詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

Identity crisis 及び 至高体験など

2011年10月29日 19時24分04秒 | なにがあっても大丈夫!
インターネットは便利だとつくづく思った。
ここ数ヶ月の息苦しさ 生き苦しさの回答が見つかった。

まさしく、Identity Crisis だった。
自己認識の狂い、己の本来の姿に関する誤認識に対して、外部から投げかけられる不条理、
それらから来る精神の揺らぎ。
芥川龍之介は漠然とした不安から自殺した。
自殺者数は毎年3万人を超えているが、その中にも彼のような死に方をする人はかなり多いのではないか。 

インターネットから得た記事だが、ここに残し、詩集の末尾にも
引用記事として載せておこう、自分流に言葉を作成して。

私と同じ苦しみを持っている人は多いことと、 思われるのさ


yoga の瞑想時に至高体験をしたことがある。
永遠と一瞬が実は同じものであると言う実感、認識。
言葉にしがたい様な爽快感があって、その時視力0.1の近視が一時的に治っていた。 畳の目がはっきりと見えた。
今度の苦しみの解決方法は多分此処に在る。

下記の記事の中の4事項のうち②が自分には消えていた。
だからパニック障害ということではなかった。
鬱病の症状に似ていたが鬱病だという気はしていなかった。
誘われて、るり渓に行ったほどだ。鬱病であればそんなことはしない。

今は勇猛心を取り戻している。
努力や頑張りのモチベーションがある。
OKだ。

以下、引用文
**********************************************************************************
悟り・至高体験

― 不安の対極 ―

 パニック障害の人から、「なんとなく落ち着かない」「心もとない」「心細い」「気が気でない」「気遣わしい」などという言葉をしばしば耳にします。パニック障害の治療が進み発作はなくても、このように穏やかでのどかなこころを持ち続けることが難しい人がいます。筆者は、不安という心の対極に悟りとか至高体験があると思います。筆者はこの両極の心的状態に類似点があると考えています。それは不安であれ、悟り・至高体験であれ自我の変容が生じるという点です。では自我とはいったいなんでしょうか?精神医学では、自我とは、

① 自分が自分であることを認識すること、
② 過去の自分と現在の自分が同じ自分であると認識すること、
③ 他人と自分を区別すること、
④ 自分が行動している感じがあること、です。

 パニック障害の患者さんは、時に①と③の自我機能が弱ることがあります。もちろんそれは強度な不安が根底にあるためです。まず、パニック障害における①の自我の弱化の事例を挙げてみましょう。パニック障害の人は、「何がなんだかわからなくなった」とよく言います。これはいわゆる心のパニック状態です。呆然となり、自分のおかれた立場、自分自身の状態、自分がとるべき行動についての見当識が失われた状態です。要するに自分は何者で、何をしているのか、どうすべきかわからなくなってしまった状態です。これは不安のために精神機能がすべて過敏になり、少し大きな感動的刺激が加わると高次の脳機能が一時的にストップしてしまうのです。パニック障害の人では多少なりともこのような自我の弱化状態が生じます。パニック障害におけるもうひとつの自我変容は、他人と自分の区別が曖昧になることです。最もよくある例は患者さん同士の電話です。パニック障害の人は患者さん同士がすぐ仲良くなります。お友達を作ることが大好きです。これもパニック障害の人の特徴ですが。そしてお互いに電話でおしゃべりをします。これは広場恐怖の一種なのですが(束縛されている状態が怖い)、長電話で気分が悪くなることが良くあります。一方の患者さんが相手に自分の気分が悪くなったことを伝えますと、他方の患者さんもすぐそれに同調してしまい気分が悪くなっていきます。そして二人とも発作が起きてしまうことがあります。これは他人の発作を他人の発作と思えず、自分のことと受け取ってしまった感応状態です。パニック障害の人にはこのような例は枚挙に遑(いとま)がありません。殺人事件のテレビドラマを見ているうちに自分が被害者になったかのごとく大声を上げ逃げ出す人もいます。新潟中越地震のニュースを見ていて自分が被災者になったように思い込んでしまってすぐさま大金を寄付した人もいます。このようにパニック障害の人は、往々にして自他の区別が軟弱になっていることがあります。

