土佐稲荷神社に併設で公園がある。
場所は中央図書館の裏手、西高校との間のマンション群の谷間のような場所だ。
それほど広くない公園だが所狭しと桜の木が植えてある。
これがすべてソメイヨシノだ。
近隣の家族連れやら、学校帰りの児童やら、行き場所のない高齢者達やらが群れて大変な人出だ。
その人出を当て込んで神社の敷地には屋台、出店も軒を並べている。
まるで祭りだ。
日本にはいつの頃からこんなに桜が植えられるようになったのだろう。
幼い頃の記憶の中には、桜の大群はそんなにあちこちにはなかったように思うのだが。
坂口安吾の傑作に「桜の森の満開の下」という短編小説がある。鈴鹿峠の桜の森に棲む山賊と愛人の怪しく狂おしい愛憎劇に乗せて、真の男女の愛とは何かを描いたものであったように覚えているが、二十歳の頃に一度読んだ切りで定かではない。
満開の桜の花の下に居ると発狂するという幻想的で強烈な印象が、青年期の多感な気持ちを強く捉えていた。
そう、満開の桜の花には人の日常性を破壊してしまう狂気が潜んでいるのだ。
桜の木の下には死体が埋まっているというのもあったな。
狂ったように咲く桜の花が、そうかもしれないと思わせる何かを発散しているのだろうか。
真夜中に街中を自転車で走っていると、何やら美味しそうな香りが漂ってきた。これは何の香りだろう。ああ、これは。これは、桜餅の匂いだ。
桜の花の香りだと感じるのが正規の作法なのだろうが、腹は正直だ。食欲の方が刺激されてしまった。
情緒がないというのはこういうことだ。
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