詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

酒宴

2024年04月03日 14時18分32秒 | 

   「酒 宴」


呑ませてくれるのですか 
ほほえみながら
やわらかい微笑を
私に投げかけながら
この村によう来なさったと
村の役場に勤めているという人                
春の宵 国道の向こうの川端には                     
菜の花が群れ咲くころ
東の山の上には                             
まあるい月がなんとなく顔をだして
満天の星もにこにこと

荷物をどこかに降ろしたくて
旅の途中 ひょっこり立ち寄った
村に一軒しかない居酒屋に
居合わせた村の酒飲み達
見知らぬ余所者の私に
やつぎばやに問いかけてくる身上調べのあと
酒を注ごうとする この村の人たち


指の関節の太さ
伸びた鬚に手拭の鉢巻                    
仕事着の汗のにじみ
蛍光灯の明かりも壁のくすみも
土地言葉のやわらかいひびきも
肩や背中に快く。
歓声の波 大きく小さく                         
窓の外
裏山のたぬきが振り返る

伊予の国 小松の里
居酒屋 「吟」
顔のこわばりが融ける時
こころの中に陽射しの涙が                        
降りそそぐ


                        








一九九八.四.十二
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頑張らなくちゃ

2024年03月14日 11時19分49秒 | 
かつてこんな歌が有った。記憶のために此処に置いておく。
誰か知ってる人歌える人居ないかなぁ!?
*****************************************************************
「 宮崎に住みたくて 」

1 外国も旅したし
  高原も 見たけれど
  なぜだかここが 私をひきつける
  都会での暮らしでは
  季節さえ 忘れるわ
  この町だけは 風さえ光るの
 *ねぇ この町に来て
  ねぇ やり直しましょ
  ねぇ ここなら愛が
  とりもどせるわ
  この町は 宮崎
  青い海 白い砂
  むかしのように
  やさしくなれるわ


2 私たち 恋をして
  あんなにも 燃えたわね
  いつしかふたり 迷子になったのね
  ヤシの木の 並木道
  うで組んで 歩きましょ
  あの日のように ときめくことでしょ
  ねぇ あなたの好きな
  ねぇ 海辺に住んで
  ねぇ すてきな夢に
  近つきましょう
  この町は 宮崎
  青い空 白い雲
  つかれた胸を
  癒してくれるわ

  *くりかえし
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詩・タロー

2017年05月27日 10時21分04秒 | 
タローが死んで5年過ぎた。
あの頃体を壊して、自分で治そうと、四国山脈に入っていって10日間の断食をして、
高知の街に降りてくるとその日は日曜市で、大手前高校と土佐女子高校の間の交差点に
お母さんと女子小学生に連れられて、2匹の兄弟とともにタローが、段ボール箱に
入っていた。
まだ生まれて46日目だそうで、箱の中で無邪気だった。
一緒に暮らそうという気になってタローを選んだ。

それから13年と11か月一緒に暮らした。
猫と暮らすのは初めてのことで、
タローとの付き合いは付き合い方にいろいろ間違いがあったように思う。

タローごめんね。

今はミッコと一緒です。

*************************************************************************************

 「タロー」



家の一人息子
今日三月二十六日
三才になった

やって来た日は
手のひらに乗る
あかんぼ子猫
高知の日曜市で
貰って下さい
と言われて
一緒に暮そう
という気になって
京都まで
車に乗って
途中 祖谷(いや)の谷
を歩いたり
剣山に登ったり
道草食い乍ら
渡った瀬戸大橋
七日間一諸に
肩に乗ったり
頭に乗ったり
爪をたてたり
旅をして

やたらと小便
を たれる子猫
家の玄関を入って
廊下を歩くと
その頼りない
よちよち歩きで
動物嫌いの
家の奥さんを
たちまち魅了
マダムキラーは
天性の才能
以来 奥さんは
すっかり夢中

トムとジェリー
外国でトムならば
日本では 由緒
正しきこの名前
タローならまし
日本びいきの
戸主の断定

名前はタロー
ケガしたり
チョット病気になったり
したけれど
おおむね元気で
おおあばれ
趣味か特技か
障子はボロボロ

そして一年
病気の戸主は
聴神経腫瘍
手術で入院
青春期を迎えて
意気盛んなタロー殿
いつものように
障子を破り
「家の中はオレの縄張り
隅からスミまで
まぁきんぐ」
退院した戸主は
致しかたなしと
武田動物病院へ
「キョセイ」
どこでもオシッコ
の特技をひとつ
失ってしまい
子猫のように
なってしまった
タローくん