 さて、では不安の対極にある心理状態である悟りとか至高体験とはどのような状態なのでしょうか?多くの先人たちが、この心の平安の極致に到達した言葉を残しています。ここでは東洋と西洋の事例を示しましょう。東洋の事例として以下に、愛宮真備「禅 悟りへの道」から明治時代の著名な禅僧・今北洪川の体験を抜粋します。

 “ある夜、座禅に没頭していると、突然全く不思議な状態に陥った。私はあたかも死せるもののようになり、すべては切断されてしまったかのようになった。もはや前もなく後もなかった。自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった。無限の光りが私の内に輝いていた。しばらくして私は死者の中から甦ったもののごとく我に帰った。私の見、聞き、話すこと、私の動き、私の考えはそれまでとはすっかり変わっていた。私が手で探るように、この世のもろもろの真理を考え、理解し難いことの意味を把握してみようとすると、私にはすべてが了解された。それは、はっきりと、そして現実に、私に姿を現したのであった。あまりの喜びに私は思わず両手を上げて踊りはじめた。そして、突然私は叫んだ。『百万の経巻も太陽の前のローソクにすぎない。不思議だ。本当に不思議だ。』”

 今北洪川が、「自分が見る物も、自分自身も消えはてていた。私が感じた唯一のことは、自我の内部が完全に一となり、上下や周囲の一切のものによって充たされているということであった」と感じられたのは、自己と世界の融合体験だと考えられる。禅の悟りの境地においては、自己と世界は融合し、我と汝、自と他、主体と客体、個と全体などという二分法的、概念的思考(分別知)が消失してしまうと言われています。すなわち、それはある意味で自己の喪失の結果、自我が膨張し、宇宙と一体になったといっても良いでしょう。



 次に西洋の事例を示しましょう。1971年、アポロ14号の月着陸船に乗り組こんだエド・ミッチェルの「宇宙からの帰還」(立花隆、中央公論社刊)からの抜粋を示します。

 “月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。 
……… いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。………
いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考え続けるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験(至高体験)だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
……… 個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。 すべては一体である。一体である全体は、完壁であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。 ………
人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。 こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。”

 東洋的な悟りの境地が「自己と世界の融合、言葉を変えれば、自己が宇宙に溶けこんでひとつになっている」心境をもたらすのに対して、宇宙飛行士エド・ミッチェルが体験した至高体験は、「神との一体感」でありました。このように、東洋、西洋を問わず、宗教的な悟りや至高体験を特徴づけるのは「自己」という壁が打ち破られ、自我意識が充満膨張することだと考えられます。パニック障害における自我の変容は弱体化であったのに対して、悟り・至高体験の自我の変容は充満膨張だといえましょう。このようなことから、パニック障害の患者さんが不安を退治するひとつの道として、悟り・至高体験を得る手段をとることも有用だと考えられます。それは、座禅とか、瞑想といったような心を養う、言葉を変えて言えば、最終的には自我を強化する方法だと思います。皆さん、明日から瞑想を始めましょうか?

医療法人 和楽会
理事長 貝谷久宣

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野良猫たち

2011年10月29日 18時33分52秒 | 世の中
今日の報道特集で取りあげられていた野良猫駆除という問題
家にもデブ猫が一匹居て一緒に暮らしている
タロー君だ
ニュースでは2010年の猫の殺処分数は 16万5771匹だったと言っていた
ケージの中に入れて ガス室に入れ 蓋をして炭酸ガスを注入して
窒息死させるという

猫を捨てないで!
避妊手術をしてやって 命だけは助けてやって!
人間と競合するわけではないので 殺さなければならないような状況に
追いやらないで!

