ウォルシュ:
言葉は重要ではないのですか?
神:
言葉っつうのはな、感情・経験・思考の全てが失敗したときに仕方なく使われるもんや。
言葉は誤解されるのでとても非効率的だ。
言葉は理解の助けにはなる。
しかし、君ら自身の感情・思考・経験の代用にすぎへんのを君らは分かってないんやな~
ワシのメッセージはな、常に君らにある最高の考え、最も曇りのない言葉、最も偉大な感情の中にあると思ってくれてええ。
それ以外は、別の源から生じているということを知っておくべきなんや。
全ての人が特別であり、全てのタイミングが黄金なんや。
神の言葉は誰かすごい人が聞いてるから、その人たちの言うことを聞けばいいと人任せな勘違いをしている。
自分の言葉だけが真実だ。
自分が神のメッセージを受け取ってるんやと認めてしまうと、自分で行動する責任が生じる。
その責任を回避するために、自分が受け取ったメッセージを無視し、他人の言葉を聞いてしまっている。
それじゃあかんねん。
ウォルシュ:
では、どうすればいいんですか?
経験・感情・思考から神のメッセージを判別するのってむずくないっすか?
神:
ほな、もう一つ指針を与えたるわ。
最高の考えには必ず喜びがある。
曇りのない言葉には必ず真実が含まれている。
つまり、最も偉大な感情というのは愛なんや。
喜び・真実・愛。
この3つは繋がりあっている。
喜びにひたすら耳を傾けろ。
そのためにはまず自分が喜んでいるときに気づけなければならんがな。
ウォルシュ:
喜びの中に神様のメッセージがあるわけですか…
でも、わかりずらいですねぇ、直接姿を現して奇跡を起こすとかはしないんすか?
神:
あんな、仮にワシがな、姿を現して奇跡を起こしたとしても、君らに受け取る準備ができてなかったら一緒やねん。
どうせ、あれは悪魔に違いないとか、言うやつが絶対出てくんねん。
神っていうのはな、基本的に外から分かる形で出現せえへんねん。
経験・思考・感情といった内的な世界を通じて姿を現すんや。
だから、外から見える必要がないねん。
というか、ワシからの直接的なメッセージを求めるということは、その人の内面に神が現れていないことを意味する。
そんなわけで、神が見えないよ、見させてくださいよと言っている人たちにはどうしたって神は見えないんよ。
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