尾っぽを立てて
向うに歩いて行く
手術前のうしろ姿
おおきな金タマ
白いからシロタマ
プリプリたのもしく
かっこよかった!
今はしぼんで
慎ましく

そしてまた一年
半規管を失った戸主は
平衡感覚が乱れて
歩くとなると
あっちへふらふら
こっちへゆらゆら
リハビリ疲れで
部屋にあぐら
つつましくなった
タローとふたり
二階の窓から
世間を眺める
タローはすっかり
開いたとみえる
悟り。
日がな窓辺で
居眠りしながら
時折薄目をあけて
眺めているのは
行雲飛鳥か
タローびいきの奥さんは
近所のスーパーへ
買い物にゆく
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遠い日に聞いた話を思い出す。

2015年11月12日 19時49分23秒 | 
「遠い日々」


村に居たころこんな話を聞いたことがあった。
*****************************************************************
あの頃女の子が居た。

おさげ髪の子。
かすりの着物ともんぺ着て。
雨の中。
傘がなくてずぶ濡れになってた。
思い出の中の姿。
兄が一人あった。
遠い記憶の中の姿。

山の向こうで生まれ育って。
女の子は。
空という言葉で上を言った。
村の言葉らしかった。
「もう少し空へおけばいいの?」
「ポケットの空のボタンがとれて」
「家の裏の山の空に畑があって・・・」
僕は笑った。
女の子は恥ずかしそうな顔をした。
空は上に有るから空は上だった。
太陽も雲も風も月も星も空に有って上に有るから。


空でも上でもかまわなくなって。
僕は次第に女の子の言葉がおかしくなくなった。
すっかりなれた頃戦争が始まって。
女の子の兄は出征した。
戦地で死んだ。
「兄さんは空に行きました」
空は上で天国か。
それとも極楽か。
兄は優しい人だったそうな。
女の子はよく空の上を見つめるようになった。
僕は同情した。
いつの間にか何処かに行って。
いなくなった。
空は風が吹いている
鳥たちが渡ってゆく
******************************************************************
悲しみは癒されることなく繰り返し頭に浮かぶ。

                         平成27年8月14日
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詩・麦踏み

2015年05月06日 00時37分51秒 | 
久し振りの詩
タローが死んで、その頃作った詩集を急遽タロー追悼に変えて、3年経った。
それいらい詩も文章も書く気がしなくなって、書きたいことが何にも無いようになって、無聊の毎日だった。


「麦踏み」


麦は踏まれて強くなる
春まだ期
北風が吹いて子供たちが下顎を震わせる頃
お爺さんは麦を踏む
地下足袋を履いて
綿入れ半纏を着て
手拭で頬かむりして

若い麦の向日性は
つぶれた茎を立て直すから
お爺さんは麦を踏む
麦は踏まれて強くなる
冷たい風は春への刺激
冷たい刺激が春を呼ぶ
麦の細胞がうごめいて

真冬の風は冷たくて
海を渡って吹いてくる
西の山から吹いてくる
お爺さんは麦を踏む
強くなれよと一歩ずつ
祈りながら麦を踏む
寒さの中で麦を踏む

麦は踏まれて強くなる
踏まれなかった者より強くなる
踏んだ者より強くなる
踏ませた者より強くなる
強くするため麦を踏む
お爺さんは麦を踏む
霜柱に負けないように

幼い麦は知っている
誰にも言われず知っている
やがて湧き起る生命力が自分の奥底に
静かに潜んでいることを
知っている
踏まれて初めて気がつく自分の命の
強さたくましさ頼もしさ
背骨のような茎が自分を成長させ
日光から力を受け取り
根は太くなり地に伸びて
穂先に
たわわな実をつけて熟する日の来ることを
麦は密かに知っている
お爺さんは麦を踏む

鶯はまだ声を出さない
猫柳の芽も顔を出さず
川音も静かに耐えているようで
世間は寒さに鎮まっている
菜の花よ 来い 鶯よ 鳴け
踏まれた麦は命を起こす
踏まれたからこそ命を起こして
    *
北風や踏まるる麦と花を待ち

****************************************************************
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文語詩

2015年01月03日 13時58分58秒 | 
文語定型詩二編
             

「たまゆら」
     
かわのべに
あかとんぼ
とびかふは
ふるさとの
しまんとの
ゆくなつの
ためしなり

おさなきひ
あそびしは
かわのべの
どてのみち
つきみそう
いまもなお
つきまつや

おおかぜは
おさまりて
たのおもの
いろづくを
よろこびて
はらからは
いなごおふ

ひさかたの
ふそのやま
ほそみちを
たどりつつ
かたつむり
すみゐて
しずかなり

******************************************

「流れ星」

ながれ星ながれる空は
かそけくも残照ありて
がいとうのともしびのごと
わがむねに時を降らする
なぞここに君はいまさね
おのづから嘆きの声の
身よりいづ寂しき声ぞ

ながれ星往きしはいずこ
かさねては尋ふもよしなく
がにめでに霜は降るらし
わたる風木々をゆらして
なみき道追ひつたどりつ
おもわずて虚空のなかに
みそなわすまなざし追ひぬ

ながれ星ながるる果てに
かぎりなきさいはひ住みて
がらんどうひびきわたりて
わが思ひいざなひゐだす
ながこへをなつかしみつつ
おののきて暗がりの空
見返れば月はさやけし

