悪友と温泉地に行き、会津飯盛山で白虎隊を思った。
飯盛山は旅行会社時代に何回も行った、ガイドの説明でイタリアの慰霊碑がローマを向いて立っているのは知っていたが、ドイツの慰霊碑が有るのは知らなかった。
日独伊三国同盟の遺品だろう、即座に理解した。俺のミスかガイドが敢えて説明しないかは分からない。
戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いで始まる、菊のご紋章の御旗を得て薩長連合が官軍に成ったお陰だ。
勝海舟の江戸城無血開城以後も続く、会津藩と庄内藩には恨みが有るらしく函館まで続くのだろう。
我が町宇都宮は1868年と1945年に二度の戦災に遭っている。
1868年は戊辰戦争で有る、官軍と幕府軍及び新撰組が東西及び南から戦を行った土地だ。宇都宮城や二荒山神社は燃やされ焼け野原になった、市内には両軍の戦死者を祀った慰霊碑が多い、餃子を食した際に是非ご覧下さい。1945年はB29の焼夷弾の戦災です。
戦況は土方歳三が足に怪我をして新撰組は奥州街道を北に上り白河城を攻撃している、一方会津幕府軍は日光で負け会津西街道を北上するのだそして白虎隊の切腹が待っている。
これは噂だが福島は、浜通り中通り会津の三つに分かれるが気象関係だけで無く戊辰戦争の怨念が有るらしい、複雑な事情だろう。
穿った私見では戊辰戦争とは、国内太平洋戦争と思える菊の錦の御旗で勝ち取ったのだ。しかし太平洋戦争は御旗で負け320万人の命を奪っている。
同じ御旗が敵と味方の会津人はどの様な思考で特攻隊に成ったのだろう、隠れた真実が有れば知りたい。
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