人間の傲慢 非道によって猫たちはやられっぱなしなのだと言う写真家の言葉に心掻き毟られる思いがした

野良猫関係の記事
http://getnews.jp/archives/145407

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日本食

2011年10月28日 09時52分28秒 | 日常

「このところ疲れ気味だから、スタミナをつけなきゃ。」と思って、焼肉を食べに行くと、次の日元気がでるどころか、逆に体が重いと感じたことありませんか?

実はこれ、体の正常な反応なんです。

はたして、肉でスタミナが付くのは本当なのでしょうか?

<脳がよみがえる断食力> 山田豊文(杏林予防医学研究所所長)著書より引用します。

☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆( 引用開始 )☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆

「肉こそ最高のスタミナ食、肉は最良のタンパク源」という信仰は、まだまだ広くはびこっているようだ。

体にとってタンパク質が不可欠な栄養素であることは間違いない。筋肉や骨、またホルモンや酵素の材料になったり、エネルギーが不足した際にはエネルギー源にもなるタンパク質だが、その一方で“問題児”にもなる。

過剰摂取による弊害が指摘されているのである。
その代表的なものが、肝臓と腎臓への負担だ。

窒素を含んでいるタンパク質は、代謝のプロセスでアンモニアを発生させる。アンモニアは毒性が強いため、肝臓はこれを毒性の低い尿素に変える。働き者の肝臓にとっても大きな負担である。尿素は血液に入って腎臓に送られ、濾過されて尿として排泄されるわけだが、この濾過作業が腎臓に負担をかけるのだ。

このように、肉を食べ過ぎれば、肝臓にも腎臓にも大きな負担を強いることになるのである。

「焼き肉でスタミナを!」という考え方は危険をはらんだものであることを知らなければならない。腎臓が悲鳴をあげて、尿素の濾過がうまくいかなくなると、尿酸が蓄積され、高尿酸血症、さらには痛風にもつながりかねない。

もう一つの問題は、肉をたくさん食べると血液が酸性に傾いてしまうことだ。そうなると、体は中和するように働くのである。

このとき体はどうするか? 

実は、骨や歯のカルシウム(アルカリ性)を溶かして血液中に送り込むのである。これは「脱灰(だっかい)」と呼ばれる。

また、肉は酸を生じる食品であると同時に、カルシウムが少なくリンを多く含む食品でもある。食べ過ぎて体内にリンが増えることも、また問題なのだ。

体の中のリンとカルシウムのバランスは、ふつう、1対1の状態に保たれている。だから、肉の過剰摂取でリンが増えすぎると、バランスを調整する必要が出てくる。その調整も脱灰によって行なわれるのである。

脱灰が起これば、骨や歯は弱くなる。また、視力低下や糖尿病、心筋梗塞の引き金になることも指摘されている。

☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆( 引用了 )☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆

肉を食べるとスタミナが付くどころか、逆に体に負担をかける危険なものだったのです。

ではどのような食事がよいのでしょうか?



①体力の源は“日本食”に
明治時代に来日したドイツ人医師は、人力車の車夫の体力に驚いたことが記録に残っています。
東京から日光までを馬の場合は、途中で馬を6回取り替えて14時間かかったのに対し、車夫は同じ距離を1人で14時間半で走りました。そこで、栄養学に添う肉中心の食事を車夫に与えると3日で走れなくなったそうです。

しかし、食事を元の質素な日本食に戻すと、なんと元気に走れるようになったのです!

