詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

心を平静に

2023年03月17日 13時24分12秒 | なにがあっても大丈夫!
ブログって公開日記だ。
後々のためのメモでも良い。
今日は以前書いた、″詩” を載せておこう。
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いつだったか、父から聞いた話を思い出す
空はいつも青いわけじゃない
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蒼空を透かして
陽の光が飛ぶ
川沿いに繁る木の下の
葉裏のすき間には
記憶に残る時間が揺れる

呼び起こされる
こどもの日の記憶
幸福も悲しみも自覚せず
小動物のように
目に入るものに思慮なく手を伸ばした

少年の目に何が見えていたか
はっきりと思い出せないが
あの頃の無心をこそ思い出させて
六十八歳のわたしに涙を醸す
何故の涙か
木漏れ日の道
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あの頃女の子が居た。

おさげ髪の子。
かすりの着物ともんぺ着て。
空は青いのに雨が降って 
日和雨の中。
傘がなくてずぶ濡れになってた。
思い出の中の姿。
兄が一人あったという。
遠い記憶の中の姿。

山の向こうで生まれ育って。
女の子は。
空という言葉で上を言った。
村の言葉らしかった。
「もう少し空へおけばいいの?」
「ポケットの空のボタンがとれて」
「家の裏の山の空に畑があって・・・」
僕は笑った。
女の子は恥ずかしそうな顔をした。
空は上に有るから空は上だった。
太陽も雲も風も月も星も空に有って上に有るから。


空でも上でもかまわなくなって。
僕は次第に女の子の言葉がおかしくなくなった。
すっかりなれた頃戦争が始まって。
女の子の兄は出征した。
戦地で死んだ。
「兄さんは空に行きました」
空は上で天国か。
それとも極楽か。
兄は優しい人だったそうな。
女の子はよく空の上を見つめるようになった。
僕は同情した。
いつの間にか何処かに行って。
いなくなった。
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空は風が吹いている
鳥たちが渡ってゆく


                         平成27年8月14日
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父の初恋だったのだろうか
父が逝って今年で12年目だ。生きていれば101歳。

ミッコが帰った

2019年12月03日 18時37分09秒 | なにがあっても大丈夫!
猫のミッコが二晩帰ってこなかった。
とても心配した。
こんなことは初めてのことだった。

家に来たのは生まれて四日目、まだ目が開いていなかった。
三年前の五月四日、良く晴れた日のお昼ごろ。
芝生の上に降ろされるといきなりブルブルと震え始めて、
「無事に育つかな」と思ったことだった。

赤んぼ子猫。

ミルクを飲ませ、ウンチもオシッコも世話して
一生懸命育てた。
まだ母が元気だった頃だ。


すくすくと病気もせずに育った。
今では僕の唯一の生活の相棒。
帰って来てくれてうれしい!

新年 平成31年になった

2019年01月01日 18時10分45秒 | なにがあっても大丈夫!
新しい年になった。
1月1日
いい天気だった
今年は6回目の年男だ
しなきゃいけないことがたくさんある

家の中の整理
備長炭販売のための体制づくり
同上、計画書案作成
健康創り

具体的に描くときりがない

今年は久しぶりに頑張る年になりそうだ。

また、詩が書けるようになるかもしれない

人間は燃えていなければいけない

情熱を燃やすものが無ければいけない




明日死ぬことが決まっていても、今日は私は苗を植えよう。
Even if I'll have to die tomorrow,
I'll set a young rice plants in the field today.

京都でもう二週間!

