詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

2007年初頭

2007年01月08日 06時11分58秒 | 文芸
仕事があるのはありがたいこと。昨年は不作の年だった。今年は好い年にしたく心に期するものあり。

    ”かわたれの霜降る刻の街角に新聞買いて新年明けぬ”

暖房が嫌いなのでその設備が無く、仕事部屋はとてもさむい。
そのまま仕事をというわけにもいかないので、安い、大き目のコタツ布団を買ってきて、昨年暮れ近く、自分で着ぐるみを作った。
材料代¥1500なり。
布団を着て仕事をしているようで、終日コンピュータに向かっているには、はなはだ具合がいい。受験生たちにも向いていると思う。


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梅雨

2006年09月22日 15時14分08秒 | 文芸
 これも5年前の詩               

            梅 雨

         雨が降るからとて
         歩きながら雨の歌を
         唄わねばならんというものではなかろう
          と おふくろが言う

         それはそうじゃが
          と 儂が言う
         歌を好きじゃというからは
         歩きながら雨の歌を唄えば
         気が晴れるじゃろう
          と 儂が言う

         雨の歌を唄うたとて
         ずぶ濡れの雨の中で
         気が晴れるわけは無かろうが
          と おふくろが言う

         突然久しぶりの帰省で
         昨夜はいろいろ叱られて
         朝からジャジャ降りだというのに
         にわかの墓参りの道すがら
         次々と追い抜いて行く自動車の音を気にしながら
         危なげの無い足元の濡れを
         見ながら
         儂は歩く
         燕が飛ぶ

         親父は無口な八十歳
         雨足は大粒になるばかり
         うつむいているのではないが
         視線を落とし気味に
         雨の中を三人で歩く

                          2001年6月
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季節風の中の人

2006年09月22日 14時35分36秒 | 文芸
 5年前の詩です。

           季節風の中の人

      初夏の頃
      南からの高気圧は
      山の向こうから この地方に
      不意に 乾燥した熱風をもたらす

      だれもが忘れたころ
      虚空から乾いた鵺が襲いかかり
      留守の間に
      子を殺す
      誰も気付かぬうちに
      ある日突然途絶える命
      帰宅して初めて知った 子の不在

      子を殺された者の
      眼から出た水は
      涙にならず行き場も無い
      その水溜りは
      虚空の風に吸い取られる

      子を殺したあの風
      風は海に去り うそぶき
      かつて渦巻いたことなど
      見知らぬ汀でかってに消してしまう

        カタキヲウチタイ
        アノ子ノカタキヲ
        ヌエカ鬼カ
        悪魔カ知ラヌガ
        赦ルスカ!

        不眠ノ夜ゴト大脳ニ噛ミツク
        コノ悔シサ  コノ虚シサ
        ウツケタ法律ガ破壊シタもらる
        奴ヲ庇イオル虚構ノ人権ナゾ
        打チ倒ス!
        真ッ向空竹割リニ!
        打チ倒シタ後 俺ハ死ノウ

        シカシ わタくシハ 刀ヲ持タぬ
        ヒトハ理性ヲ ワタくシに説ク

      忘れようとして 忘れるべしとして
      秋風を待ち
      やがて秋風がやって来た 

      秋風が吹き 忘れられぬ子の顔を
      風の中に視線で探る無意識の頃
      ローソクの消えた過労の夜
      傍らに横たわる山椒の枝に
      殺された子の顔が
      結露する
      明日も仕事があるのだが

      助けてやれなかったことを
      再び詫びる
      暗闇の中で
      涙をながしながら

                         2001年6月

上の詩は大阪、池田市の小学校で起きた小学生8人殺し事件の犠牲者の、まだ若い父親の感懐によって醸された。犯人は既に死刑になってもう居ない。被害者の遺族の方々の癒されることを祈るばかり。










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猫のタロウと同居

2006年07月19日 07時12分48秒 | 文芸
猫の名はタロウ。
7才雄。
2002年に書いた詩があります。


       タロウ

    家の一人息子
    三月二十六日
    三才になった

    やって来た日は         
    手のひらに乗る
    あかんぼ子猫
    高知の日曜市で
    貰ってください
    と言われて
    一緒に暮らそう
    という気になって
    京都まで
    車に乗って
    途中 祖谷(いや)の谷
    を歩いたり
    剣山に登ったり
    道草食いながら
    渡った瀬戸大橋
    七日間一緒に
    肩に乗ったり
    頭に乗ったり
    爪をたてたり
    旅をして

