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杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

日米開戦の悲劇

2015年08月11日 15時09分19秒 | 戦争
或るサイトで見た記事を此処に写しておく。
私はこの本を読んだ。
簡略紹介されているので、皆さんもどうぞ、と言うほどの気持です。
以下は私の文章ではありません。

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http://ameblo.jp/robinchannel5/entry-10456224783.html

ハミルトン・フィッシュ 日米・開戦の悲劇 TRAGIC DECEPTION
書籍
日米・開戦の悲劇 原題「TRAGIC DECEPTION」 ハミルトン・フィッシュ/岡崎久彦 監訳

日本とアメリカはなぜ戦争しなければならなかったのか?あの太平洋戦争、そして第二次世界大戦とはいったい何だったのか?戦争を欲したルーズベルトが仕組 んだ巧妙な「罠」、そしてパールハーバーの悲劇。次々と明らかにされる日米開戦の真実。本書は当時の状況をもっともよく知るアメリカの元下院議員が、無益 な戦争を引き起こした権力者の野望と欺瞞を明らかにしていく。


フランクリン・ルーズベルトの友人であり、後に対立したアメリカの政界の巨人ハミルトン・フィッシュ氏の著作。
フィッシュはまさに当事者としてその頃の政界で85%のアメリカ国民の意思を代弁する「不干渉主義派」の代表活動しており、当時のヨーロッパにも足を運んでフランスやドイツの大臣達との会見も行っています。

この本は既に絶版になっているから古本屋や図書館などで見つけるしかないですが、ぜひ多くの人達に読んでもらいたいです。
非常に重大な事実がいくつも書かれています。出版社には再版を希望します。

実質として最後通牒であるハル・ノートを叩きつけて日本を開戦に追い込んだことは今や多くの人が知るところだが、その前後のルーズベルト一党の極めて悪どいやり口を詳細に知ることが出来ます。

本書の一部を抜粋要約してみます。できれば本書を読むのが一番ですが。



■当時の米国世論はヨーロッパの戦争に参加することに反対意見が多数を占めていた。第一次世界大戦で多くの人命を失った彼らは戦争に懲りていたし、アメリカ人はもともと歴史的に紛争の耐えないヨーロッパを嫌って移住してきた人々だからだ。
ルーズベルトもその世論に同調するため好戦主義を隠し、平和主義を掲げて選挙活動を行ってきていた。
「戦争をしないこと」を公約にして大統領に選出されたため、アメリカから戦争を仕掛けることは出来無かった。

■ハル国務長官は、パールハーバーの十日前に、日本に対し、意図的に最後通牒を送っている。そのメッセージは「日本の陸海空軍および警察を、ベトナムと満州から引き上げよ」というものであった。さもなくば資源とエネルギー、食料の経済封鎖を行うと。日本と言う国家の拠って立つところとして石油やゴム、錫な どの資源が必要だからこそ満州を開発したりペタンのビシー政府からベトナムの支配権を譲り受けることの許可をとりつけたのに。さらに隣には冷酷な侵略国家であるソ連の脅威に常に直面していた。
これによって日本には、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった。

■ホワイトハウスは、日本艦隊がパールハーバーに向かっていることを知っていた。暗号通信も解読していたし、歴史的に日本軍が宣戦布告とほぼ同時に奇襲攻撃をかけることが通例であることも熟知していた。

■真珠湾の艦隊の司令官キンメル提督とショート将軍は、日本軍の動きについて何も知らされていなかった。その後彼らは公平な軍事裁判なしで責任を負わされ免責された。本当の責任者である大統領の罪を転嫁するために。

■真珠湾の艦隊の司令官キンメル提督の言より

「ルーズベルトなどの指導者たちは、パールハーバーにおける米軍を故意に裏切った」ニューズウィーク1966年12月12日号

「ルーズベルトがすべての計画の責任者であった。彼はおそらく、”マーシャル以外のものは日本艦隊の動きに関しパールハーバーへ一言も連絡してはならない”旨指令したと考えられる。その後マーシャルに対しては、いかなる連絡もしないように命令した」ニューヨーク・タイムズ1966年12月7日号

■NYタイムズのアーサークロックの言
「1937年の隔離声明以来、ルーズベルト大統領は、日本の敵意を煽り、枢軸側へ追いやるために、あらゆる手段を駆使した」

■ナイ上院議員の言
「われわれのとった外交政策の結果、日本は、われわれが同国と最も協調してもらいたくない国々の掌中にはいることとなった。日本は、これは米国国務省の失敗によるものであると主張している」

