運命の日の夕方、私は父からお使いを頼まれた。
父はその頃、確か“しんせい”と言うタバコを吸っていた。いつも買いに行かされたのは、その銘柄だった。
当時、4世帯の入った小さな2階建てアパートの1階に住んでいた。
玄関を入って靴を脱いで上がり、すぐ左側のドアが我が家の入口だった。
ドアは木造で薄く、戸締まりの際は掛け金にダイヤル式の南京錠を一つだけ掛けると言う簡素な物だった。
タバコを買って帰ってくると、2階に住んでいる30代〜40代位の顔見知りのおばさんが待ち構えており、「今は家に入らないほうが良いから亅と言って、2階の自分の部屋へ来るように促された。
言われるまま、私はしばらくの間、2階のおばさんの部屋で過ごした。
木造の安普請の小さなアパートである。薄い木材に仕切られ、現在の様に防音素材など大して使われていない時代だ。
おばさんの部屋の階下では、私が出かけた直後から、きっと父と母の激しい口論が筒抜けだったのだろう。
気を利かせたおばさんが、配慮して私を避難させてくれたのだった。
私が2階で過ごしていると、階下から物凄い物音が聞こえてきたのだと思うが、そこら辺の記憶は少し曖昧だ。
やがて、音が静まり私はおばさんに付き添われて、階下の自分の部屋へ戻った。
部屋には父も母も居なかった。
ドアを開けて最初に目に入ったものは、倒れた家具や壊れて散乱した物の数々。
父が母の不義を知り、逆上して大暴れしたと、後々大人になってから知った。
畳には血痕があった。
少量の血のシミだったので、父が壊れた物を踏んで足を切って出血したのだろうと思った。
部屋の中でいつもの場所から倒れもせずに所定の位置にあった物は、私の学習机だけだった。
しかし、残念なことに私が大事にしていた、友達からプレゼントされた親子の鹿の置物は、母親の鹿の方が割れていた。父が意図的に壊したとは思わないが。
ひと通り部屋に目を通してからドアを見ると、父が魚をさばく時によく使っていた出刃包丁が刺さっていて、ギョッとした(シャレじゃないけど)。
ドアには何度も刺して抜いた痕跡があり、終いには耐えきれずに柄が刃から外れたのだろう、刃のみ刺さったままとなっていた。
その時だけは、母は大丈夫だろうかと言う思いが、チラッと頭をよぎった。
私は部屋の状況にショックを受け、出刃包丁のことも相当驚いたけれど、鹿の置物が壊れた事が一番感情を表しやすかったのだと思う。「大事にしていたのに…」と声に出すと、ポロポロ涙がこぼれた。
その後どうなって、そして、その日はどうやって寝たのかも全く記憶にない。
それから間もなくの事だった。
友達の所から帰ってきた時、アパートの前で母が待ち構えていた。
家の中の母の荷物を取ってくるようにと言われた。
家に入るとそこには父がいて、母から荷物を取ってくるように言われた事を告げると、ダメだと言う。
私は直ぐに部屋を出て母に告げると、取って来いと言われる。
私は父と母のはざまで、どうして良いか分からなかった。
最終的には、父と母が直接話し合ったと思うが、何れにしても父は荷物を渡さなかったのだと思う。
そんなことがあってから数日後、私が家に帰ると、ドアを開けた途端目に入って来たのは、何もないガランとした部屋だった。その板の間の真ん中に、父がポツンとあぐらをかいて座っていた。
母が父と私の居ない間に、私の学習机と椅子だけ残し、家財道具の全て、床の敷物まで持って出て行った事を知った。
私は何度目かのショックを受けた。
家財道具はその後父が買い揃えたのだと思うが、そこら辺の記憶も全く残っていない。
記憶が鮮明に残っているのは強烈なショックを伴う出来事ばかりだった。
母が出て行ってしまってからというもの、元々酒好きだった父の酒量は増えた。帰宅は遅いし、泥酔している事もあった。
手のかかる小学1年生の生活の世話から家事一切を、突然一人で全てやらなければならなかった父は、相当大変だったと思う。
心の整理も出来ないまま、働きながらの子育てが突然始まってしまったのだから。
大人になってから、ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープの映画“クレイマー・クレイマー”を見て、妙にリアルさを感じ、少年に自分を投影して見ていた。見ると必ず泣いてしまう。
原題の“Kramer vs. Kramer”は、法定で親権を争うクレイマー家の「父対母亅の意味だ。
ダスティン・ホフマンが私の父と同様に、妻に出て行かれて、慣れない家事をする様を、こちらは父に投影して見てしまう。
父の酒は、悲しい酒だった。父は、酒に飲まれてしまうタイプだった。
ある夜も泥酔していた。
何がきっかけだったかは忘れてしまったが、突然「俺は死ぬ」と宣言して、台所に立った。
私は子供ながらに包丁を渡すまいと、父の布袋様のような突き出たお腹を、力いっぱい泣きながら押して、止めようとした。
実際の所、どんなに力で押しとどめようとしたところで、所詮幼い子供の力である。振り切る事は父にとっては容易な事だ。「やめて」と泣きながら止めたが、それが功を奏したとも思えない。
父は本当に、何もかも嫌になってしまったのだろう。死にたい程の気分であったに違い無いと思う。
過酷な日常の業務を終え、通常なら疲れた体を癒やす家庭のはずが、家に帰れば些末な慣れない家事が山積みだ。
その上、何にも出来ない頭の悪い小学1年の子供の世話。学校行事等も把握しておかなければならない。
父にとっては心も体も休む暇が無かったはずだ。
「死ぬ」と口に出して、さらに行動に移したことで、ストレスではち切れそうだった心がほんの少し、収まったのかもしれなかった。
父も泣き、私も泣いた。
私は父が酒を飲んで乱れる事が嫌でならなかった。
台所にはいつも酒の一升瓶が置いてあった。
まだ封を切って日の浅い、七分目位酒が残っている一升瓶があった。目に入った瞬間捨ててしまおうと思った。
誰も居ない独りぼっちの昼下り、私は躊躇する事なく、流しに酒をドボドボと流した。
父が帰宅し、食事を終えた後に、空の一升瓶に気付いた。
気付かれた瞬間、「あー、水でも入れておけば良かった」と思ったが、時すでに遅し。
大目玉覚悟で構えていると、「酒、捨てたのか」と父は穏やかに私に尋ねた。「うん」と答えたあと、父は「そうか」と言ったきり何も言わなかった。
それから父はあまり深酒をする事は無くなった。
父と二人だけの生活は、私が小学5年生になるまで続いた。