扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

疑問と探求【参】

2016年06月30日 11時20分28秒 | 疑問と探究 編
なぜ?私たちに高度な思考と自我をもたらしたのか?






それは、観測者が必要であり、宇宙の法則からなのです。


観測するものがいないと可能性しかないこの宇宙の世界、原子の世界では無いに等しいわけであります。


一定の流れもないことになってしまいます。それでは法則が成り立ちません。


ここで、「大いなる存在」は別なものを作る流れを作り出したのです、それが思考であり自我なのです。


完璧な機能(スーパーコンピューター)を観測するのは、機能不全を起こしたものが必要である。(アプリにバグみたいな感じです)




そうなのです、それが私たちなのです。

私たちの機能不全である自我はこの宇宙の法則を観測するために宇宙から与えられたものなのです。


動物だったら、なんでも良かったかもしれませんが、機能性を考えて人間の身体が一番効率が良く、機能性に富んだものだからこそ与えられたのです。



「大いなる存在」を私たちが観測するための道具が思考であり、自我なのです。


個々に違うのは、多くの角度から「大いなる存在」を観測するためなのです

高度な思考や自我がないと観測できないのです。


ですから、誕生から死滅までに経験から思考・自我を高めること、そしてそれらを理解し活用することで、「大いなる存在」を理解できるようになり、宇宙の法則を理解できるのです。


「大いなる存在」を理解するのは、まず、全てを受け入れ、手放して明らめることで扉に触れることができるのです。

この触れることが「大いなる存在」を観測している状態になるのです。




そして、死滅によって扉が開かれ、すべてが解放され「大いなる存在」に帰依することで一つの法則が終わるのです。


そして、また宇宙の法則によって誕生し機能不全である思考と自我を使いながら「大いなる存在」の観測者となるのです。



それが、私たちがなぜ?高度な思考と自我をもって誕生したのかの答えなのです。

疑問と探求【弐】

2016年06月30日 00時50分51秒 | 疑問と探究 編
自我は、機能不全であり風邪をと似ている状態なので、「風邪引いちゃった」って気づくように、「自我にのまれちゃった」と気づく事が大切です。

風邪と症状が似ているので原因があるわけで、お腹を出して寝てたとか・・・・雨に打たれたとか・・・・
それが、自我の機能不全の場合は「苦」や「ストレス」ということなのです。
ただ、風邪と違う所は常になってしまう環境であり私たちから離れてはくれないものなのであるからして、残念ながら対策など無いのです。
逃れることが出来ない「苦」や「ストレス」をどうするか?


しっかり、受け入れること。





諦めるのではなく、明らめるのです。






この世は幻想だけに受け入れるだけですぅーっと消えていくのです。




さて、自我は機能不全ということが分かった所で、「大いなる存在」はどうして私たちを作ったか?です。



私は、このように考えます。




何かの意図があったわけでもなく、ただ誕生・成長・破壊の法則において出来た物質だけであり、これこそ、宇宙の法則である。

ですので、私たちは特別なんてことはまったく無くシンプルに全ての物と同一であるのです。(特別と思うことが自我でありエゴなのです)

法則は、言わば必ずそのようになることであるので、この宇宙の法則も一定の流れで必ず動いています。
宇宙が誕生し、星が出来その中に地球ができ、そして植物、動物ができただけでありその中にたまたま私たちのような状態の動物ができただけなのです。


では、なぜ?私たちに高度な思考と自我をもたらしたのか?