PCの使用に最後まで抵抗感を感じていたのにインターネットに嵌ったあげく、ブログまで開設するとは、我ながら呆れていますが、何分にも初心者のヨチヨチ歩きゆえ、今までのように優秀な他人のブログを紹介して、其れのコメントなどを、ボチボチと進めて行く事にしています。
このブログのタイトルにもなっているの渡辺京二著『逝きし世の面影』が「A Tree at ease」と「愚樵空論」に相次いで記事が掲載されていますが、大変良い記事なので、私が記事内容について解説するよりも、皆さんが直に読んで頂きたい。以下は記事に対する私のコメント内容です。
『歴史の偽造』
集団自決に日本軍の強制は無かったなどの歴史の偽造は、生存者(目撃証人)の存在で嘘が簡単にばれたが、ことはなにしろ江戸時代。
野蛮未開の江戸時代の神話は、現在のほとんどすべての日本人が信じている。
明治政府が作った神話を否定する勇気有る著作ですね。
しかし自分の信じている神話を完全否定されると、怒る人もいるらしい。(読書感想で毒付く人も)
世界のどんな歴史においても、未開な非文明社会が突然文明化するなどは、ありえない話。(日清戦争は新政権26年目の事)
「作る会」の歴史の偽造は、先祖がえりしただけで連中の常套手段なんですよ。少し早すぎただけで。
ちゃんとした正しい歴史を書き残さないといけない。
嘘でもインチキでも、人は沢山のみんなが信じているものを信じ、本や新聞、マスコミ、其の他色々、多い方(多数意見)を信じます。
『明治人にも2種類』
日本版ネオコン「作る会」の理想の教育が教育勅語の明治の教育、理想の道徳が明治人の道徳。
理想人が、明治人なわけだが、明治でも日露戦争までの明治人(軍人、政治家、経済人)で明治後期、大正、昭和は質が落ちるそうです。
(司馬遼太郎も日露以後の小説は書かなかった)
日露戦争時の日本人(明治人)が最良と考える、司馬史観は「右」だけでなく広く日本人に受け入れられている。
「作る会」はそれを利用して現在の「道徳の堕落とその原因を作った教育」を攻撃し、教育勅語の復活を叫ぶわけです。(全くの歴史の偽造)
第二次世界大戦戦争中の日本の指導者の道徳的退廃なら、今では誰でも知っている。
敗戦以前の日露戦争から大戦突入の日本は戦争に次ぐ戦争で、周辺諸国の人々にも多くの日本人にも多大な苦難を味あわせた。
この時の指導者は、みんな理想の教育勅語教育を受けた人ばかり。
そして(対照的に)日露戦争時に日本の指導的立場に居た人たちは、すべて明治教育(教育勅語)では無く、江戸時代の道徳、教育で育った人ばかりだった。
しかし江戸時代の道徳、教育を受けた世代が引退した後、文明開化の明治の義務教育を受けた世代が第一線で活躍するようになった日本は、果てしない戦争へと突入して、日本を破滅(自滅)に導いていく。
『小林ヨシノリよりも』
漫画「戦争論」を読んで、それまで劣等感に苛まれていた哀れなニートの青年が過去の日本は立派だった?と気付き中国、韓国を口汚く罵る話が近頃横行。
嘆かわしい限りである。
自分自身に誇るところが何も無く、住んでいる日本社会にも誇りが何も無ければ、これは辛いはず。
その心の隙間を埋めてくれた小林ヨシノリ。偽者でもインチキでも自尊心が欲しい心弱い若者達。
この本は、護憲派でなくネット右翼の若者達に、ぜひ読んで欲しい本ですね。
擬似優越感ではなく本物の満足感を感じて欲しい。
著者の努力で安価な文庫本にするとか、簡略本を出すとか。しかし、漫画本で無いと無理か。
「なるほど」
明治維新は、おそらくこのままでは日本はだめだと真面目に考える人がいて悪いことばかりではなかったのではないか、という悩みも同時に持っています。そうですか、江戸時代の教育が・・・。明治以降の教育は、人よりもサルを育てる訓練で、そのサルを優秀、リーダーと勘違いして作戦の神様などと読んでしまっていたところに日本の悲劇があったのかもしれません。
2008/01/14 20:04 | Luxemburg
「サルというより機械の部品」
江戸時代の寺子屋、塾の教育の基本が自立した「職人」を作るものだったとすれば、明治の義務教育は資本主義の工場「労働者」を大量生産するものだったし、その対極にあったエリート教育は官僚養成機関に過ぎなかった。(どちらも自立した人間を育てるものではない)
自立した職人と工場労働者では、待遇面で現在の正規雇用の熟練労働者と非正規雇用のパートや派遣労働者との賃金格差と同等な極端な労賃の引き下げが行われる。