 数年前、先年亡くなった飯島耕一が定型詩を容認することを言ったことがあった。一斉に多くの詩人達から「何を馬鹿なことを」という反論だの非難だの否定する声が上がった。
 定型詩が姿を消したのは拍数に依る音律の単調さに詩人達が飽きてしまったのと、詠嘆調の雰囲気に流れがちな詩形にウンザリしたことにある。つまり定型というスタイルが陳腐化してしまったということだ。破調に依る自由詩は如何にも斬新な雰囲気をもたらした。現今では口語自由詩が普通の詩形であり、詩の持つべき律は内在律と呼ばれるようになった。自由詩とは言ってもでたらめであっていいというのではなく、詩文であろうとするならば律は当然孕んでいなくてはいけない。その内在律とはいかなるものか。言葉の意味を強調する行分けの仕方に係っていると私は思っている。詩形は書くたびに探し確認する。これは詩であるか、詩と言えるか。
 佐藤春夫は現代詩の様子を指して「この頃の詩は言葉に美しさが見られない」と言ったそうだ。佐藤春夫の時代はともかく、戦後詩を見ていると、確かにそのような感じを受ける。朗唱したくなるような詩は戦後詩には無い。文字を絵画的に紙面に配するようなことがひと頃流行ったが、あんな物を詩と称するなんて、詩学社が倒産したのは当たり前というものだ。
 入沢靖夫は時々定型のスタイルを取る。彼の詩は音楽的で読んでいて楽しい。「詩は感想や印象を述べたり、演説をしたりするためにあるのではない」そうだ。同感。「幸せそれとも不幸せ」という彼の詩の冒頭を紹介。

心中しようと 二人で来れば
   ジャジャンカ ワイワイ
  山はにっこり相好くずし
  硫黄のけむりをまた吹き上げる
   ジャジャンカ ワイワイ
  
鳥も啼かない 焼石山を
  心中しようと辿っていけば
  弱い日ざしが 雲からおちる
   ジャジャンカ ワイワイ
  雲からおちる
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詩・タロー

2014年06月28日 20時42分23秒 | 
この頃タローを思い出す。  
***********************************************************************
タロー


家の一人息子
三月二十六日
三才になった

やって来た日は
手のひらに乗る
あかんぼ子猫
高知の日曜市で
貰って下さい
と言われて
一緒に暮そう
という気になって
京都まで
車に乗って
途中 祖谷(いや)の谷
を歩いたり
剣山に登ったり
道草食い乍ら
渡った瀬戸大橋
七日間一諸に
肩に乗ったり
頭に乗ったり
爪をたてたり         
旅をして

やたらと小便
を たれる子猫
家の玄関を入って
廊下を歩くと
その頼りない
よちよち歩きで
動物嫌いの
家の奥さんを
たちまち魅了
マダムキラーは
天性の才能
以来 奥さんは
すっかり夢中

トムとジェリー
外国でトムならば
日本では 由緒
正しきこの名前
タローならまし
日本びいきの
戸主の断定

名前はタロー
ケガしたり
チョット病気になったり
したけれど
おおむね元気で
おおあばれ
趣味か特技か
障子はボロボロ

そして一年          
病気の戸主は
聴神経腫瘍
手術で入院

青春期を迎えて
意気盛んなタロー殿
いつものように
障子を破り
「家の中はオレの縄張り
隅からスミまで
まぁきんぐ」
退院した戸主は
致しかたなしと
武田動物病院へ
「キョセイ」
どこでもオシッコ
の特技をひとつ
失ってしまい
子猫のように
なってしまった
タローくん
尾っぽを立てて
向うに歩いて行く
手術前のうしろ姿
おおきな金タマ
白いからシロタマ
プリプリたのもしく
かっこよかった!
今はしぼんで
慎ましく

そしてまた一年
半規管を失った戸主は
平衡感覚が乱れて       
歩くとなるとあっちへふらふら
こっちへゆらゆら
リハビリ疲れで
部屋にあぐら
つつましくなった
タローとふたり
二階の窓から
世間を眺める
タローはすっかり
開いたとみえる
悟り。
日がな窓辺で
居眠りしながら
時折薄目をあけて
眺めているのは
行雲飛鳥か
タローびいきの奥さんは
近所のスーパーへ
買い物にゆく


                            二〇〇一・五・二六
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詩・草叢

2014年06月25日 19時48分58秒 | 

竹薮なびかせ
群れ菜花なびかせ
風に運ばれ 川音が
陽射しの中を 
流れて行く。
手前の川岸から
県道の向こうの林まで
僕とタロウの                          
ほっぺたを撫でながら。

当ての無い旅の道すがら
病む平衡感覚を持て余しつつ
川岸の草むらに腰をおろして
やすらぎのもたらされることを
思いあこがれる旅の道すがら
唇に引っ掛っているだけの
心忘れの小唄をつぶやきながら
投げ出した足のその先に
心を 放る