②実は野菜でスタミナがつく
スポーツ栄養学者ベルンド氏によると、エネルギー不足を訴えるスポーツ選手の大半は蛋白質のとりすぎが原因です。あるプロフットボール選手達の大好物は特大ステーキとアイスクリームでしたが、野菜中心の量より質の食事に変えると、選手達はスタミナがついたうえに動きも機敏になり、怪我も目に見えて減ったそうです。

つまり、日本人古来の伝統に基づいた食事に可能性があるのです。

実は間違っていた「スタミナ付けに焼肉へ行こう!!」
食べれば食べるほど疲れる
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俳句のような

2011年10月27日 19時54分02秒 | 俳句のような


見渡せば今年は柿の当たり年


僧堂の夜に寒立ちて虫ひとつ


神護山太平寺秋のさるすべり


ろうそくの炎とまりて鉦の影
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中野剛志先生のよくわかるTPP解説―

2011年10月27日 19時00分11秒 | 世の中
TPP問題がかまびすしい

何も議論されないまま 国民に知らされないまま 政府は推し進めようとしている

マスコミも 乗り遅れないように などといって反対派の言葉を取りあげようとしない

TPPはアメリカが日本の財産を掠め取ろうとし 日本文化までアメリカナイズしようという
アメリカのたくらみなのです

この動画を見てください
中野剛志先生は専門家です


中野剛志先生のよくわかるTPP解説―日本はTPPで輸出を拡大できっこない!
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鬱との闘い

2011年10月26日 23時47分41秒 | なにがあっても大丈夫!
鬱状態から抜けられない。

鬱病というわけではないから、理由があるはずなのだが、

それが分からない。心理カウンセラーのようなものに相談してみようか。

原因を無意識に自分で隠しているのではないかという気がする。

認めたくないこと?

此処4年の間に身近の人がずいぶん亡くなった。事故ではなく病気と老衰だ。

死を身近に見たせいかもしれない。
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空  

2011年10月23日 17時42分46秒 | 日常
一昨日は西田さんに誘われて るり渓温泉に行った。
夕方着いて一泊して昨朝10時には発ったので、あまり温泉旅行という感じにはならなかった。
自分以外はみな西田さんのパソコン教室の生徒さんOBたち。
二人の人とは友達づきあいができそうだ。
帰り着いてから金田さんには手作りの加圧トレーニング用のベルトを、脚用、腕用2本ずつ持っていってあげた。
歳をとると健康が気になるのは、みなさん同じだ。
植村さんは自分と同じく子供が居ないそうだ。自分より一つ年下だけど、この歳になると1歳の差は見えない。個人差のなかに隠れてしまう。
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京都の東山、岡崎辺り

2011年10月23日 10時50分14秒 | 日常
時間があるので京都散策に出かけよう。
長岡京市に住んでて京都を殆ど知らない。
考えてみればこのあたりは日本の代表的な観光スポットなんだ。
行って来よう。
写真は一昨日の鴨川公園。



ユーモア話ふたつ
 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


マダムが、応接間の前を通りかかると、下男の

アルフレッドが、口笛を吹いているのが、聞こえる。

「アルフレッドや、お行儀の悪い。

 お掃除をしながら、口笛など吹いてはいけません」

「奥さん。すみません。しかし、わたくしは、

 お掃除などしておりません。

 口笛だけ吹いていたんです」


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


商店主は、店番に言った。

「店番をほっといて、一時間も、どこに行ってたんだ」

「床屋で、髪を、刈ってもらってました」

「けしからん。勤務時間中に行くとは」

「でも、髪は、勤務時間中に伸びたんですよ」


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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曇り空

2011年10月21日 21時24分49秒 | 日常
今日は曇り空だった。

西山体育館に半日 入りっきり。

怠けていると余計な脂肪がついて体調を悪くする。

時間は有るし、心身の整備をしよう。

悲観的条件は極めて乏しいのだから。

メニューは以前作ったものを下敷きにして、再編する。

いたずらに沈み込まないように。

不定愁訴を避けよう。

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良い天気

2011年10月20日 23時26分48秒 | 日常
いい天気だったねぇ。
上京区に急用ができて1時ごろから予定変更で行ってきた。

3時半ごろ用済みになったので、ついでに鴨川へ行ってきた。
いい天気で
川の水もきれい。
京都府立鴨川公園、ということで、京都の、知る人ぞ知る散歩コースだ。
下鴨神社の南です。
電車では京阪電車、出町柳駅下車、5番出口から川端に出て、すぐ西の橋を渡ります。

