しさわのこおり しそうぐん
地名の由来「宍禾(粟)郡に7つの里」 兵庫県宍粟郡(現宍粟市)
閲覧数3,347件(2009.11.17~2019.10.19)
播磨国風土記によれば、宍禾郡は孝徳天皇の時(7世紀中頃)、南隣の揖保郡(いいぼのこおり)から分離、独立したという。
宍禾郡が揖保郡から独立したときは、次の7つの里がありました。
1.比地里(ひじのさと)
2.高家里(たかやのさと) または(たいえのさと)
3.柏野里(かしわのさと)
4.安師里(あなしのさと)
5.石作里(いしづくりのさと)
6.雲箇里(うるかのさと)
7.御方里(みかたのさと)
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〇「和名抄」※には、三方郷、高家郷、比地郷、柏野郷、安志郷、石保郷、伊和郷、土万郷の八郷が見える。三方郷は御方、三条、御形とも記す。
この郡名・里名を裏付けるものとして、平城京跡、奈良明日香村飛鳥池遺跡、藤原京跡などから木簡※が発見されている。この木簡には、宍禾郡と宍粟郡の二つの表記が見られる。風土記にある「宍禾」はいつしか「宍粟」に統一され、読みは「しさわ」から「しそう」と変化したようである。
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言葉の注解
○孝徳天皇:中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌足(なかとみのかまたり)による大化の改新(645年)で天皇になった。
○木簡:墨で書かれた木の札で、役所が出す文書や都に送られる税の品物につける荷札に用いられた。平城京跡の木簡には、[播磨国宍粟郡三方里大豆五斗]と書かれている。
※木簡のデータベース 奈良文化財研究所
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/
○和名抄:正式には、和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という。平安時代中期 (931年 - 938年)に作られた辞書である。今日の国語辞典の他、漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴。
参考文献:『宍粟のあゆみ』、『日本地名大辞典』、『一宮の歴史』