2013年08月03日 00時18分23秒 | なにがあっても大丈夫!
京都の自分の家

この頃やる気がしなくなった。連日の猛暑のせいもあるかも知れない。

詩も書く気が無い。

田舎の家の裏に作業部屋を作って、旋盤とボール盤を置くことにして
インターネットで購入し、搬入されたようだけど、さて何を作るか!
八月いっぱいは京都にいて九月からまた高知県に帰る。
現役を退くと京都に居る理由が無くなった。
少し京都を散策してみようか。

風邪気味で痰がとれない。
咳も出て声も少し変だ。熱は無い。
胸椎がずれているような感覚が有る。そのせいかもしれない。

Identity crisis 及び 至高体験など

2011年10月29日 19時24分04秒 | なにがあっても大丈夫!
インターネットは便利だとつくづく思った。
ここ数ヶ月の息苦しさ 生き苦しさの回答が見つかった。

まさしく、Identity Crisis だった。
自己認識の狂い、己の本来の姿に関する誤認識に対して、外部から投げかけられる不条理、
それらから来る精神の揺らぎ。
芥川龍之介は漠然とした不安から自殺した。
自殺者数は毎年3万人を超えているが、その中にも彼のような死に方をする人はかなり多いのではないか。 

インターネットから得た記事だが、ここに残し、詩集の末尾にも
引用記事として載せておこう、自分流に言葉を作成して。

私と同じ苦しみを持っている人は多いことと、 思われるのさ


yoga の瞑想時に至高体験をしたことがある。
永遠と一瞬が実は同じものであると言う実感、認識。
言葉にしがたい様な爽快感があって、その時視力0.1の近視が一時的に治っていた。 畳の目がはっきりと見えた。
今度の苦しみの解決方法は多分此処に在る。

下記の記事の中の4事項のうち②が自分には消えていた。
だからパニック障害ということではなかった。
鬱病の症状に似ていたが鬱病だという気はしていなかった。
誘われて、るり渓に行ったほどだ。鬱病であればそんなことはしない。

今は勇猛心を取り戻している。
努力や頑張りのモチベーションがある。
OKだ。

以下、引用文
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悟り・至高体験

― 不安の対極 ―

 パニック障害の人から、「なんとなく落ち着かない」「心もとない」「心細い」「気が気でない」「気遣わしい」などという言葉をしばしば耳にします。パニック障害の治療が進み発作はなくても、このように穏やかでのどかなこころを持ち続けることが難しい人がいます。筆者は、不安という心の対極に悟りとか至高体験があると思います。筆者はこの両極の心的状態に類似点があると考えています。それは不安であれ、悟り・至高体験であれ自我の変容が生じるという点です。では自我とはいったいなんでしょうか?精神医学では、自我とは、

① 自分が自分であることを認識すること、
② 過去の自分と現在の自分が同じ自分であると認識すること、
③ 他人と自分を区別すること、
④ 自分が行動している感じがあること、です。

 パニック障害の患者さんは、時に①と③の自我機能が弱ることがあります。もちろんそれは強度な不安が根底にあるためです。まず、パニック障害における①の自我の弱化の事例を挙げてみましょう。パニック障害の人は、「何がなんだかわからなくなった」とよく言います。これはいわゆる心のパニック状態です。呆然となり、自分のおかれた立場、自分自身の状態、自分がとるべき行動についての見当識が失われた状態です。要するに自分は何者で、何をしているのか、どうすべきかわからなくなってしまった状態です。これは不安のために精神機能がすべて過敏になり、少し大きな感動的刺激が加わると高次の脳機能が一時的にストップしてしまうのです。パニック障害の人では多少なりともこのような自我の弱化状態が生じます。パニック障害におけるもうひとつの自我変容は、他人と自分の区別が曖昧になることです。最もよくある例は患者さん同士の電話です。パニック障害の人は患者さん同士がすぐ仲良くなります。お友達を作ることが大好きです。これもパニック障害の人の特徴ですが。そしてお互いに電話でおしゃべりをします。これは広場恐怖の一種なのですが(束縛されている状態が怖い)、長電話で気分が悪くなることが良くあります。一方の患者さんが相手に自分の気分が悪くなったことを伝えますと、他方の患者さんもすぐそれに同調してしまい気分が悪くなっていきます。そして二人とも発作が起きてしまうことがあります。これは他人の発作を他人の発作と思えず、自分のことと受け取ってしまった感応状態です。パニック障害の人にはこのような例は枚挙に遑(いとま)がありません。殺人事件のテレビドラマを見ているうちに自分が被害者になったかのごとく大声を上げ逃げ出す人もいます。新潟中越地震のニュースを見ていて自分が被災者になったように思い込んでしまってすぐさま大金を寄付した人もいます。このようにパニック障害の人は、往々にして自他の区別が軟弱になっていることがあります。

