これから何回かに分けて佐大ワンゲル部の合宿旅行記録を書いていこうと思う。
私はそもそも山登りが好きだった訳ではない。高校までは一度も山登りなんかしたこともなかったんだから。佐賀大学に入学した1978年4月、大学のメインストリートでは、各サークルが新入生勧誘を行っていた。特に何かをやりたいと思っていたわけではなく、スポーツ(サッカー、野球、テニスなどの球技)は苦手(というよりやりたくない)なので、将棋、碁、英会話サークルなどに興味を持っていた。
メインストリートを歩いていると、ワンゲル(それまで聞いたこともない名前)の人が、「ちょっと話を聞きにボックス(サークルの部屋のこと)に来てみない?」と呼び止められた。ついて行くと、山登りのサークルだった。季節ごとの合宿の写真を見せられ、いろいろな楽しそうなエピソードを聞いていると、何だか面白そうだなと思い即決入部してしまった。これが山登りが好きになった原点。
それに嫌いな球技でもないし、自分のペースで登れると思っていた。それはちょっとした誤算。単独行ではないので、他のメンバーと一緒に行動しなきゃならないので、そう思い通りにはならない。
入部するとすぐに、新入部員は福岡にある「水田山の店」(だったかな?)に連れていかれ、高い登山靴や登山服を買わされた。貧乏学生には辛かった。
合宿記録の第1回目は、「信州サイクリングと登山」
「下諏訪~茅野~八ヶ岳~霧ヶ峰高原~蓼科高原~南アルプス(北岳)~富士五湖~小田原~静岡」
当時の旅行計画書と写真は全部捨ててしまったので、36年前の記憶をたどって書いていく。なぜ思い出の物を捨ててしまったのだろう。
2013年4月に当地に来る際に、持っているほとんどの物を捨てざるを得なかった。福岡からホーチミンまで、「China Eastern Airlines」を利用したが、受託手荷物はスーツケース2個(1個あたり23キロまで)という制限があったので、教材やパソコン、衣類などを入れると一杯になって写真などを捨ててしまった。
今にして思えば、たいして重いものでもないのに、何で捨ててしまったんだろうと思う。
佐大3年(1980年)の夏、信州でサイクリングと登山をした記録。
メンバーは5人(だったと思う。36年も前のことで、しかも、各合宿ごとにメンバーが入れ替わるので記憶が定かでない)。同期のS島、2年のО石、1年のМ村、T崎)。
長野までは電車で移動するが、自転車をそのまま電車に乗せることはできないので、工具でばらばらにして「輪行袋」に入れて運ぶ。その時、自転車の解体、組み立て、パンクの修理などいろいろ勉強した。
佐賀駅でワンゲルの面々に見送られて、遠い遠い長野までの電車の旅が始まった。遠いと言っても、学生は時間があって暇なので大したことじゃない。貧乏学生なので、新幹線や特急は利用できない。
長野までは急行と普通を乗り継いで行った。電車内で昼間は椅子に座って過ごし、夜になってお客さんが少なくなると、4人座りの座席を回転させて、隣あった座席の背と背を合わせるようにすると、その下に寝るのにちょうどいい空間ができる。そこに寝袋(私達はシュラフと呼んでいた)を敷いて寝るとそれなりに快適に寝れた。
そして、長野県に入り、「塩尻」で電車を乗り換え、最終目的地の「下諏訪駅」で下車。下諏訪は諏訪湖に面した小さな駅。
続く話は次回に・・・。
それにしても人の記憶というものは確かじゃないなと思った。比較的はっきり覚えているものもあれば、全く思い出せないものもある。まさにまだらボケ。