7月22日。朝から日差しはカンカン照りだった。
こんな日のジョギングの時には、帽子に“日除け”を付ける。自分でも毎回思うのだが、この“日除け”のせいで私の頭部を見た人は、きっとみんな日本兵を連想すると思う。
余談だが、調べてみると日本兵の戦闘帽に付けられていた日除けの布は、「帽垂れ」といい、4分割された布だった。私のは見かけは似ているが、黒いナイロン製メッシュの一枚物である。
そんな”いで立ち“でいつもの様に河川敷を走っていたら、向こうから男性が走って来た。その姿が私を引き付けた。
男性は、帽子の中に手拭い(タオル)を被り、その端を口にくわえて走っていたのだ。それはまるで、時代劇で女性が手拭いをかぶる姿を思い起こさせた。
この手ぬぐいのかぶり方は、「吹き流し」と言うらしく、実に色っぽいかぶり方なのだ。
こちらは女性で帽垂れの日本兵、あちらは男性で手ぬぐいの吹き流し。
そんな二人がすれ違った。ただそれだけの事なんだけど、私にとってこのすれ違いはここだけの珍事。誰も知らない。走りながら、この”奇跡“に一人で面白がっていた。
やがて、藻岩橋からの折り返し走も終わりに近づいた頃。
精進川から豊平川に流れ込む細い川があり、小さな橋がかかっている。その橋に、私が差し掛かった時、家族と思われる3人がいた。
父親らしき40代の男性が、橋の右へ左へと移動していた。
先ず、小さな橋の東側を除き込み、更に西側の橋の下を覗いてから、大きな声で「こんなとこに犬なんていねえって!」と怒鳴るように言った。
道のかたわらに佇んでいた母親らしき女性と、小学校高学年くらいの娘は無言だった。威圧的な父親の声に、少し萎縮しているようにも感じられた。
私はそこを走り過ぎながら、父親の声が耳に残り、どういう状況なのか気になって、その理由を考えてみた。
ティックトックやYou Tubeで、川に溺れる犬や衰弱した犬、袋に詰められて川に流される仔犬を救う映像をよく見る。まさか、そんなシーンをとらえようと家族で川へ来る、なんて事はまさか無いよなあ。
もし、家から居なくなった愛犬を探しているなら、「犬」なんて言わずに、愛犬の名前を呼ぶだろう。誰も犬の名を呼んではいなかったから、これも違う。
ならば、娘が犬を欲しがったので、ペットショップで買うには高価だから、野良犬を探しに川まで来たのか。いやいや、そもそも野良犬なんて最近見かけないし。あるいは、心無い人の捨て犬を期待して来たのか…。
私の妄想力はそこで尽きた。
一体、どんな状況だったのか、いつまでも気になりながら走り続けた。そして、答えの出ぬまま、ジョギングのゴール地点に決めている、ミュンヘン大橋の影がかかる地面を掛け抜けたのだった。
呼吸をを調えながら、踵を返して橋の方へ戻ってみたが、家族の姿はもうなかった。
何となく気にかかるあの家族。高圧的な父親の言葉が耳に残る。よく分からない状況だったけれど、女の子が悲しむ事にならなければ良いなあと思う。
幸せな家族であれと願う。