風が流れている。
岸を見失った舟のようなこの身を
手のひらで洗うように
草叢から湧き起こる
重い時間を融かした風が
この身の垢のかさぶたを
擦り落とし持ち去ろうとするように
                            
目をあげれば空に白雲                      
青い光が山々を満たす。
風の中
タロウは草を噛んでいる。

此処は見知らぬ村 
小川がながれる 
美しいダムの村             
 

                         (タロウは子猫 旅の友 一九九八.四.十)
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2014年06月21日 12時36分55秒 | 
  梅雨


雨が降るからとて
歩きながら雨の歌を
唄わねばならんというものではなかろう
と おふくろが言う
それはそうじゃがと
 儂が言う                             
                           
歌を好きじゃというからは
歩きながら雨の歌を唄えば
気が晴れるじゃろう
と 儂が言う

雨の歌を唄うたとて
ずぶ濡れの雨の中で
気が晴れるわけは無かろうが
と おふくろが言う

突然久しぶりの帰省で
昨夜は色々叱られて
朝からジャジャ降りだというのに
にわかの墓参の道すがら
次々と追い抜いて行く自動車の音を気にしながら
危なげの無い足元の濡れを
見ながら
儂は歩く
葉桜が揺れ
燕が飛ぶ

歴史のある町が沈黙するようになったのは
時代がこの田舎町を去って
大都会に稼ぎを求め
儂のように
故里をすてたからだ
本心は 帰って来て この地方で
父祖のならいを継ぎ
お宮を敬い
田を植え
秋は豊穣感謝のお祭り
来年はもっと収穫の多い年であるようにと
祈願して勇気を奮い起こし                         
筋肉に血がみなぎる日々のようで
あって欲しかったのだ

過ぎた日々や過ぎつつある今の
取り返しのつかない筈の時刻を
眺めているのみの瞬間にはしたくない
親は二人とも老人になったが・・・
(数日後には梅雨の干ぬまがあるらしい)             
 
おふくろは儂の前を歩く
親父さまは無口な八十歳                           
雨は大粒になるばかり
うつむいているのではないが
視線を落とし気味に
雨の中を三人で歩く
                      

                        二〇〇一.六.二十三
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詩 ・ 山中瞑想

2014年01月14日 19時47分38秒 | 
葉群が陽射しをさえぎる
大峰山の峪間
密かに振動する
渓流の磐の上
行者は半眼に
結跏趺坐
五感を大気に開く

川音が全身を包み覆い
天空から白光が降りそそぐ
空気は静止し
音は去る
幽かに故里がおとずれ
葉の緑と水の透明が
溶解融合
頭頂は大気を貫く
全ての存在は透明に
韻律無き秩序をささやく

水と空気と精霊と
過去と今と未来と
それらの調和の中に            
身を任せ
静止して 
想念は銀河を指差し
鳥瞰する


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「手紙」という詩

2012年07月15日 16時43分15秒 | 
SNS趣味人倶楽部で紹介された詩が話題となっていた。
ポルトガル人が書いた詩だそうだけど、作者不詳だそうだ。
いいテーマだけど翻訳の詩形がまずくて、許せない。
そこで、
自分で翻案した。何ヶ所かは自分が追加した部分もある。
********************************************************************************
I got a poem which was written by an unknown, anonymous Portuguese.
The poem is titled as“letter –to my dear children”.
A certain Japanese translated it into Japanese, and a singer composed a melody to it and sang and published on youtube.
I felt unsatisfied about his interpretation of the poet. That’s not a good translation as a poem in Japanese.
So , I arranged the poem as follows.
I tried to find the original of the poem, but I couldn’t.
Does anyone know the English version of the poem?
Please, let me know!

Here is my arrangement.
********************************************************************************



  手紙      (二〇一二・七・七) 七夕
           (ポルトガルの詩 : 作者不詳)


お元気でしょうか
季節はもうすぐ秋のおわりです
夏の日は遠くなりました
西山に消えてゆく夕日が
朝日や昼の日の
勢いに満ちた輝きとは違っているように
人の命にも黄昏がありますね

この頃もの忘れが多くなりました
やがて 遠くない日
私が ある日あなたの目に 
今までの私と違って見えるようになるときが有ることでしょう 
その頃 その時は
どうかそのままの私の姿を見てください
あなたのおじいさんのことを思い出すのです
夕食の食卓であなたとの会話の中 何度も同じ話を繰り返すとき
とつとつとした話をどうかさえぎらずにうなずいて居てください
今日は何月何日だったか何度も聞いたり
自分が何歳なのか思い出せなくとも

あなたにせがまれて繰り返し読んだおとぎ話の
おしまいは前の日と同じなのに
読みながらあたたかく私の心を和ませてくれた
あの
懐かしい日が思い出されます
悲しいことではありません
崩れてゆくように見えるでしょう私の姿に
やわらかなまなざしだけを投げかけてください

