普通、三泊四日なのだろうけど、ボク等の第二回目のベルリン旅行は実質二日だった。
普通、ジュネーブ発のところを2時間半かけてチューリッヒ空港から夕方6時発の飛行機に乗り、夜8時半頃ホテルについた。
正味二日の旅で、何の計画もない行き当たりばったりながら、結構充実した旅となった。
(左上の写真)~ ゴッホ展であるが、むかしは倉庫であったであろう大きな建物を利用したゴッホの絵の大画面によるスライドショー・・・
これだけは相方が出発する前にネットで調べてあった。
この会場に着くまでに、一つのドラマ・・・があった。方向音痴のくせに駅のキヨスクで買ったガイドブック片手に相方はさっさと進んでゆく。
どう見ても反対側に行っているから、『そっちじゃない!』と言うのに、聞こえているのかいないのか『黙って着いて来い!』的様子にカチンと来た
ボクは相方とは別れてボクの信じる方向へ向かったのだった。東京ほどではないにしても大都会ベルリン、ここで別れたら目的地につかない限り
もう相手を見つけることは出来ない・・・と思いながらも橋の下の川沿いに展示してあるナショナルジオグラフィーの素晴らしい写真を見たくて
河沿いを歩いた。ボクの感ではゴッホ展会場はこっちの方にあるはず・・・。ところが、要所要所で地図を見せながら道を尋ねるのだが、もう一つ
皆さん曖昧なのと、ベルリンの道案内というか、住所の表示はあるのか?無いのか?スイスから来たボクにはどう探しても道路名が見つけられない・・・
だんだんゴッホ展をあきらめだして、路地から広い道路にでると、同じく地図を手にして情けなさそうにしている相方にバタッと会った。
もともと方向音痴であるのに全く逆方向に行ったのだから・・・、彼女は少しはドイツ語が話せるので聞けば何とかなると思っていたようであるが、
同じく道を聞いてもよく知らない人が多く、適当に全然違う方向に教えてくれたりして、迷いに迷ってここまで来たと言う。
そこで、角っこの画廊のご主人に尋ねると、大きな道路を挟んだ対角線上にその会場があることがわかった。
(左下の写真)~ ゴッホが滞在したアルルの『アルルの寝室』の絵そのままの部屋が展示というか、入ってもいいようにしてあった。
画家を志したのが27歳頃であるから死ぬ37歳までのわずか10年間などとは思えない、静物画のリンゴ一つにしても実に生き生き
しているさまが非常に新鮮だったし、沢山の自画像が大画面に同時に部屋4面に投写され(それを寝転がってみることができるように
大きな座蒲が用意されていて』生きる歓びが髣髴しているのだ。(スライドショーに添えられた音楽も最高だった)
ゴッホの実生活は何事もうまくゆかなかったようだが、絵はどれも歓喜にあふれているのだ。
(中央上の写真)~ スライドショーを3回みてすっかり感動して出てきたのが、広い空間のカフェ・・・思わずボクも『自写像』・カチャッ!
ボクも20代の頃『自写像』を沢山撮ったけど・・・子供の頃見たゴッホ自画像の影響が絶対にあると思う。
ニコルも非常に感動していたようだ。こんなゴッホ展めったに見られない・・・というか、これからは案外こういう魅せ方が流行。
(左中央の写真)~ 最初に来るべき写真と解説であるが、これはベルリンの郊外の住宅地の飛行機からの俯瞰写真。
意味ありげな住宅模様・・・案外何らかの意味を読み取れないものか?と、必死に眺めた図
(中央上から2番めの写真)~ ベルリンのサン・ニコラ教会・・・は現在、有料の博物館になっていたが、
美しい天使木像を見た。 顔はどう見ても女性であるが、胸はなかったのでやはり中性的であったか中世では?の図
(中央上から3番目の写真)~ 滞在した二日目の朝7時20分頃・・・突然ホテルのスピーカーからサイレンがなり、『非常事態!直ちに非常階段で
避難して下さい。 非常事態!直ちに非常階段で避難して下さい!』のメッセージ!?