    やたらと小便
    を たれる子猫
    家の玄関を入って
    廊下を歩くと
    その頼りない
    よちよち歩きで
    動物嫌いの
    家の奥さんを
    たちまち魅了
    マダムキラーは
    天性の才能
    以来 奥さんは
    すっかり夢中

    トムとジェリー
    外国でトムならば
    日本では 由緒
    正しきこの名前
    タローならまし
    日本びいきの
    戸主の断定

    名前はタロー
    ケガしたり
    ちょっと病気になったり
    したけれど
    おおむね元気で
    おおあばれ
    趣味か特技か
    障子はボロボロ

    そして一年
    病気の戸主は
    聴神経腫瘍
    手術で入院

    青春期を迎えて
    意気盛んなタロー殿
    いつものように
    障子を破り
    「家の中はオレの縄張り
     隅からスミまで
     まぁきんぐ」
    退院した戸主は
    致しかたなしと
    武田動物病院へ
    「キョセイ」
    どこでもオシッコ
    の特技をひとつ
    失ってしまい
    子猫のように
    なってしまった
    タローくん

    尾っぽを立てて
    向こうに歩いて行く
    手術前のうしろ姿
    おおきな金タマ
    白いからシロタマ
    プリプリたのもしく
    かっこよかった!
    今はしぼんで
    慎ましく

    そしてまた一年
    半規管を失った戸主は
    平衡感覚が乱れて
    歩くとなるとあっちへふらふら
    こっちへゆらゆら
    リハビリ疲れで
    部屋にあぐら
    つつましくなった
    タローとふたり
    二階の窓から
    世間を眺める
    タローはすっかり
    開いたとみえる
    悟り。
    日がな窓辺で
    居眠りしながら
    時折り薄目をあけて
    眺めているのは
    行雲飛鳥か
    タローびいきの奥さんは
    近所のスーパーへ
    買い物にゆく

                       2002・5・26           
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浜田清次先生、村野四郎

2006年07月06日 06時57分55秒 | 文芸
ご挨拶

ブログは初めてです。
日記のつもりというよりも文章を書いて発表することに、なにか自分を奮い立たせてくれるものが有りそうな気がして。
言わば一人の同人誌のような位置付けで、立ち上げてみようかなんて。
読んでくださる人が居られるかどうか、よろしくお願いをいたします。
今日は2006年7月6日。

********************

ずっと昔、若い頃、文芸が好きだった。その頃中学生向けの月刊雑誌があって、文芸欄に投稿したところ入選したことがあった。小さな「おにバラ」という題の詩だった。記念になるという気持ちでその雑誌をずっと残しておいたのだったが、20歳を過ぎてから開いてみると、あの時の文芸欄の選者が村野四郎だったことを知って、とても驚いたことだった。雑誌はそのさらに12~3年後火災で家と共に焼けてしまって今は無い。
村野四郎全詩集は一昨年インターネットで古書店を探して、山口県の古本屋から買った。定価3500円のが6000円だった。みごとな装丁で、なんと詩人本人の署名入りだ。
村野四郎が亡くなったのは何年前だったか。ずっと若い頃、私のアイドルはビートルズではなく村野四郎だった。あの頃は新潮文庫から「村野四郎詩集」が出ていたが、今は絶版になっているようだ。

この頃になって浜田清次先生の「万葉集を読む」(上下2巻)を読んで、先生の講義を思い出しながら懐かしく、触発され、万葉集に関する本を何冊か買い込んで読み出した。「万葉集を読む」は10年ほど前の文化教室での先生の講義を、録音から文章に書き起こしたものだそうで、先生の語り口調がそのまま綴られていて、先生のお声まで思い出されて、青春の頃への連想が広がり、心が揉みほぐされるようだった。
あの頃は先生がこんなに素晴らしい万葉学者だったとは全く知らなかった。
先生はもう私を憶えては居られないだろう。お元気なら89歳か90歳になっておられる筈だ。
1989年に友達が送ってくれた新聞の切抜き記事に、先生が「壬申紀私注」(上下)で県文化賞を受賞されたということが載っていた。先生の「孝徳天皇私記」、「記紀万葉集の研究」は今年になってから読んだ。「壬申紀私注」も読もうと思う。図書館の貸し出しで読めるのだ。

********************

ブログは文芸に関することばかりではありません。
なにしろ生業は機械設計屋ですから。
7年前に病気をして、それが長引いて会社を辞めざるを得なくて、今は自分の法人を作り、一人の機械設計会社を営んでいます。
今年の夏は日本アルプスに行きたいと思っているのですが・・・。


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