お彼岸になりました。日が差し込むと本当に春らしさを肌で感じることができます。霊園ではお彼岸参りということで朝早くから沢山の方がお参りになっておられます。例年通り、JR相野駅より大型バスが送迎しております。(3月19日(土)、3月20(日)、3月21日(月)の3日間、ほぼ1時間おき。運行ダイヤは当ホームページ、「霊園」内特別期間バス運行表(PDF)をご覧ください。その日以外も管理事務所まで連絡下さい。通常のミニバンが迎えに参ります。)また、ご先祖供養にお彼岸の墓前回向(ぼぜんえこう)、読経(どきょう)も受付けております。お気軽にお申し出ください。
彼岸といえばあの般若心経の波羅密多(パーラミータ)のことです。到彼岸を意味します。迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸を指していいます。そして年2回(春、秋)のお中日は昼夜の長さがほぼ同じになるといわれています。つまり東から日が昇り西に日が沈みますが私たちがいる此岸からみれば最短の距離に日が沈むことになります。真西に日が沈むということは来世の西方浄土にも最短の距離になるのです。お墓参りやお寺参りを通して来世におわす阿弥陀さま、ご先祖さまに思いをはせると同時に私たちも日頃の生活を省みる絶好の機会になります。それは昼夜の長さが同じということからお釈迦さまの説かれた中道(ちゅうどう)を考えるのによい機会だからです。中道とは中途半端とか、ほどよさを表す意味ではなく偏りやとらわれの心を離れ、きびしく公平に現実をみきわめ、正しい判断・行動を説き示すものです。かたよらないこころ。とらわれないこころ。こだわらないこころ。・・・・・この時期、ようやく春であれば寒さが、秋であれば暑さが少しましになっていき過ごしやすくなっていきます。暑さ寒さも彼岸までとはよくいったものです。・・・・しかし、春彼岸の頃はスギ花粉の最盛期なので人によってはつらい時期でもありますね。(笑)
さて、このところのお寺の様子ですが先週の14日(月)、西国25番札所、播州清水寺の貫主(住職)様のご母堂様がお亡くなりになり(行年94歳で天命を全うされました。)正副住職共に葬儀に出仕させていただきました。沢山の方々が参列され地元寺院のみならず西国札所寺院のご住職様方も列席されていました。
16日(水)には1ヶ月と一日遅れの涅槃会法要を営みました。(当山では毎年旧暦ということで実施していますが、一般には2月15日がお釈迦さま入滅の日であるお涅槃会が営まれます。)毎年、福聚教会(詠歌、舞踊の会)の会員と総代さんに参っていただいております。法要後、小生、浅学でありますがお釈迦さまのご法話をさせていただきました。みなさんご清聴ありがとうございました。実践(実生活)を通しながらもっと勉強をし、よりわかりやすいご法話(布教)が出来るようにしたいと痛感いたしました。その時のご法話でも少し触れましたが仏陀(お釈迦さま)とは目覚めるという意味なので私たち凡夫だって一日を一生に見立てて布団から起き上がる瞬間に今日も一日、こころさわやか、ありがとうと思うことが出来たなら小仏陀になることが出来るのではないかと思います。せつにその日その日を大事に生かせていただきもし不本意な一日であっても又、次の日やり直すことができると考えれば実に大らかな気持ちになれる気がします。また次の日の朝、目覚めて布団から出る瞬間,さわやかな気持ちで迎えることができるなら、また小仏陀になれるのではないかと思います。嫌なことや失敗があってもこのように何度もやり直すことが出来るんだという大らかな気持ちで日々過ごすことが出来ればと思います。
※写真は和田寺所蔵の涅槃図(江戸中期の作)です。3月いっぱい寺仏堂で公開、おまつりしております。是非お参りください。
彼岸といえばあの般若心経の波羅密多(パーラミータ)のことです。到彼岸を意味します。迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸を指していいます。そして年2回(春、秋)のお中日は昼夜の長さがほぼ同じになるといわれています。つまり東から日が昇り西に日が沈みますが私たちがいる此岸からみれば最短の距離に日が沈むことになります。真西に日が沈むということは来世の西方浄土にも最短の距離になるのです。お墓参りやお寺参りを通して来世におわす阿弥陀さま、ご先祖さまに思いをはせると同時に私たちも日頃の生活を省みる絶好の機会になります。それは昼夜の長さが同じということからお釈迦さまの説かれた中道(ちゅうどう)を考えるのによい機会だからです。中道とは中途半端とか、ほどよさを表す意味ではなく偏りやとらわれの心を離れ、きびしく公平に現実をみきわめ、正しい判断・行動を説き示すものです。かたよらないこころ。とらわれないこころ。こだわらないこころ。・・・・・この時期、ようやく春であれば寒さが、秋であれば暑さが少しましになっていき過ごしやすくなっていきます。暑さ寒さも彼岸までとはよくいったものです。・・・・しかし、春彼岸の頃はスギ花粉の最盛期なので人によってはつらい時期でもありますね。(笑)
さて、このところのお寺の様子ですが先週の14日(月)、西国25番札所、播州清水寺の貫主(住職)様のご母堂様がお亡くなりになり(行年94歳で天命を全うされました。)正副住職共に葬儀に出仕させていただきました。沢山の方々が参列され地元寺院のみならず西国札所寺院のご住職様方も列席されていました。
16日(水)には1ヶ月と一日遅れの涅槃会法要を営みました。(当山では毎年旧暦ということで実施していますが、一般には2月15日がお釈迦さま入滅の日であるお涅槃会が営まれます。)毎年、福聚教会(詠歌、舞踊の会)の会員と総代さんに参っていただいております。法要後、小生、浅学でありますがお釈迦さまのご法話をさせていただきました。みなさんご清聴ありがとうございました。実践(実生活)を通しながらもっと勉強をし、よりわかりやすいご法話(布教)が出来るようにしたいと痛感いたしました。その時のご法話でも少し触れましたが仏陀(お釈迦さま)とは目覚めるという意味なので私たち凡夫だって一日を一生に見立てて布団から起き上がる瞬間に今日も一日、こころさわやか、ありがとうと思うことが出来たなら小仏陀になることが出来るのではないかと思います。せつにその日その日を大事に生かせていただきもし不本意な一日であっても又、次の日やり直すことができると考えれば実に大らかな気持ちになれる気がします。また次の日の朝、目覚めて布団から出る瞬間,さわやかな気持ちで迎えることができるなら、また小仏陀になれるのではないかと思います。嫌なことや失敗があってもこのように何度もやり直すことが出来るんだという大らかな気持ちで日々過ごすことが出来ればと思います。
※写真は和田寺所蔵の涅槃図(江戸中期の作)です。3月いっぱい寺仏堂で公開、おまつりしております。是非お参りください。