あまりに快適で暫く離れられなかった。
橋のすぐ東に大文字山が見えてる。

地図は鴨川の西側川岸にあった説明図の写真です。
上が東、左が北で川上になっていた。

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詩       我が一族の女たち

2011年10月19日 20時59分14秒 | 
  「薪を割る音」      
            (冬の聖女)
  
裏庭の風呂場の横で
薪を割る音がする
貴女は今 無念無想
丹田にこめられた力が
音になってここまで聞こえる
薪が割れる音の中に
貴女の無心が聞こえてくる                         

貴女を批評する者なぞ
どこにも居ない
頭と肩に雪が降り
冬の風が吹いているのに
髪を風にさらして
静かに貴女は薪を割る
眉が動くことさえ無く
山の中腹の
晴れた日はその山家に朝日があたる

静かに貴女は薪を割る
百舌はどこかへ行った
東の谷の底辺りは風の通り道
季節には季節の風が通って行く
今は冬の冷たい風が
日の射さぬ川辺を走り
鳥の声も聞こえなくて
人が行き交う様子も無い

思い出に残っているあの頃 子を連れて
戦争から帰った夫とともに
町へ発った若い早春の日は
もうすぐ山桜が開花しようと
風の冷たさが頬を射さなくなる頃
お山を見上げ サヨナラと呟いた
端緒はいつも不安と希望だが
生命力が貴女の意欲を後押しした
町の生活がはじまった

異なる土地は寄る辺無いはずの貴女に
若い血と若い筋肉が味方をしてくれた
大自然がいつも人間を慈しむように
立ち向かう意欲は貴女を支えた
優しいが無口な夫を
尊敬できるのが
貴女の心の武器にもなった

悩む子を愛することなど
貴女にとって自然なこと
睡眠不足も過労も
町の暮らしには
暗さを落とすことは無く
夫の稼ぎは蓄えにして
夜中までの針仕事の女の働きを誇った

町を挟む川の流れを見て
山の椎葉を返す風の動きを見て
時にはこころ緩め
生まれた村を懐かしみ
父を想い母を想い 
婚家の支えになるべしと
世のならいに逆らわず
人々の平穏の日々を願いつつ
日々を送った懸命の若い貴女の
美しい業

世の中には
世界には
戦争が絶えないことを悼みながら
ベトナム戦争や
アフリカ諸国の内乱
近東の諍い紛争
アフガンの
緑の土地の戦争による瓦礫
遠い外国のことでも気にかかる
そんな貴女の針仕事の仕事小唄は

  銃弾が飛んだ
  胸を撃たれた娘の父は娘よりも幸せ
  娘よりも先に死んだから

  爆弾が落ちた
  腹を裂かれた息子の母は子よりも幸せ
  子よりも先に死んだから

  遠い国には桜が咲いた
  白い雨が降った

  緑の風が吹いた
  赤い紅葉が散った
  冷たい雪が降った
  空気にひびが入ったままで

  胸を撃たれた娘は生きて泣く
  腹を裂かれた子は生きて泣く

昔アフガンの国は 
緑の多い麦の栽培に適した美しい国だったと聞いて
清い川の流れる
生まれた村を想い出しつつ悲しんだ

神の声だという黒い表紙の本には
天と地ははじめから在ったと
水の上に光が漂っていたらしい
そして「始め」というものが創られたとか
その「始め」のころは
かすかにただよっているらしきものが
あったとか

景色の中にか 網膜にか 視覚野にか
時刻はいつごろか
朝なのか夕刻なのか
真夜中のようでもあり
明るく暗く光らしきものが
あるようにも見えて
虚空にも無限の色が
たなびいているようで
崩れた形が動き止まらず
おぼろの彩光がゆらめき拡散し
やがて融けようとする
ゆらゆらとしか生き得ない
世界の有り様のようで
迷いとなって貴女の心を悩ませた

