久しく本の記載をしていませんでした。
自分で買ったり自宅の本を読んでいた。
私はやっぱり地区センターで借りて読む本が好き。
感動する本にも出合えます。
「いのちの停車場」 南 杏子
救急救命センターに務めていた主人公でしたが故郷の金沢に戻り訪問診療医として再出発する。
助ける医療から終末期の緩和の医療と異なる。
最初は苦労があるが対応が素晴らしい。
老々介護の夫婦 半身麻痺のIT社長 6歳の小児癌の少女・・・等々
色んな患者さんが登場するが幼い子供の癌は涙なしでは読めません。
『がんになっちゃってごめんね」「がんの子でごめんね」「ずっと長生きしたかったパパとママを悲しませないように」・・・
主人公の父親が骨折からドミノ倒しの如く誤嚥性肺炎 脳梗塞 脳卒中後疼痛と激しい痛みに苦しむ。
積極的安楽死を望む父親。医師の身として苦しみながらも答える。
結末の先は知識がないので分かりにくい。
ALS (筋萎縮性側索硬化症)指定難病2
ALSで苦しんで亡くなった私の友。8年前だが今でも時々思い出す。
その友は初期症状として舌や口が動きにくくなるタイプでした。
言葉がうまく運ばない。「れ」と「ろ」の区別がつきにくい。
「ストレスが原因よ」と言うと「私もそう思う」と答えた友。
診断結果「運動機能が衰える病気だった」と言う。はっきりした病名は知らされなかったのか?私も検索したがその時は出てこなかった。
電話好きな友はそれから何度も声が出るまで電話をくれた。
ろれつが回りにくく私はオウム返しで会話をしました。
今だったらスマホのかけ放題で気にしないで話せたでしょうに・・・
皇室の話が好きだった友でした。
最後にくれたハガキをここに残します。
2015年3月14日消印
「辛いことが少なく」と書いていますが彼女は乳癌になったり原因不明のめまい (寝ていてもくるくる回る) で起きられなかった歳月。
丸まって寝ていたせいでしょうか 起きられるようになった時は背中が丸くなり160㎝以上あった身長が縮んで150㎝位になっていました。
それから十数年して又もやALSと言う難病が発症したのです。
2013年の年賀状には「お会いできるのを楽しみにしています」とあったのに間もなく病気で声が出にくくなった。
7月に入るとリハビリ、口腔体操を次は関節可動練習や筋力強化運動を受ける。くじけず前向きに・・・と
しかし1年後には一人で外出できない~と書かれてありました。家の中で伝い歩きをしているとも。こんな苦しい思いをしているのに「楽しいことがいっぱいあり辛いことが少なく・・・」なんてポロポロ涙がこぼれました。
「貴女のことはいつまでも忘れないよ」と最後の手紙を送りました。
あの世というものがあるのなら今度は健康な身体を貰って好きなことをして過ごしてね。私に電話することも忘れないでね。。。私も忘れないよ。
最後は今、庭で咲いている花で飾りたいと思います。
ゲラニウム・マクロリズム & チョコレートコスモス
ご覧いただきまして ありがとうございます