楽しいひと時に 
私がつい下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには
逃げ回るあなたを追いかけて何度も着替えさせたり 
いろいろな理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った 
春や秋の夕べがあったように
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたにボタンの掛け方を教えたように
ちいさな靴の履き方を教えたように
ほんの少し助けてください

悲しむことはありません 
近づく別れの日のためにこころの準備をしています
その私に 抱擁の祈りをください
耳も目も不確かとなり
そのうち 歯も弱り食べ物のおいしさもわからなくなり
蚊に刺されても気づくことなく
足が弱って立ち上る事が難しくなったころ
あなたが細い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私は 
あなたの手にとりすがろうとするでしょう 

そのような私の姿を悲しまないでください 
あなたを抱きしめる力が無くなってしまうこと
想像するのはつらいことです でも
私を見つめて支えてくれる気持ちを 少しの間見せていてください
それだけできっと 私は勇気を思い出すことでしょう
あなたの人生が始まった頃 あなたのそばにいつも居たように
私の人生の終わり近くに
そばに居る時間を少しだけください

そばに居てくれるひと時に
あなたが生まれてから後
私に恵まれた数え切れない喜びと
あなたに対する変わらない愛を 
私は確かめることができるでしょう
はじめて会った人にするように
あなたにほほえみかけることでしょう
私はいつも いつも
あなたの生活の幸せを祈っています

私の子供へ
愛するあなたへ



***********************************************************************
この詩のテーマは


不安
子への愛
生への愛と執着
老いにもとづく人間劣化の悲しみ
命の儚さ
命の持つ絶対孤独
あきらめ
受容


もっと繰り言めいた表現のほうがいい
もうひとつ段落を創作追加したいけど、それは別の詩として書かれるべきと思う。
いいテーマだ。
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タロー追悼詩 再掲

2012年06月08日 11時50分20秒 | 
  メメント・モリ   
(その一 ・ タロウのこと)

二十六日の朝は僕の腕枕で目覚めたのに
二十七日の朝は
奥さんの布団の中で死んでいた
誰も思い致さない時 気づかないうちに。
猫のタロウ
突然消えてしまった君のいのち
はかなさを言い張るなかれ
君自身の場合だけでいい
あまねく
命の儚さを思い知らせようと
しないでおくれ
悲しみと虚しさをどこかに閉じ込めておくれ
十三年と十一ヶ月の君の命の時間を
僕は愛おしく思っているのだ

君と出会った頃 僕は病んでいて
医師の判断も不明確のまま
双眼の焦点が合わず
体の平衡感覚が乱れ 重苦しい心身を持て余し
仕事を追われ 無収入
何事も為すことかなわず
遊ぶことさえ出来ず
何をすることも出来ぬ不遇のときで
てもなく不具者になっていた

君と初めて会ったあの日を
忘れるものではない
心身の不如意を正さんと思い期して
四国山脈の山中で十日断食を終え
高知の町に降りてきた日
その日は五月十日
空は晴れて空気は麗しく
お城の東の通りに日曜市が出る日で
殷賑の市場のひと隅で
「もらってください」という
お母さんと女子小学生の親子に連れられて
生まれて四十五日の幼い君は
紙箱の中で
二匹の兄弟たちとともに無邪気だった
君の兄弟たちも美しかったが
僕は君を選んだ
額の八割れが目に留まったからだ
八割れ猫は豪壮な猫だ
高貴な猫だ
一緒に暮らすようになって
そのことをあらためて知らされた
座卓の上に君の好物があっても
君は盗み食いすることが無かった
君は平然としているように見えたことだ
君は何時も平然 悠然としていた
寡黙な猫
タロウ
不安定ながらも気の安らぎらしきを得て
そこはかとなく落ち着きを覚えつつも
希望が有るのか無いのか思いもせず
そんなことに思いを致すことが出来ないまま
君と一緒に居ることを
僕は選んでしまった
縁しだったか
タロウ
僕が不十分だった頃幼い君は家に来た

一年後
僕の症状は聴神経鞘腫と診断され手術
右耳の聴力をあきらめ
頭右半分の皮膚感覚を失い
右顔面のゆがみを余儀なくされた
三半規管の働きが無くなって
視野は激しく揺れ動き
視野の歪みを受け入れられないまま
貧に逢い 失意 孤独の日々
回復を採るか 生を捨てるか
一年過ぎても回復の実感が無い
二年過ぎて 一昨年と比べると
やや良くなっているように思える
そのような遅々とした回復の具合
不運のときは
多くの人は不運の友と距離を持つ
時として僕は死を想像した
死の誘惑と不孝を避けるべしという生の義務
子が親より先に死ぬほどの不孝は無いとの
思い
惑いの日々に
タロウ
君が居てくれた
失意の十年近く
君は僕の心を和ませるためのみに
居た