過度に振動する空気は漂う元素を凝縮させ
時間の中で
ガンマ線を発する霧と
なっているかも知れず
いろどられたひかりに逆らうように
暗くなろうと
悶える露のぷりずむ
失念も 喪失もない
非在の三和土に影はうつらず
 
声も音もふるさとも
記憶さえないからっぽの 巨大な隙間に
漂う彩光
「始め」の前はこのようであったろう
「始め」の後がこのようだもの
「始め」の後はこのようだから
真言が胸に湧き起こる
ぎゃぁてぎゃぁてはらぎゃぁて
はらそうぎゃぁてぼうじそわか
神よ神よと呼ばわる国々で
最も多くの血が流された
そのことを知り 悲しんだ

村のお寺の和尚さまは息災におわすや
子供の成長を見ながらも自分の身の衰えに
思い致すことも無く
ときに酒を呑む夫の姿を眺めて喜んだ

常ならず それらは今は昔のこと
時は飛ぶ
過ぎた時間の中のこと
父も母も夫も命の時を終え
続く人々の時代となって
それでも悲しいことは続く 戦争諍い殺人 迷妄無明

谷間の村道からこの故里の山家に登る時
脚の筋肉が想いださせる思い出の
幽かなくつろぎ
冬でも汗は額に浮き出る
坂道づたいの山道の暮らし
筋肉に頼る自分の身体がすべてのことの証明だと
静やかなうれしさを
知ったのはいつだったか想いださないが

はらそうぎゃぁてぇぼうじそわか

午後になると
小雪舞う中で薪を割る
明日も明後日も夜は明けるから
家の裏で薪を割る
貴女の薪を割る音が谷間に木魂する
薪を割る音が聞こえる
摩耶夫人のように薪を割る音



                     2011年10月19日 20時34分
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2011年10月19日 14時45分07秒 | 
  念 偈  ―俗歌のように―


 [第一章]

何があったか
何事か
肩や背中に
間断無く
わたしらの日々に重く 重く
季節の移ろいさえ思い出させず
もうすぐ桜が
そして
気がつけば雪模様
春も夏も秋も いつのまにか
過ぎ消え去った忙殺
友の困難を見過ごすしかなかった後悔
涙をさえ見過ごして

世は移る
そのことをあなたは知っている
滅びの体験のさ中
父も母も兄弟も
押し流され何処とも知れず
助けは無く
いたずらな無為が続く
地磁気のみが時を続ける

僕は悔しい
でも

時代の中には
死火山さえよみがえる

勇気
不快なことは水に流そう
みずに流しておくれ
みずに流して
心気を足下に降ろして
丹田に力を籠め
肉体の向かう方向を信じて良い
過去よりも先の世界に
優る美しさを作りたいから
フットワーク軽快に
顔を上げよう
やがて青空に涼風吹いて
晴れやかに
命が上昇する
自然は残酷だが

電話のむこうで
九十二才の叔母が言った
「過去のことばかり言うのか
わたしは未来のために働く
いいことがいつまでも続くわけじゃないように
悪いこともいつまでも続くわけじゃない」

[第二章]

それだから旅の人、あなたよ
いたずらに悩みの渕を
たどり給うな
早暁
訪ね歩いた果ての
東方の尾根を越え
峠に立てば
朝日が湾の向こうに
現れるを見るだろう
金色の日輪は
一分刻みにきらめきを増し
清澄の大気に今日の命を注ぎ込む
水蒸気は朝露を生み
未だ目覚めぬ鳥達の羽交いを濡らす

黒い潮の押し寄せる黒い日は
記憶から去るわけではないが
あなたは命を持っている

 [第三章]

いつか旅した旅の途中
立ち寄った
茶屋の裏手を流れる川は
音も涼しげな滝の瀬
時は盛夏 
川面をギンヤンマが舞っていた
わたしらも
清冽な水に体をひたし
己が身の 気海に古里を満たそう
この国は
清冽な国なのだ

