はるらんまん 3人娘と生活…その後

日々思ったこと、感じたことを3人娘の母として...、日記のように適当に書いてます!! 55歳で再婚! 

調停離婚という形…

2010-02-19 23:20:50 | 結婚・離婚

自分だけなら

どんなことをしても生きていける…

でも、病気のある上2人と1歳数カ月の子供を抱えての生活には

かなりの不安がありました。

子供の養育費や慰謝料、親権についても

子供の今後の生活のために話し合う必要がありました。

既に彼女と結婚したいと言っていた主人なので

私も一日も早く落ち着いた生活がしたかったため、

一般的な金額で話合い、ほとんどの話は2人の間で決まっていました。

何の保証もない口約束だけでは不安なので

調停申立てをし、一度だけ家庭裁判所に行きました。

そこで調停調書というものを書いてもらいました。

ほとんど協議離婚なのだけど、調停離婚という形で

離婚しました。

過去に一度、養育費が払われなくなった時、

家庭裁判所で履行勧告という手続きをしてもらい、

「子供と会えないのに払い続けるはいやだ」

という元夫からの言い分に

子供を会わせるという交換条件のもと

また、送ってくれるようになったので、

2人の間だけで決めるのではなく、

家庭裁判所で相談されるのはお勧めです。(笑)

もう16年も前の離婚の話だから、

(今、悩んでいる人には簡単な文章でごめんなさい

月日の経つのは早いもので、

三女なつの養育費もそろそろ終わります。

元旦那はその彼女と結婚して子供もいて大変なのに

今までどうも有り難う。

元旦那のおかげで今まで何とか生活ができました。

感謝、感謝。

元旦那、娘2人が高校生で大変な時は

前倒しで養育費を送ってくれました。

いい人と結婚したって言うか、いい人と離婚したって言うか…(笑)

上2人も成人したし、早く娘たちにいい人現れないかなぁ~。

私にも!!(笑)


結婚と離婚

2010-02-19 11:20:04 | 結婚・離婚

よく離婚することは結婚する時の

何倍も体力がいる…というけれど

本当で、

結婚するときはきれいな湖に、

勢い付けて、

エイッ、ヤーッ って入る感じだけど、

離婚するときは泥沼に

何かに押されて入っていく感じかな.…(笑)

いろんな原因や状況が重なって…

前へ進むのもかなり大変で…

。。。

二人の事はともかく、

やっぱり子供は何の責任もないのにかわいそうです。

経済的な事が一番だけど、

父親の思い出のない三女なつは

上の二人とはちょっと違う…

やっぱり私が想像できない何かが

心の中にあるのでしょう…

結婚生活が続けられるならそれが一番いい方法だとは思うけど

自分が自分でなくなるような感じ…

主人がぼやけて見える感じ…(笑)

…そうなったら、いろんな本を読んだり、相談して

新しい道を選んだ方がいいと思います。

ひとり娘の私は、気がねせずに帰れる家があったということが

それ以上の我慢が出来なかった原因のひとつなので

昔のように兄妹が多ければもっとたくましく頑張れたかなぁ~とも思うけど、

離婚して一度も後悔はしなかったので、

選択は正しかったと思います。

…まだ、わかんないか…(笑)

死ぬ前の3分で幸せな人生だったと思って死にたいから

まだまだ、子供の幸せを願いつつ、

自分の幸せも模索中です


そして次女も…

2010-02-19 08:59:03 | 3人娘

次女あきが幼稚園の時、

ある朝突然足が腫れ、

全く歩けなくなったのです。

数日前から指も何本か腫れていたので

心配していたのですが…

病院に連れて行くと、

今度は5000人にひとりの難病、

若年性関節リウマチですと告げられました。

長女が10000人にひとり、次女が5000人にひとりの病気…

(この確率で、宝くじにでも当たればいいのに…)

病院の先生に

「他に家族に病気の人はいますか?」と聞かれ

「義父が糖尿を患っていて、脳血栓で半身不随、義母が神経痛で手が悪く、

主人は原因不明の腸の病気で入院していて、長女が結節性硬化症です。」

先生2人は顔を見合わせ絶句していらっしゃいました。

そして、旦那が浮気…

私は先の見えない…

いえ、

暗い将来しか見えない不幸のどん底にいると思いました。

結婚するときは世界で一番幸せになると思っていたのに…。

甘い夢しか見てなかったのです。


長女は難病…

2010-02-19 08:48:56 | 3人娘

長女ふゆは生後9ヵ月の時にてんかんの発作を起こし、

1万人にひとりという結節性硬化症という病名を告げられました。

先生の仰ることは曖昧で、納得いかず

当時はまだパソコンも普及していなかったため、

書店で病気を調べるしか方法がありませんでした。

ほとんどの本には病名すら載っていませんでしたが、

たまに載っていた本には信じられない、

信じたくない症状が載っていました。

有名な病院、大学病院で検査をしても、

診断が間違っていたとは言ってはもらえず、

同じ病名を告げられました。

これからふゆがどうなっていくか、

どう育てていいかわからず、

私が替ってやれるなら、替わってやりたいと何度も思いました。

そしてもう…子供はひとりだけでいいと思いました。

その時、主人に相談すると

「ふゆに何かあった時、おまえがどうなうかわからないから、

子供はもうひとりいたほうがいいよ。」と

2年後に次女あきが生まれましたが

今はその時の主人の言葉に感謝しています。

20年経った今、あきはとても明るいおしゃべり好きの

我が家のムードメーカーになっていて

今まで何度も救われました。