そのことの大きな意味を
君が居なくなった今 僕は知る
孤独な僕の傍らに居て君は無心の瞳を見せて
死が意味を持たないことを告げるかのようで
君の瞳を忘れない
君のしぐさを忘れない
君の眠りを忘れない
君の足を爪を尻尾を
暗かった僕の心を伺うような
君の凝視を忘れない
肉体の痛みは生きていることの実感だから
じゃれあって引っ掻かれた痛さを忘れない
若い日の鍛錬にと五十回のハイジャンプ
猫じゃらしに飛びつく君を忘れない
家中走り回って
座卓の脚に頭をぶつけた君を忘れない
障子を襖を壁を引っ掻いて
ぼろぼろにした君を忘れない
窓辺に座って飛ぶ鳥を見つめていた
君の目の動き
透明の瞳の横顔を
僕は忘れない

あの朝の
動かなくなった君を見て僕は悲しかった
命は必ず終わるものと知ってはいたが
君を喪失することがこれほど唐突にあるとは
思ったことが無かった
棺桶を作って
その中に君を横たえながら
僕は大声で泣いた
あの頃君が居なかったら僕は
日々の重苦しさに耐えられなかったかもしれぬ
父が逝った日
僕は厳粛な思いで
悲しみは数日後まで湧いてこなかったが
タロウ
君の死はただひたすら悲しい
僕は声をあげて泣いた

君の死の三日後
火葬場で君の肉体は消えてしまった
炉の屋根から立ち昇る煙は
君の体を焼きつつ黒から青へと変わり
やがて半透明の揺らぎを見せて陽炎のように
君の元素を
空気の中へ
拡散させていった
君は宇宙の元素となった
いつか僕も元素となる日
君と混ざり合うことだろう
古い石切り場の隅にある火葬場は
すぐ傍を谷川が流れ
二月の終りの日 
近くの藪で鶯が鳴き始めていた
タロウ
君の死を悲しみつつ
僕は生きることを愛しているらしい
    



(二〇一二・三月・二日)


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タローとの永訣

2012年03月19日 21時46分32秒 | 
  メメント・モリ   
(その一 ・ タロウのこと)

二十六日の朝は僕の腕枕で目覚めたのに
二十七日の朝は
奥さんの布団の中で死んでいた
誰も思い致さない時 気づかないうちに。
猫のタロウ
突然消えてしまった君のいのち
はかなさを言い張るなかれ
君自身の場合だけでいい
あまねく
命の儚さを思い知らせようと
しないでおくれ
悲しみと虚しさをどこかに閉じ込めておくれ
十三年と十一ヶ月の君の命の時間を
僕は愛おしく思っているのだ

君と出会った頃 僕は病んでいて
医師の判断も不明確のまま
双眼の焦点が合わず
体の平衡感覚が乱れ 重苦しい心身を持て余し
仕事を追われ 無収入
何事も為すことかなわず
遊ぶことさえ出来ず
何をすることも出来ぬ不遇のときで
てもなく不具者になっていた

君と初めて会ったあの日を
忘れるものではない
心身の不如意を正さんと思い期して
四国山脈の山中で十日断食を終え
高知の町に降りてきた日
その日は五月十日
空は晴れて空気は麗しく
お城の東の通りに日曜市が出る日で
殷賑の市場のひと隅で
「もらってください」という
お母さんと女子小学生の親子に連れられて
生まれて四十五日の幼い君は
紙箱の中で
二匹の兄弟たちとともに無邪気だった
君の兄弟たちも美しかったが
僕は君を選んだ
額の八割れが目に留まったからだ
八割れ猫は豪壮な猫だ
高貴な猫だ
一緒に暮らすようになって
そのことをあらためて知らされた
座卓の上に君の好物があっても
君は盗み食いすることが無かった
君は平然としているように見えたことだ
君は何時も平然 悠然としていた
寡黙な猫
タロウ
不安定ながらも気の安らぎらしきを得て
そこはかとなく落ち着きを覚えつつも
希望が有るのか無いのか思いもせず
そんなことに思いを致すことが出来ないまま
君と一緒に居ることを
僕は選んでしまった
縁しだったか
タロウ
僕が不十分だった頃幼い君は家に来た

一年後
僕の症状は聴神経鞘腫と診断され手術
右耳の聴力をあきらめ
頭右半分の皮膚感覚を失い
右顔面のゆがみを余儀なくされた
三半規管の働きが無くなって
視野は激しく揺れ動き
視野の歪みを受け入れられないまま
貧に逢い 失意 孤独の日々
回復を採るか 生を捨てるか
一年過ぎても回復の実感が無い
二年過ぎて 一昨年と比べると
やや良くなっているように思える
そのような遅々とした回復の具合
不運のときは
多くの人は不運の友と距離を持つ
時として僕は死を想像した
死の誘惑と不孝を避けるべしという生の義務
子が親より先に死ぬほどの不孝は無いとの
思い
惑いの日々に
タロウ
君が居てくれた
失意の十年近く
君は僕の心を和ませるためのみに
居た