相方は眼を丸くして、慌てたが、とにかくパジャマから普段着に着替え、靴を履きカメラバッグにアイパッドをつめて
非常階段6階から下に向けて降りる、途中沢山の子連れファミリーが合流、なかには靴も履いてない裸足の親子を見かけた
ケガをしているのか杖をついている女性も2人見かけた。地上階につくも、非常階段から続くドアが鍵がかかっていて外に出れず
上に再び上がってくる人々???しばらくしてホテルの従業員が出てきて、緊急メッセージが誤りであった事を伝言。
部屋に戻って10分後に簡単な『謝罪放送』があり一件落着。何が起きても不思議ではない昨今とはいえねッ。
(中央最下段写真)~ 相方はユダヤ系なのでたまたま地図で見つけたユダヤ人墓地をたずねた。
入り口で黒く丸い帽子を受け取りかぶる。 どこか日本人墓地を髣髴させる雰囲気。細く高い木と、地上にあって倒れている
墓石を覆い尽くす蔦の葉が印象に残る。
(右上から2番目写真)~ コンテンポラリー美術館へ2日目の午後。流石?というのか、ベルリン!というのか
物凄い広い空間をつかって思いっきりナンセンス(ではないのか?)な作品がズラリと、或いはポッンと並んでいる様は
壮観であった。
(右最上段写真)~ 『ブラック・マウンテン』という芸術運動・・・が昔あったらしい。その歴史を振り返る展示。途中であの陶芸で有名な濱田庄司
とか、パーナード・リーチ、柳宗悦等の名前と写真があって急に親しみを覚えた。後でこの『ブラック・マウンテン』については
調べてみたいと思った。
(右最下段写真)~ ベルリンと言えば『Bikini Berlin』・・・かどうかはしらないが、たぶん斬新なお店が集まっていると思われるショッピングモール
そこで、スイスよりは明らかに安くて、品質の良いT-シャツがあって、相方に何枚か買ってやり、大喜びの図。
かくして、ささやかな三泊二日のベルリン旅行は終わった。 二日目の昼に、ベルリン在住の日本人女性に道を聞いたのをキッカケに少し話をしたが
在住8年目の奥さんと3歳ぐらいのあきらかにご主人は黒人であろうとわかる坊やを連れた若奥さんは12年目だそうで、住みやすいと話していた。
今考えたらもう少し話をしたら良かったのに・・・。
ドイツ人は体も大きい人が多い気がする。食事の盛り付けも繊細さにかけるが、その代わり気前がいい。電車の中もお店にもクーラーが無いのが普通
なのだそうだ。 暑かったけれども、スイスに比べたらしのぎやすい気温で避暑が出来た点は良かった。
普通、ジュネーブ発のところを2時間半かけてチューリッヒ空港から夕方6時発の飛行機に乗り、夜8時半頃ホテルについた。
正味二日の旅で、何の計画もない行き当たりばったりながら、結構充実した旅となった。
(左上の写真)~ ゴッホ展であるが、むかしは倉庫であったであろう大きな建物を利用したゴッホの絵の大画面によるスライドショー・・・
これだけは相方が出発する前にネットで調べてあった。
この会場に着くまでに、一つのドラマ・・・があった。方向音痴のくせに駅のキヨスクで買ったガイドブック片手に相方はさっさと進んでゆく。
どう見ても反対側に行っているから、『そっちじゃない!』と言うのに、聞こえているのかいないのか『黙って着いて来い!』的様子にカチンと来た
ボクは相方とは別れてボクの信じる方向へ向かったのだった。東京ほどではないにしても大都会ベルリン、ここで別れたら目的地につかない限り
もう相手を見つけることは出来ない・・・と思いながらも橋の下の川沿いに展示してあるナショナルジオグラフィーの素晴らしい写真を見たくて
河沿いを歩いた。ボクの感ではゴッホ展会場はこっちの方にあるはず・・・。ところが、要所要所で地図を見せながら道を尋ねるのだが、もう一つ
皆さん曖昧なのと、ベルリンの道案内というか、住所の表示はあるのか?無いのか?スイスから来たボクにはどう探しても道路名が見つけられない・・・
だんだんゴッホ展をあきらめだして、路地から広い道路にでると、同じく地図を手にして情けなさそうにしている相方にバタッと会った。
もともと方向音痴であるのに全く逆方向に行ったのだから・・・、彼女は少しはドイツ語が話せるので聞けば何とかなると思っていたようであるが、
同じく道を聞いてもよく知らない人が多く、適当に全然違う方向に教えてくれたりして、迷いに迷ってここまで来たと言う。
そこで、角っこの画廊のご主人に尋ねると、大きな道路を挟んだ対角線上にその会場があることがわかった。
(左下の写真)~ ゴッホが滞在したアルルの『アルルの寝室』の絵そのままの部屋が展示というか、入ってもいいようにしてあった。
画家を志したのが27歳頃であるから死ぬ37歳までのわずか10年間などとは思えない、静物画のリンゴ一つにしても実に生き生き
しているさまが非常に新鮮だったし、沢山の自画像が大画面に同時に部屋4面に投写され(それを寝転がってみることができるように
大きな座蒲が用意されていて』生きる歓びが髣髴しているのだ。(スライドショーに添えられた音楽も最高だった)
ゴッホの実生活は何事もうまくゆかなかったようだが、絵はどれも歓喜にあふれているのだ。
(中央上の写真)~ スライドショーを3回みてすっかり感動して出てきたのが、広い空間のカフェ・・・思わずボクも『自写像』・カチャッ!