■非常な平和愛好者である首相の近衛公爵は、ワシントンかホノルルに来てもよいからルーズベルト大統領と会談したいと、繰り返し要望していた。彼は、戦争を避けるためには、米国側の条件に暫定協定の形で同意する意志があったが、ルーズベルトは、すでに対日戦、およびその帰結としての対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で、日本首相との話し合いを拒否した。

■在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和関係を保ちたいと希望していたかを承知しており、かかる首脳会談の開催を強く要請した。しかしルーズベルトおよびその側近の介入主義者たちは、策謀とごまかしとトリックを用いて、全く不必要な戦争へわれわれをまきこんだのである。

■ハル長官は、それまで8ヶ月に渡り野村駐米大使をだまし続け、フィリピンその他の極東アメリカ領において、米国陸海軍が防衛を強化するための時間稼ぎを行っていた。ハルは、その回顧録の中で、陸軍と海軍の要請を受けて時間をかせいでいたことをはっきりと明らかにしている。

■英国が、米、ゴムその他の必要物資を購入するという日本の権利を奪ったままで、同時に香港、シンガポール、北ボルネオその他の極東における英国領を維持しうるなどというのは完全に論外。

■ソ連がフィンランド、ポーランド、およびバルト三国を侵略していたのも事実であったにも関わらず、米国はそれに対してなんら対処しないばかりか、後に同国と同盟を結ぶに至った。

■ルーズベルトとその一派は、メディアを使ってルーズベルト支持に世論を誘導するプロパガンダを大々的に行った。ハル・ノートはパールハーバー後まで発表されず、発表時には注目されるところとならなかった。

■ルーズベルトによって蒋介石の顧問に任命されていたオーエン・ラティモアは日本軍の中国撤兵を要求する暫定協定に反対するよう蒋介石に助言した。

■ジョセフ・ケネディが駐英大使であった1938年から39 年にかけて、ルーズベルト大統領は、英国の首相チェンバレンに対して、英国がドイツに対し、より強硬な態度をとらなければ、米国は英国に対する支援を撤回する、という趣旨の脅迫を行った。実際、この脅迫の結果、チェンバレンは、ポーランドに対して、ドイツとの戦争の場合は英国はポーランドを支持するとの確 証を与える、という無意味な政策をとること強要された。
(実際は英国にはポーランドを守る力がなく、英国もそのことを知っていたが、ポーランドはそれに勇気づけられ、ダンチヒ問題の平和的解決を拒否し続けた。)

■フランスに対しては、ブリット在仏米国大使を通じて、ルーズベルトは対ヒットラー強硬路線をとるように要求していた。
(当時の外務省ボネがフィッシュに送った手紙で語っている)

■ハル・ノートを送る2ヶ月前、ルーズベルトは、ドイツの戦艦および潜水艦は、見つけ次第これを攻撃すべし、との指令を出した。しかし、一方ヒットラー は、ドイツ海軍に対し、米軍軍艦への攻撃は避け、自衛に徹するように命令していた。このヒットラーの命令により、ドイツを挑発して開戦に持ち込もうとするルーズベルトの企みは崩れ去った。


■その結果として日本がスケープゴートとしてアメリカを世界大戦に巻き込む敵国に選ばれた。

■ルーズベルトの支持層・好戦派
彼らは小規模だが潤沢な財政援助を受けたグループで、国際的な銀行家や、次に掲げるような北部の大都市の新聞を代表していた。

その新聞とは、「ニューヨーク・タイムズ」「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」(共和党系)「ワシントン・ポスト」「ボルティモア・サン」「ボストン・グローブ」そして多くのフィラデルフィア発行の新聞であり、これらは絶え間のない介入主義者たちの宣伝工作の大きな源であった。これに加えて、ヨーロッパの人間との通婚や仕事上の付き合いから、北東部の裕福な社交界の一族は極めて親英・親仏的であり、彼らは人数は少ないが、発言力、財産、そして影響力もあった。

さらにそれからいわゆる知識階層の中にも有力な参戦派がいた。ハーバード大のコナン卜、イエール大のセイモア、コロンビア大のニコラス・マーレイ・バトラー、プリンストン大のドッドなどの各大学の学長連がこれにあたる。
これら参戦派グループは小さいながら、金融界、新聞、ラジオに対し影響力を持っていた。