そのことの大きな意味を
君が居なくなった今 僕は知る
孤独な僕の傍らに居て君は無心の瞳を見せて
死が意味を持たないことを告げるかのようで
君の瞳を忘れない
君のしぐさを忘れない
君の眠りを忘れない
君の足を爪を尻尾を
暗かった僕の心を伺うような
君の凝視を忘れない
肉体の痛みは生きていることの実感だから
じゃれあって引っ掻かれた痛さを忘れない
若い日の鍛錬にと五十回のハイジャンプ
猫じゃらしに飛びつく君を忘れない
家中走り回って
座卓の脚に頭をぶつけた君を忘れない
障子を襖を壁を引っ掻いて
ぼろぼろにした君を忘れない
窓辺に座って飛ぶ鳥を見つめていた
君の目の動き
透明の瞳の横顔を
僕は忘れない

あの朝の
動かなくなった君を見て僕は悲しかった
命は必ず終わるものと知ってはいたが
君を喪失することがこれほど唐突にあるとは
思ったことが無かった
棺桶を作って
その中に君を横たえながら
僕は大声で泣いた
あの頃君が居なかったら僕は
日々の重苦しさに耐えられなかったかもしれぬ
父が逝った日
僕は厳粛な思いで
悲しみは数日後まで湧いてこなかったが
タロウ
君の死はただひたすら悲しい
僕は声をあげて泣いた

君の死の三日後
火葬場で君の肉体は消えてしまった
炉の屋根から立ち昇る煙は
君の体を焼きつつ黒から青へと変わり
やがて半透明の揺らぎを見せて陽炎のように
君の元素を
空気の中へ
拡散させていった
君は宇宙の元素となった
いつか僕も元素となる日
君と混ざり合うことだろう
古い石切り場の隅にある火葬場は
すぐ傍を谷川が流れ
二月の終りの日 
近くの藪で鶯が鳴き始めていた
タロウ
君の死を悲しみつつ
僕は生きることを愛しているらしい
    



(二〇一二・三月・二日)

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詩       我が一族の女たち

2011年10月19日 20時59分14秒 | 
  「薪を割る音」      
            (冬の聖女)
  
裏庭の風呂場の横で
薪を割る音がする
貴女は今 無念無想
丹田にこめられた力が
音になってここまで聞こえる
薪が割れる音の中に
貴女の無心が聞こえてくる                         

貴女を批評する者なぞ
どこにも居ない
頭と肩に雪が降り
冬の風が吹いているのに
髪を風にさらして
静かに貴女は薪を割る
眉が動くことさえ無く
山の中腹の
晴れた日はその山家に朝日があたる

静かに貴女は薪を割る
百舌はどこかへ行った
東の谷の底辺りは風の通り道
季節には季節の風が通って行く
今は冬の冷たい風が
日の射さぬ川辺を走り
鳥の声も聞こえなくて
人が行き交う様子も無い

思い出に残っているあの頃 子を連れて
戦争から帰った夫とともに
町へ発った若い早春の日は
もうすぐ山桜が開花しようと
風の冷たさが頬を射さなくなる頃
お山を見上げ サヨナラと呟いた
端緒はいつも不安と希望だが
生命力が貴女の意欲を後押しした
町の生活がはじまった

異なる土地は寄る辺無いはずの貴女に
若い血と若い筋肉が味方をしてくれた
大自然がいつも人間を慈しむように
立ち向かう意欲は貴女を支えた
優しいが無口な夫を
尊敬できるのが
貴女の心の武器にもなった

悩む子を愛することなど
貴女にとって自然なこと
睡眠不足も過労も
町の暮らしには
暗さを落とすことは無く
夫の稼ぎは蓄えにして
夜中までの針仕事の女の働きを誇った

町を挟む川の流れを見て
山の椎葉を返す風の動きを見て
時にはこころ緩め
生まれた村を懐かしみ
父を想い母を想い 
婚家の支えになるべしと
世のならいに逆らわず
人々の平穏の日々を願いつつ
日々を送った懸命の若い貴女の
美しい業

世の中には
世界には
戦争が絶えないことを悼みながら
ベトナム戦争や
アフリカ諸国の内乱
近東の諍い紛争
アフガンの
緑の土地の戦争による瓦礫
遠い外国のことでも気にかかる
そんな貴女の針仕事の仕事小唄は

  銃弾が飛んだ
  胸を撃たれた娘の父は娘よりも幸せ
  娘よりも先に死んだから

  爆弾が落ちた
  腹を裂かれた息子の母は子よりも幸せ
  子よりも先に死んだから

  遠い国には桜が咲いた
  白い雨が降った

  緑の風が吹いた
  赤い紅葉が散った
  冷たい雪が降った
  空気にひびが入ったままで

  胸を撃たれた娘は生きて泣く
  腹を裂かれた子は生きて泣く

昔アフガンの国は 
緑の多い麦の栽培に適した美しい国だったと聞いて
清い川の流れる
生まれた村を想い出しつつ悲しんだ

神の声だという黒い表紙の本には
天と地ははじめから在ったと
水の上に光が漂っていたらしい
そして「始め」というものが創られたとか
その「始め」のころは
かすかにただよっているらしきものが
あったとか