ボクも20代の頃『自写像』を沢山撮ったけど・・・子供の頃見たゴッホ自画像の影響が絶対にあると思う。
ニコルも非常に感動していたようだ。こんなゴッホ展めったに見られない・・・というか、これからは案外こういう魅せ方が流行。
(左中央の写真)~ 最初に来るべき写真と解説であるが、これはベルリンの郊外の住宅地の飛行機からの俯瞰写真。
意味ありげな住宅模様・・・案外何らかの意味を読み取れないものか?と、必死に眺めた図
(中央上から2番めの写真)~ ベルリンのサン・ニコラ教会・・・は現在、有料の博物館になっていたが、
美しい天使木像を見た。 顔はどう見ても女性であるが、胸はなかったのでやはり中性的であったか中世では?の図
(中央上から3番目の写真)~ 滞在した二日目の朝7時20分頃・・・突然ホテルのスピーカーからサイレンがなり、『非常事態!直ちに非常階段で
避難して下さい。 非常事態!直ちに非常階段で避難して下さい!』のメッセージ!?
相方は眼を丸くして、慌てたが、とにかくパジャマから普段着に着替え、靴を履きカメラバッグにアイパッドをつめて
非常階段6階から下に向けて降りる、途中沢山の子連れファミリーが合流、なかには靴も履いてない裸足の親子を見かけた
ケガをしているのか杖をついている女性も2人見かけた。地上階につくも、非常階段から続くドアが鍵がかかっていて外に出れず
上に再び上がってくる人々???しばらくしてホテルの従業員が出てきて、緊急メッセージが誤りであった事を伝言。
部屋に戻って10分後に簡単な『謝罪放送』があり一件落着。何が起きても不思議ではない昨今とはいえねッ。
(中央最下段写真)~ 相方はユダヤ系なのでたまたま地図で見つけたユダヤ人墓地をたずねた。
入り口で黒く丸い帽子を受け取りかぶる。 どこか日本人墓地を髣髴させる雰囲気。細く高い木と、地上にあって倒れている
墓石を覆い尽くす蔦の葉が印象に残る。
(右上から2番目写真)~ コンテンポラリー美術館へ2日目の午後。流石?というのか、ベルリン!というのか
物凄い広い空間をつかって思いっきりナンセンス(ではないのか?)な作品がズラリと、或いはポッンと並んでいる様は
壮観であった。
(右最上段写真)~ 『ブラック・マウンテン』という芸術運動・・・が昔あったらしい。その歴史を振り返る展示。途中であの陶芸で有名な濱田庄司
とか、パーナード・リーチ、柳宗悦等の名前と写真があって急に親しみを覚えた。後でこの『ブラック・マウンテン』については
調べてみたいと思った。
(右最下段写真)~ ベルリンと言えば『Bikini Berlin』・・・かどうかはしらないが、たぶん斬新なお店が集まっていると思われるショッピングモール
そこで、スイスよりは明らかに安くて、品質の良いT-シャツがあって、相方に何枚か買ってやり、大喜びの図。
かくして、ささやかな三泊二日のベルリン旅行は終わった。 二日目の昼に、ベルリン在住の日本人女性に道を聞いたのをキッカケに少し話をしたが
在住8年目の奥さんと3歳ぐらいのあきらかにご主人は黒人であろうとわかる坊やを連れた若奥さんは12年目だそうで、住みやすいと話していた。
今考えたらもう少し話をしたら良かったのに・・・。
ドイツ人は体も大きい人が多い気がする。食事の盛り付けも繊細さにかけるが、その代わり気前がいい。電車の中もお店にもクーラーが無いのが普通
なのだそうだ。 暑かったけれども、スイスに比べたらしのぎやすい気温で避暑が出来た点は良かった。
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