友の悲しみを見過ごしたことを
後悔しつつも
過去よりも勝るよい日を
そんな日をまた作るだけ
作ればいいだけ
わたしらの友は
勇気
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妹に送る

2011年10月19日 00時33分32秒 | 
  何処かへ  


冬が終りに近づいたから
何処かへ行こうよ
南へ向かう汽車に乗って
線路の音を聞きながら
窓からは日光が暖かい
いねむりしながら
ゆめを見ながら

南の地方は もう
菜の花が満開だ
こんないい天気には
もんしろ蝶が飛んでいるにちがいないし
椿林にはメジロが群れて
花の蜜を食べているのだ
顔じゅう花粉だらけになって
健康なメジロは
花粉症には縁がなくて

汽車を降りて南の陽射しを受けつつ
海流のあわだつ音に耳をまかそう
子供の頃を思い出して
友達と一緒に居た頃を思い出しながら
海の音の懐かしさにひたって

元気かい
お母さんには
離婚は避けさせるよう伝えたのだけど
思うようにならないのは仕方ないね
世間にはよくある話だとしても
自分らはつらいもんね
こうなったら
自分を打ち立てるだけだから
気分転換だ
付き合いたまえ
出かけよう
菜の花や
椿の咲いているあたり
ふるさとに似た土地を探しつつ
水蒸気の青霞の中に
暖かさは再び訪れるから
ほどけた気分をぽけっとに入れて
うれしい地方に出っくわす
そすれば
君の気持も晴れるよ きっと

残り月水行き鳶の熊野川
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アンソロジーのために

2011年10月18日 10時06分32秒 | 
「たまゆら」


かわのべに
あかとんぼ
とびかうは
ふるさとの
しまんとの
ゆくなつの
ためしなり

おさなきひ
あそびしは
かわのべの
どてのみち
つきみそう
いまもなお
つきまつや

おおかぜは
おさまりて
たのおもの
いろづくを
よろこびて
はらからは
いなごおう

ひさかたの
ふそのやま
ほそみちを
たどりつつ
かたつむり
すみいて
しずかなり
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Anthologieのために

2011年10月17日 12時28分22秒 | 
アンソロジーのための原稿を準備する。
印刷代が思ったより安価らしいので、暇でもあるので
この際一冊にまとめておこう。
これはそのうちの一つだ。



  冬の舞 


九頭竜川を渡った巡礼姿の首
から下げた袋には過去が入っ
ている。
白足袋に草鞋で歩く行路はい
つも雪道。空は晴れたことが
ない。行きずりの河原で火を
起こし飯を食うておると、鳶
が舞う。
九頭竜の冬の空に鳶が舞う。

逃げることがなぜ卑怯である
のか、捨てねばならぬものを
うち捨てただけのこと。世俗
の批判は雑言に過ぎぬ。繁栄
する町の暮らしは文化繚乱豊
かにこころ満たされるものの
筈だったのに人々はやみくも
に忙しく生きる厳しさとはう
らはらの世智辛さだけが鼻に
ついた。不断の辛抱はさんじ
ゅうねんの垢となり肩に積も
り背柱の柔軟性を消した。
きっかけは病いだ。

命の時は一度きりだというこ
とを知らず生命力の勢いに任
せて仕事を己の命の方向と思
い込んで熱を発する永い日々
の連続が突然崩れると人々の
位置の遠さに気づいた人の在
りようは孤独であるとも
病む友の孤独を見過ごすしか
無かった情けなさ無念の後悔
毛皮を採るために生きたまま
皮を剥がれる動物たちのよう
に人もまた理不尽不条理とと
もに在るのだと
命の時の悲しみを、隠してし
まうことができず消してしま
うこともできないということ
にほぞを噛みながらも
うち捨てて
饒舌を避け
今は人の生業を悲しみつつ
存在の様を恨むことなく
勇猛の気のなごりは
鳶とともに
雪の野原で剣の舞を舞う。
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