 さて、では不安の対極にある心理状態である悟りとか至高体験とはどのような状態なのでしょうか?多くの先人たちが、この心の平安の極致に到達した言葉を残しています。ここでは東洋と西洋の事例を示しましょう。東洋の事例として以下に、愛宮真備「禅 悟りへの道」から明治時代の著名な禅僧・今北洪川の体験を抜粋します。

 “ある夜、座禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光りが私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。私の見、聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世のもろもろの真理を考え、理解し難いことの意味を把握してみようとすると、私にはすべてが了解された。それは、はっきりと、そして現実に、私に姿を現したのであった。あまりの喜びに私は思わず両手を上げて踊りはじめた。そして、突然私は叫んだ。『百万の経巻も太陽の前のローソクにすぎない。不思議だ。本当に不思議だ。』”

 今北洪川が、「自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった」と感じられたのは、自己と世界の融合体験だと考えられる。禅の悟りの境地においては、自己と世界は融合し、我と汝、自と他、主体と客体、個と全体などという二分法的、概念的思考(分別知)が消失してしまうと言われています。すなわち、それはある意味で自己の喪失の結果、自我が膨張し、宇宙と一体になったといっても良いでしょう。



 次に西洋の事例を示しましょう。1971年、アポロ14号の月着陸船に乗り組こんだエド・ミッチェルの「宇宙からの帰還」(立花隆、中央公論社刊)からの抜粋を示します。

 “月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。 
……… いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。………
いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考え続けるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験(至高体験)だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
……… 個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。 すべては一体である。一体である全体は、完壁であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。 ………
人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。 こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。”

 東洋的な悟りの境地が「自己と世界の融合、言葉を変えれば、自己が宇宙に溶けこんでひとつになっている」心境をもたらすのに対して、宇宙飛行士エド・ミッチェルが体験した至高体験は、「神との一体感」でありました。このように、東洋、西洋を問わず、宗教的な悟りや至高体験を特徴づけるのは「自己」という壁が打ち破られ、自我意識が充満膨張することだと考えられます。パニック障害における自我の変容は弱体化であったのに対して、悟り・至高体験の自我の変容は充満膨張だといえましょう。このようなことから、パニック障害の患者さんが不安を退治するひとつの道として、悟り・至高体験を得る手段をとることも有用だと考えられます。それは、座禅とか、瞑想といったような心を養う、言葉を変えて言えば、最終的には自我を強化する方法だと思います。皆さん、明日から瞑想を始めましょうか?

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣


鬱との闘い

2011年10月26日 23時47分41秒 | なにがあっても大丈夫!
鬱状態から抜けられない。

鬱病というわけではないから、理由があるはずなのだが、

それが分からない。心理カウンセラーのようなものに相談してみようか。

原因を無意識に自分で隠しているのではないかという気がする。

認めたくないこと?

此処4年の間に身近の人がずいぶん亡くなった。事故ではなく病気と老衰だ。

死を身近に見たせいかもしれない。

news

2010年04月14日 00時12分44秒 | なにがあっても大丈夫!
サラリーマンの退職準備不足が露呈、「老後難民予備軍」増加の兆し
4月13日18時50分配信 ロイター


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 4月13日、フィデリティ投信の調査で、サラリーマンの退職準備不足が露呈。写真は2008年11月、東京で(2010年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