景色の中にか 網膜にか 視覚野にか
時刻はいつごろか
朝なのか夕刻なのか
真夜中のようでもあり
明るく暗く光らしきものが
あるようにも見えて
虚空にも無限の色が
たなびいているようで
崩れた形が動き止まらず
おぼろの彩光がゆらめき拡散し
やがて融けようとする
ゆらゆらとしか生き得ない
世界の有り様のようで
迷いとなって貴女の心を悩ませた

過度に振動する空気は漂う元素を凝縮させ
時間の中で
ガンマ線を発する霧と
なっているかも知れず
いろどられたひかりに逆らうように
暗くなろうと
悶える露のぷりずむ
失念も 喪失もない
非在の三和土に影はうつらず
 
声も音もふるさとも
記憶さえないからっぽの 巨大な隙間に
漂う彩光
「始め」の前はこのようであったろう
「始め」の後がこのようだもの
「始め」の後はこのようだから
真言が胸に湧き起こる
ぎゃぁてぎゃぁてはらぎゃぁて
はらそうぎゃぁてぼうじそわか
神よ神よと呼ばわる国々で
最も多くの血が流された
そのことを知り 悲しんだ

村のお寺の和尚さまは息災におわすや
子供の成長を見ながらも自分の身の衰えに
思い致すことも無く
ときに酒を呑む夫の姿を眺めて喜んだ

常ならず それらは今は昔のこと
時は飛ぶ
過ぎた時間の中のこと
父も母も夫も命の時を終え
続く人々の時代となって
それでも悲しいことは続く 戦争諍い殺人 迷妄無明

谷間の村道からこの故里の山家に登る時
脚の筋肉が想いださせる思い出の
幽かなくつろぎ
冬でも汗は額に浮き出る
坂道づたいの山道の暮らし
筋肉に頼る自分の身体がすべてのことの証明だと
静やかなうれしさを
知ったのはいつだったか想いださないが

はらそうぎゃぁてぇぼうじそわか

午後になると
小雪舞う中で薪を割る
明日も明後日も夜は明けるから
家の裏で薪を割る
貴女の薪を割る音が谷間に木魂する
薪を割る音が聞こえる
摩耶夫人のように薪を割る音



                     2011年10月19日 20時34分
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2011年10月19日 14時45分07秒 | 
  念 偈  ―俗歌のように―


 [第一章]

何があったか
何事か
肩や背中に
間断無く
わたしらの日々に重く 重く
季節の移ろいさえ思い出させず
もうすぐ桜が
そして
気がつけば雪模様
春も夏も秋も いつのまにか
過ぎ消え去った忙殺
友の困難を見過ごすしかなかった後悔
涙をさえ見過ごして

世は移る
そのことをあなたは知っている
滅びの体験のさ中
父も母も兄弟も
押し流され何処とも知れず
助けは無く
いたずらな無為が続く
地磁気のみが時を続ける

僕は悔しい
でも

時代の中には
死火山さえよみがえる

勇気
不快なことは水に流そう
みずに流しておくれ
みずに流して
心気を足下に降ろして
丹田に力を籠め
肉体の向かう方向を信じて良い
過去よりも先の世界に
優る美しさを作りたいから
フットワーク軽快に
顔を上げよう
やがて青空に涼風吹いて
晴れやかに
命が上昇する
自然は残酷だが

電話のむこうで
九十二才の叔母が言った
「過去のことばかり言うのか
わたしは未来のために働く
いいことがいつまでも続くわけじゃないように
悪いこともいつまでも続くわけじゃない」

[第二章]

それだから旅の人、あなたよ
いたずらに悩みの渕を
たどり給うな
早暁
訪ね歩いた果ての
東方の尾根を越え
峠に立てば
朝日が湾の向こうに
現れるを見るだろう
金色の日輪は
一分刻みにきらめきを増し
清澄の大気に今日の命を注ぎ込む
水蒸気は朝露を生み
未だ目覚めぬ鳥達の羽交いを濡らす

黒い潮の押し寄せる黒い日は
記憶から去るわけではないが
あなたは命を持っている

 [第三章]

いつか旅した旅の途中
立ち寄った
茶屋の裏手を流れる川は
音も涼しげな滝の瀬
時は盛夏 
川面をギンヤンマが舞っていた
わたしらも
清冽な水に体をひたし
己が身の 気海に古里を満たそう
この国は
清冽な国なのだ

友の悲しみを見過ごしたことを
後悔しつつも
過去よりも勝るよい日を
そんな日をまた作るだけ
作ればいいだけ
わたしらの友は
勇気
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