最も好戦的だったのは南部の英国系だった。彼らのほとんどは筋金入りの民主党員で、ルーズベルトの強力な支持者だった。

■さらにルーズベルトの周囲には共産主義者たちがたくさんいた事も言及されている。上出のラティモアや秘書官のロックリン・カリーなども新共産主義者。ハリー・デクスター・ホワイト、アルジャー・ヒス、ハリー・ホプキンスなども同様。
ルーズベルトはスターリンとつながりを持ち、何度もスターリンを助けている。

■ルーズベルトが1943年、親しい友人であり後に枢機卿となったスペルマン司教に語った欧州の共産支配計画(スペルマン枢機卿の覚書より)

「スターリンは、フィンランド、バルト海諸国、ポーランドの東半分、そしてベッサラビアを、確かに受け取るだろう。さらに東ポーランドの住民は、ロシア人となることを欲している」

「中国は、極東を取り、合衆国は、太平洋を得る。そして英国とロシアは、ヨーロッパとアフリカを得ることになる。しかし英国は、植民地に主な利益を有するがために、ヨーロッパでは、ロシアが、優越的立場を占めるであろうとも推定される」

「これは希望的観測であるかもしれないが、ロシアによる干渉は、厳しすぎるということではないかもしれない。共産主義の支配は恐らく、拡大するだろう。し かしフランスは、もしレオン・ブルームのような政権を持てば、最終的には共産化を免れるかもしれない。人民戦線は、きわめて進歩的であるから、結局、共産 主義者は、それを受け入れることになるかもしれない」

「われわれは、ロシアの驚くべき経済的成果を見落とすべきではない。財政は健全である。もちろんローロッパの国々が、ロシアに適応するためには大がかりな 変容を経ねばならないのは自然の成り行きである。ヨーロッパの人々(これには、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、そしてもちろん、 戦争中の敵国であるドイツとイタリアも含まれる)は、十年、二十年先に、ロシア人とうまくやっていけるようになるという希望を持って、ロシアの支配をただ 甘受しなければならない」

フィッシュはこのルーズベルトの発言を「恥ずべきもの」と言っている。
フランスと他の欧州諸国の自由に対する裏切りを提案しており、
連合国の戦争目的を戯画化し、大西洋憲章を揶揄するものであり、アメリカ人兵士のヨーロッパにおける尊い犠牲を否定するものであると。

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ルーズベルトが裏でやったことを本文の中からできるだけ要点を抽出しようとしたのですが、それでも長くなってしまいました。
ルーズベルトの支持層・・・ここでも出てきていますね。金融、マスコミ、学界を牛耳る少数の超富裕層。シークレット・ソサエティの影が見えますね。

そしてスターリンとルーズベルトの謎の密接なつながり。
彼らの得意な両面作戦ですね。
ルーズベルトやトルーマンは「彼ら」の一部にしか過ぎないと思います。
さらにチェンバレンに代わって英国首相になったチャーチルとの関係。彼については本文引用を割愛しましたが、ルーズベルトとの連携が異常です。米国ではごく一部の人間にしか知られていなかったハル・ノートなどの情報が、英国のチャーチルらには事細かに伝えられていたことをフィッシュは書いています。

そして中国。ルーズベルトらと蒋介石の国民党や毛沢東の共産党との関係がどんなものだったか詳しくはこの本には書かれていませんが、最終的に中国共産党に極東をとらせるつもりだったようです。
アメリカ人の大部分は穏健で正義感が強い平和主義者なのですが、少数の権力者達が大きな力を握り国を動かしてしまうのです。そして彼らはアメリカの国益なんて関係ないのですよ。目的は飽くまで自分たちの利益。今も昔もそうです。 アメリカ国民は搾取の対象です。彼らはフランス、オランダ、ベルギー、イギリス、アメリカと拠点を移してきました。ソ連もユダヤ人を中心とした同じ勢力が作りました。愛国心などという概念を超えたところにいるのです。
もしアメリカが好戦派に牛耳られず不干渉主義を守り中立であったならば・・・世界の勢力図は今のものと全く違うものになっていたでしょう。そりゃ新たな問題も生まれたでしょうが、少なくともWW2の惨劇の数々は大部分が回避できたと思います。
とにかく、戦争というものは、一部の権力者たちが、法もモラルも無視して、策謀を巡らせプロパガンダを仕掛けて起こしているってことです。一般市民の犠牲など何とも思わずにです。

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