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特攻隊

2020-06-11 17:57:32 | 日記

この記事一番書きたい文章だが書けない、未だ脳裏で熟して居ないのだ。

今日、本を読んだりネットで検索したが無理だった、左派と右派では似た様に書かれているが熟読すると内容が大きく違う、当然だろう。

旅行会社時代ボロ会社で資料が無く、自費で日本の観光地の本全部買って猛勉強した。

得意はアッチ方の観光地だが全国の地域の知識自負で社内一と思った、しかし不埒な人間であるが一部真面目だ。

兄弟が多く戦争の話良く聴いて居た、それで意識が強いのだろう真面目な企画で長崎、広島3回行った。勿論原爆資料館目当てだ、そして沖縄にも行った洞窟、ひめゆりの塔当然行った、ここで女学生や島民がアメリカの上陸で自刃した話辛かった。

未だ旧館だったが知覧特攻平和会館も見学した、多分浜野トメさんだったろう話を聴いて皆感激して涙流す人もいた。

俺は仕事中だし、未だ70年安保の敗北感が有り上官の検閲の遺書と思い、天皇陛下万歳、靖国で逢おう言葉嫌だった。

会社辞めて個人と団体旅行で二度訪問した、新館に成って居たそして遺書真剣に読んだ、検閲済みの文だが行間で彼らの意思読めたのだ、感激したこれは後の記事で詳しく書きます。

当時からですが戦死者320万人、戦で亡くなった方と一般人、死の意味違うと思って居る(空襲、沖縄、満州開拓者,ソ連の抑留者、原爆、その他)皆一般人で戦死者で良いのだろうか、銃後の守り有るから被害者はではまずいのかな疑問だ。

昔、召集令状(赤紙)で呼ばれ軍人に成った、当時はがき代が一銭五厘だったのでそう呼ばれたが実際は役所で配った、拒否は出来ない近所親戚ではオメデトウで祝われた(心の裏は知らない)戦死はハガキ一枚で終わる。遺骨も遺品何も無い名誉の戦死で讃えられた、身内はさぞ悲しかっただろう。

遊郭に若い子が多数居た、父は戦死母は空襲で亡くなり身寄りは居なかった、当然女衒の餌食だ六十年前の話だが寿命伸びた未だ健在かも知れない。話は若干移る、南国の戦死者60%は餓死とマラリアらしい如何に軍隊の作戦無謀で不能と思う、先程一般人と軍人の戦死別けたか説明します、己を守るには敵を殺さなければ自死が待って居る、戦争とは人格を変える実に悲壮な事実だ、戦争の帰還者は余り思い出を語らなかった深層心理解出きる。

其処で特攻隊の記事だ、戦死者320万人いる(事実はもっと多い)俺は悩む、彼らだけを書く事は残る人に失礼と思うそして、特攻隊を美化してしまう可能性は高い真実を調べて書きたい、戦後の民主主義の礎を創ってくれた人々だ慰霊を尽くすべきだ、本当に難しい事だ。

左派の真の愛国者が書く記事です、多分変人故正面から見た記事は絶対に無いでしょう、穿った部分多いかも知れませんしかし事実を調べて書きます。

しかし頭の整理に時間懸かります、でも絶対に書きます乞うご期待。

 

 

 

 


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