エリート教育をうけた最優秀な人材東条英機は、副官としては上官の命令を寸分たがわず部下に伝える能力には優れていた。しかし幾等副官として能力があろうとトップに立つ資格は最初から無かった。
政治家や財界、日本軍は下士官レベルでは世界最高峰を誇っていたが、最高司令官レベルでは道徳や基本的知性に欠ける輩が横行し日本を戦争中毒に陥らせ、破滅へと導いていったのは当然の結果である。
『もったいない』
リサイクルとかモッタイナイとか推奨される時代ですが江戸時代は究極のエコ社会、完全なリサイクル社会だったらしい。
今では完全に失われたが、高度経済成長の前、60年以前の日本の社会でも、幾等かはその残滓はあった。
社会から「リサイクル精神」が完全に無くなってからですよ「リサイクル」が叫ばれるようになったのは。
{ヤマダ電機が廃棄用の「リサイクル家電」を本当にリサイクルして通産省から注意処分をうけていた。)
晴耕雨読で早雲さんと封建制の復活論議で盛り上がったことが有るが、江戸後期を封建制と捉えるだけでなく産業革命以前の社会では、最高度の技術水準に達していた農本産業国家であったのでしょう。
Luxemburgさんは、すでに以前から気付いているとは思いますが、この本は「歴史教科書」以上に政治的(イデオロギー的)問題を孕んでいる。
この本にも書いて有るように、西洋人たちの「肯定的日本感」に対して一番反発したのが、他ならぬ当時の文明開化を押し進めた、日本の知識人たちだった。
「しあわせな江戸庶民」「素晴らしい日本文化」は彼らのタブーだった。
そしてこのタブーは今でも「作る会」の信奉者達に受け継がれています。(彼らの主張の根拠が脅かされるから)
プロフィール画像が一休禅師とは、こっそりと抱いていたイメージにどことなくぴったりな気がします
江戸の再評価といえば、勝海舟が、たしか日清戦争の頃、「江戸時代の方がみな、幸せそうに暮らしていたんじゃないかな」という主旨のことを語っていたのを読んだことがあります。
このところお名前をあまり拝見しないと思っていたら,う~む,本当にブログを開設されたんですね.今後とも相互乗り入れというか,お付き合いよろしくお願いします.
これから時々拝見させて頂きます。
ところで当方のブログから何故かgooブログにトラックバックすることができません(全般に)。
当方にトラバ下さることは全く構いませんが、こちらからTBできず申し訳ありませんが、何卒ご了承下さい。
これまでたくさん勉強させていただきました.これからも勉強させていただきます.
一休さんのような毒舌をよろしくお願いいたします.
私も先週から引きずっていた「嘔吐下痢症」が漸く治りかけて,いま煮込みうどんを食べている所です.
江戸時代が封建制だったという議論は子供の頃から羽仁五郎の本を読むたびにヘンだなと思っていました.全ての学問がそうであるように,社会ごとの歴史や文化というのはそれぞれ独立に「進化」するものだと私も考えていますので.
実はこの考え方を教えてくれたのは亡き祖父でした.いとこを夏と冬の休みに集めて,道場で剣道を教え,中国書道を教え,四書五経をかいつまんで教えてくれたのです.祖父は戦前戦後と警察官という職業をして来て,日露戦争が勝ったというふうに日本人は騙されてきたのではないかと,幼い私たちに問いかけたのです.(足が悪い私に,背が高いからすり足なら小手や胴で勝てると教えてくれたのも祖父でした)
祖父は著書こそ書道の専門書の1冊しか遺しませんでしたが,書道塾に置いてある本の数は蒼々たるもの.3高理科(の剣道部)を出た祖父の勉強ぶりが偲ばれます.仲の良い従兄からもらった年賀状にも正月は祖父の墓参りをしたとありました.
今後ともよろしくお願いします。
しかもプロフィール画像までついているじゃないですか!
ということで、今後ともよろしくお願い致します。
いつも適切なコメントありがとうございます。
ブログを開設された由。
気長に更新してください。
私は、二つのブログを毎日更新していますが、正直言って相当負担です。
これでも現役労働者なもんで・・・
欲張らずに気が向いたら更新する位から始めてください。
http://blog.goo.ne.jp/junsky
http://junsky07.blog89.fc2.com/
たぶん、いろいろ訪問先で経験されてると思いますが、「ごみ拾い」もマメにやらないと、汚くなるので用心。
とりあえずは、お気楽に。