バスを降りて、『迷子症』の私は慎重に調べた道をたどる。観光客が見当たらなかったので、シェーンブルン宮殿の時のように、誰かに付いて行くことはできない。それでも、ほぼ迷わずにホイリゲ(ベートーヴェンの元住処のひとつ。現在は酒場)の前に出た。ちょっと寄り道して、一杯ひっかけたかったけれど、混雑しているようなので素通り。
その少し先に、ベートーヴェンの遺書の家と呼ばれる、元住処がある。ガイドブックの通りに入場料を準備していたが、ちょっと値上がりしたよう。財布のお金が足りなくて、空港の時のように首からぶら下げて服の下に入れていたユーロを、ズルズルと取り出して支払う。恥ずかしい。
使ったピアノ、ベートーヴェンが書いたとされる遺書などが展示されている。音楽家なのに耳が聞こえなくなっていく苦悩、そして、自分が面倒を見ている甥の奔放すぎる行動など、辛いことの多い人生の中、最期まで音楽家であり続けた。投げようと思った人生を投げずに自分の中に収めた。変人で、周囲との軋轢もかなりあったらしいけれど、それでも生きて作り続けてくれて有り難いと思う。さらに、その作品が200年以上も時代に埋もれず残り続けてくれて良かった。私はどれほどその作品に救われたことか。耳が聞こえなくなったという状況を体感できる装置も置いてある。直筆の楽譜も。彼の存在のよすがを目に焼き付ける。
遺書の家を出て、ベートーヴェンの散歩道へ。行き過ぎたようで、周囲が畑になっている丘に登ってしまう。明らかにおかしい?と戻って、本物の小径に出る。人がほとんどいない林の小径。たかだか200年前、この木々たちは生きていたかもしれない。私は今、彼と同じ木を眺めているかもしれない。風景を共有しているかもしれないと思うと、心が浮き立つ。まるで恋をしているみたい?
彼の胸像にはちょっと興ざめだが、ベンチに座ってぼんやり過ごす。気が付くと肌寒くなり、日も陰ってきた。帰ろう。いつかまた来よう。
帰りのバスの中、案内アナウンスのドイツ語を真似てつぶやいていた。無意識に。正面に座っているおばあさんに笑われ、恥ずかしかった。
「どこ行くの?」
「ハイリゲンシュタット駅」
下車する時、駅はあっちと、指差しで教えてくれる。
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