 [東京 13日 ロイター] フィデリティ投信が全国1万人超のサラリーマンを対象に実施した「退職後における生活資金の準備状況や、年金制度に対する考え方等を探るアンケート調査」によると、退職後の生活が現在の生活より「悪くなると思う」人の割合は半数を超えたほか、全体の約7割が「自分の退職後の生活は、今の高齢者の生活よりも悪化する」と認識していることが分かった。
 公的年金の給付額を知っている人のうち「公的年金だけでは不足する」と回答した人は9割に届く勢いで、「退職後の生活資金(公的年金以外)の必要額」は全体平均で約3000万円となったが、「そのために準備している金額」は同約500万円にとどまった。また退職後の生活資金(公的年金以外)の準備額が「ゼロ円」と回答した人の割合が全体の4割を超えた。
 同調査は全国の20─59歳の会社員・公務員(除く自営業・自由業)計1万0976名を対象に、インターネットで実施。調査期間は2010年2月5日から15日。
 フィデリティ退職・投資教育研究所の野尻哲史所長は「今回の調査で、退職後の生活に不安を持ちながら、将来に向けた準備ができない『老後難民予備軍』の存在が浮かび上がった」と指摘。「全体の4割超が公的年金以外で退職後の生活資金準備額がゼロ円という結果は、まさに危機的な状況だ」としている。
 調査では、退職後の生活資金として準備できているのは必要額のわずか2割弱と低く、かつ退職後の生活資金の準備状況が「ゼロ」と回答した人の割合が全体の4割超と危機的状況にあることが判明する一方、退職準備状況では、企業型確定拠出年金制度(DC制度)加入者の方が、同制度の非加入者より退職後の生活資金準備が進んでいることが分かった。DC加入者の平均準備額が783万円であるのに対し、非加入者の準備額は469万円となった。
 日本は総人口に占める65歳以上の割合が22%強となり、国連の定義による「超高齢社会」になっている。国立社会保障・人口問題研究所のデータによると、2010年を基点に、65歳以上の人口は今後5年間で約15%増、今後10年間で約22%増となる見通し。
 (ロイター日本語ニュース 岩崎成子記者)

8月になった

2009年08月01日 19時07分32秒 | なにがあっても大丈夫!
もうすぐお盆。
父が入院して3週間たった。
病院は嫌いだと言って部屋の柱にしがみついて、入院を拒んだ父。
腎臓も肝臓も弱ってしまって、家ではもう看護できないという。
母も寂しがっている。
妹がもうすぐ退職して、家に帰るというが、私も帰りたいのだ。

若いころは千代の富士のような逞しい父だった。
内臓が機能低下というのは、老衰のせいだろう。
もう永くないかもしれない。
甥が結婚したのがせめてもの慰めになっていいる。

透析の結果が好ければ家に帰らせて、家で人生を終わらせてやりたい。


非接触搬送

2009年07月11日 11時21分07秒 | なにがあっても大丈夫!
I visited a chemical company called T-Polymer Co. Ltd in Ibaraki-City yesterday. It is located on a hill at the east of Saito-Nishi station of Osaka Monorail.
I am planning a non-contact transportation system. I asked some experiment to engineers of T-P company about how to actualize a mechanism for the non-contact transportation after I designed it last month. On last Monday I got a call from them and they told me a proto-type of n-c-t table had completed and to want to have me see the result. I arrived at their place at three pm.
It was satisfactorily finished and seemed to work well enough for utility as the non-contact transportation, though some points remain to be regulated.
I am pleased to know that my plan may go OK.

I got on the monorail first time yesterday. It went on a rail constructed very high from the ground. It was pleasant to go on the monorail. Banpaku-kohen Park seemed to be closed.

1年間ブログをほったらかしにした。めんどくさくなったのと仕事が大変だったのとで書く気がしなくなっていた。worldiaも同様。
また少しずつ書いてゆこうか。日記代わりだ。ブラインドタッチの練習か。

時間が出来たら天気が悪くて

2008年06月02日 10時58分40秒 | なにがあっても大丈夫!
5月31日、やっと手が空いた。
打ち合わせ不足のしわ寄せで、この3週間は酷い結果になったが、どうにか完了。
一息つける、と思ったら、義理の兄がクモ膜下出血で急逝して昨日今日と大変だった。
3日前には元気で仕事に行っていたのに、あまりに突然の死でみんな現実感が持てずにいる状態だ。
私も仕事空けと重なって、empty状態になった。
人は皆死ぬもの。
命は消えてゆくもの。しかし輪廻を信じたくなっている。
仏教の本はよく読むし、座禅なども試みるが自分には信仰心と言うものは無い。
この件はもう少し心の中に暖めておこう。