた違った時空に生きていたといえる。
とくに、2011年にスマートフォンを手に入れるまでの20年間は、日常的に日本情報の欠如と、言葉の通じない外国での悪戦苦闘で
日本を顧みる余裕もなかった・・・というのが実感だ。
2011年になるまで、政治無関心派(ノンポリ)であったわけで、日本の首相歴を〜
海部俊樹(1989年8月 - 1991年11月)宮澤喜一(1991年11月 - 1993年8月)細川護煕(1993年8月 - 1994年4月)村山富市(1994年6月 - 1996年1月)
橋本龍太郎(1996年1月 - 1998年7月)小渕恵三(1998年7月 - 2000年4月)森喜朗(2000年4月 - 2001年4月)小泉純一郎(2001年4月 - 2006年9月)
安倍晋三(第一次:2006年9月 - 2007年9月 / 第二次:2012年12月 - 2020年9月)
このように、並べ見てみると恥ずかしながら、安倍晋三首相以外は、ちょっと名前を聞いたことがある・・・程度の知識で、
1991年に日本を飛び出した時点では、『先進国、日本』・・・という誰もが持っていたであろう『日本人であることの誇り』臭を無意識にせよ
漂わせていた私も、2001年にニューヨークのツインタワービルに飛行機が突っ込むという前代未聞の事件以降、当時観光ガイドしていた私にも
日本人観光客の激減という目に見える形で日本経済の衰退の影響があり、ガイドから引越屋への転職のキッカケにもなったのである。
そして『東北大震災』・・・と、インターネットの発達という時の流れで、日本の『失われた30年』というものが、
どういうものであったか、それまで『浦島太郎状態』であった私にも知るよすがとなったわけである。
その点、海外から観る日本・・・というのは、日本列島に住んでいる人々とはまた違った視点で観ることが出来る、というのも実際あるであろう。
我が故郷『日本』で起きている危機的状況・・・というようなものは、海外から俯瞰する視点で観ることで、一目瞭然・・・ということもあるのではないだろうか。
山本太郎が声高に叫ぶ、『失われた30年・・・』に終止符を打って、かつて豊かだつた日本への転換とすることが出来るのか?どうか?
そういう重い課題をになう衆議院総選挙の結果が今日・・・でることになる。
今週末のハロウィンの魔女が、我がレマン湖畔に遊ぶ図 ヒヒヒっ!
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