私が勤めるH大学で、先週の金曜日、「先生の日」の祝賀行事が開催されました。
担当している3年生のクラス
祝賀行事を中座して部屋でくつろいでいると、教師寮の入り口で私を呼ぶ声がする。
しばらくすると、別の学生達が花を持ってやって来た。
もらった花を部屋に飾る。
私が勤めるH大学で、先週の金曜日、「先生の日」の祝賀行事が開催されました。
担当している3年生のクラス
祝賀行事を中座して部屋でくつろいでいると、教師寮の入り口で私を呼ぶ声がする。
しばらくすると、別の学生達が花を持ってやって来た。
もらった花を部屋に飾る。
私が勤めるH大学には3人の日本人先生がいます。一番若いT先生(34歳、昨年結婚したばかり)は、H大学の他に、技能実習生送り出し機関2校で教師をしています。ここでは、教師の給料は大変安く、H大学の給料だけでは生活できないので、3か所を掛け持ちしています。
技能実習制度→http://www.jitco.or.jp/system/seido_kenshu.html
そのT先生が、「私が勤めている送り出し機関で「先生の日」を祝う行事があるので一緒に参加しませんか?」と誘われました。
送り出し機関とはどんなところなのか、今まで一度も見学したことがなかったので関心があり、今日行ってきました。
会場
この学校の先生達。全部で12人で、そのうち日本人はT先生一人だけ。
右がT先生
先生達の出し物として「アンジェラ・アキ:手紙~拝啓 十五の君へ」 を披露することになっていてその予行練習。この日のために何度も練習したらしい。
一番左は、東京渋谷にある写真技術専門学校に留学していたT先生で、流暢な日本語を話す。
会場
前列に座っておられるのは、この学校の校長
校長の挨拶
校長が、先生一人一人に記念品を贈呈。
T先生が歌を披露
学生達
式典終了後祝宴。料理は、外部の業者に委託してその場で調理
先生達
校長と親交のある警察関係者
一気飲みがえんえんと続く。自分のペースで飲んでいると、東京の写真技術専門学校卒業のT先生が「今一人で飲んでいましたね。だめですよ。周りの人を誘って飲まないと。だから罰としてイッキ飲みして下さい。」
その後も、私達のテーブルに校長先生、警察関係者(4~5人)が次々にやってきては一気飲みをする。なんとも凄まじい飲み方。
女性も男性もない。恐ろしく強い。
学生達
体育大学前の歩道上。私が毎朝足繁く通っているフーティウ屋台のすぐそば。
以前は、バインミーを買ってきて、部屋でコーヒーを飲みながら食べるのが日課になっていたが、最近は全く食べなくなった。フランスパンの外側がパリッとして、中はもちっとした食感がたまらなく好きだったんだけどな~・・。
この歩道上にはいろいろなバインミーの屋台が並んでいる。
前回の話は「最終目的地の「下諏訪駅」で下車。
電車を降りた時は夕刻。佐賀から急行と鈍行の乗り継ぎでもうくたくた。もちろんホテルなど贅沢なものを予約しているはずもなく、かといって疲れ果ててテントを張る気力もない。
下諏訪駅は小さな駅で、夜になると乗降客も少なくなる。そこで駅員さんに「駅舎のベンチで泊まってもいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」と嬉しい返事。1980年当時だからそれでもよかったのかもしれないけど、今だったらたぶん「ダメ」。
しかも、その駅員さんが親切にも食べ物の差し入れをしてくれた(何だったかは忘れたが)。
翌朝、輪行袋からばらばらになった自転車部品を組み立てにかかる。事前に何度も練習していたのでそう苦労はない。今ではすっかり忘れてしまったが・・。
まずは、最初の目的地「八ヶ岳」へ。下諏訪から茅野へ向かう。茅野で食料を買い出しして、八ヶ岳の登山口である「美濃戸口」へ。
美濃戸口→http://www.yamakei-online.com/trailhead/detail.php?id=1003
茅野からバスで来た登山者はここから歩いて八ヶ岳へ向かうが、私達は自転車で高度をかせぐ。自転車に積んでいるのは、テント、食料、なべなどの調理用具、ガソリン、ガスバーナー、着替えの洋服など。これらの荷物を自転車の前後に積み、更に背中にはバックパックを背負って、自転車をこいで登っていく。これらの総重量は30キロぐらいだろうか。
そして、八ヶ岳への登り車線は急こう配。いまでも鮮明に覚えているのは、地獄の「麦草峠」。
麦草峠→http://grand-touring-japan.travel.coocan.jp/roadofjapan/chubu/mugikusa/root299.htm
年に2回(1月と7月)、福岡に一時帰国します。その際に、この合宿に一緒に行った同期のS島と話すのは思い出の「麦草峠」。]
八ヶ岳の登山口に着いて八ヶ岳の縦走をした。茶臼山、縞枯山、横岳、硫黄岳、横岳、そして八ヶ岳の主峰「赤岳」。
そして、また思い出したのは、同期のI手の話。大学時代I手と話していた時に、I手の教育学部の同期にМ田がいるという。М田さんは私達より5年年上。でも、何かしら故あって5浪して佐賀大学へ入学。
大学では、学部でもサークルでも年齢は全く関係ない。5歳年上だろうが何だろうが、入学年次が一番重要。だから5年年上でも「М田」と呼び捨てにする。
話がいろいろに飛びまくり、前に戻ると・・。
赤岳→ http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=450
赤岳を降りて赤岳鉱泉へ。
赤岳鉱泉→http://yama-goya.jp/yatsugatake/akadakekousen.html
赤岳鉱泉から次の目的地である「霧ヶ峰」へ自転車で向かう。
このブログを書いている間に、ビールとウイスキーで眠くなってきたので、続きは次回ということで。
どうしてかな? なぜ他人を思いやることができないかな?
普段は、授業とその準備でほとんどデスクワークなので、授業の合間や土日に運動不足解消のために街歩きをすることがある。
その時に一番困るのが、歩道上に不法占拠した店舗やバイク、車。
これは、銀行の支店の前にある歩道。その銀行の社用車が歩道を完全にふさいでいる。歩行者は、やむを得ず危険な車道に出なければならない。
これは飲食店の椅子。
これなんか、もうどうしようもない。
ここはドリアンの路上販売。酷いものだ。