和田寺だより 

住職のよもやま話し

市戦死者祥月法要

2009年07月08日 | 和田寺だより

毎月、8日に篠山遺族会館にて祥月法要が執り行われております。本日は小生が導師の当番日でした。法要後、遺族の方々を前にご法話の時間もいただいておりましていつもながらどんなことをお伝えしようかと考えながらのご法話です。本日は「正しさ」について考えてみました。お釈迦様はこの世におけるすべての事象は、「空」であると。つまり「実体がない。」と仰っておられます。とすると個人の正しさのものさしも実体がないということになります。考えてみると正しさや常識は時代によったり、国の文化の違いなどにより違いが出てきます。戦時中の教育と敗戦後、民主化した教育は180度違ってますね。家族を守る、国を守るってことを強調しすぎ、諸外国の言い分を無視して自国の利益のみを強調した結果、先の大戦へとつきすすんでいってしまったように思います。全く違う喩えをするとボランテイアをされる方がそのボランテイアにたまたま参加しない方に「なぜあなたは協力しないの」ってもし言われた時、言われた方としては何か不本意に思いますね。そして意識のずれから軋轢が生じてきます。つまり正しさを押し付けた時に喧嘩や戦争に発展する恐れがあるように思います。Aさんの思う正しい事、Bさんの思う正しい事は少し違って当たり前ですよね。そんな時、私の方が正しい、いや僕の方が正しいと意見の押し付けあいをする時、喧嘩になってしまいます。夫婦喧嘩がいい例です。そして我が家も・・・ありますねこの事を仏の教えにあてはめた時「中道」の言葉が浮かんでまいります。「極端に走らない」「かたよらない」「こだわらない」・・・・・・「へえーそんな考えもあるんかあ。でも僕自身はこう思うんやけどA君はどう思う?」国対国も同じですね。そしてそこに相手への思いやりがあるかどうかで大きく違ってくるように思います。・・・・・あらためて戦没者のみなさまのご冥福をお祈りいたします。合掌


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