よろず戯言

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海獣の子供

2019-07-10 18:43:55 | 映画

先日の休みに映画を観に行った。

アニメ映画、“海獣の子供”だ。

原作は五十嵐大介氏の同タイトルの漫画。

キャッチコピーは、“一番大切な約束は 言葉では交わさない”

 

 

これよりも前に映画を観に行った際、近日公開作品のチラシを物色していた。

そのなかで目に止まったのが、この海獣の子供。

制服姿の少女を中心に、無数の魚たちが緻密な描写で美しく描かれている。

表は大規模水族館の巨大水槽のような雰囲気で描かれ、

裏は海の中を描かれているような、幻想的なイラストだった。

クリスチャン・ラッセンのうさん臭い絵なんて目じゃあない。

 

元より海洋生物が好きな自分は、瞬く間にこのイラストの虜になった。

イラストを見るに、十代半ばとおぼしき制服姿の少女が主人公っぽくて、

相変わらず日本のアニメ映画は少女趣向が強いな・・・。

と、その点だけは少し呆れたけれど、それでもこのイラストからは、

何かもの凄い作品である予感がして、これはもう観るべき作品だと直感した。

 

公開されて半月ほど経ったろうか。

ふと最寄り映画館のサイトをのぞき、この海獣の子供の上映スケジュールをチェックする。

「7月4日上映終了予定」

はぁ?

あんな過ごそうなアニメ映画が、一ヶ月も経たずにか!?

これはレアな映画だったか・・・ボヤボヤしていて見逃すわけにはいかん!

そう思い、急ぎ観に行った。

 

 

中学生の琉花(るか/芦田愛菜)は、夏休み初日に張り切っていた。

だが、部活で仲間とトラブルを起こし、

顧問の先生から「謝るつもりがないのなら、もう来なくていい。」と言われ、

琉花の夏休みは初日にして終わってしまう。

家には、アルコール依存症のような母親だけ。

居場所を失った琉花は、別居している父親の勤務先である水族館へと足を運ぶ。

 

 

琉花のことを覚えていてくれたスタッフのおかげで、

従業員である父親の身内ということで、バックヤードパスをもらい、

琉花は水族館の裏側へと入る。

幼い頃、両親に連れられて観た水族館の大型水槽。

あのとき見た無数の魚たち、大きなジンベエザメ・・・大きな・・幽霊?

琉花にはそのときの記憶が鮮明に残っていた。

 

 

父親を探しながら、おそるおそる水族館の裏側をさまよう琉花。

しかし、そこで出会ったのは、水槽のなかで自由に遊ぶ、褐色の肌の少年だった。

少年の名は、海(石橋陽彩)。

海はオーストラリアで発見された少年で、

幼い頃にジュゴンに育てられ、陸上での生活に慣れず、水が無ければ生きていけない。

現在とある機関の研究対象になっている。

その研究機関をとおし、この水族館で保護されて暮らしているという。

 

 

翌日、学校へ行くもやはり謝ることができない琉花。

自分は悪くないのに・・・。

そう思い、教室でこそこそしていたとき、ふと海が現れる。

海は琉花の手を引っ張って、海へと連れ出す。

そこに居たのは色白で金髪の少年だった。

海には一緒にジュゴンに育てられた、空という兄弟が居た。

この金髪の少年が空(浦上晟周)だった。

 

 

明るくほがらかで天真爛漫の海とは正反対。

クールでどこか大人びた空、だが時折見せる少年のような姿。

琉花はジュゴンに育てられたという、不思議で対照的な少年二人に強く興味を抱き、

彼らに導かれるまま、夜の海に注がれた彗星や、

クジラたちの奏でる「ソング」など、不思議なものを目にし耳にする。

二人の少年と出会い、琉花は海に体を委ね、

部活でのいざこざ,両親の不仲・・・日常生活の嫌なことを忘れ、

身も心も自由に解き放たれていく。

 

 

人類の謎、生命の源、大海原の神秘、

少年たちの保護者代わりの謎の研究者たち。

その裏に居る、少年たちを何かに利用しようと企んでいるかのような、さらに大きな存在。

その全てを知っているかのような謎の老婆。

 

 

琉花と二人の少年が海の神秘を見る。

“祭り”が始まり、海の生き物たちがそれを目指し大移動をはじめ、

祭りには大切なゲストが迎えられ、

琉花のお腹の中で、少年に託された“隕石”が胎動を始める。

そして祭りが最高潮になったとき、新たな命が誕生し産声をあげる・・・。

 

 

・・・。

意味不明。

観終わった後、しばらくポカーンですよ。

けっきょく何が言いたかったのか?

さっぱり解らない。

 

 

二人の少年は誰(何)だったのか?

あの研究者たちは何者だったのか?

その後ろに居たもっと大きな組織は何だったのか?

少年を利用して何をしようと企んでいたのか?

あのババアは何者だったのか?

 

 

もうラスト40分は本当に意味が判らない。

なにか音と映像と詩の朗読、そんな芸術作品を延々と見せられている、そんな感じ。

映像にはまったくケチの付けようがない。

原作者の独特のタッチが極彩色で緻密に美しく描かれている。

そしてそれに織りなされる音楽も素晴らしいものだった。

音楽は久石譲氏が担当していたので、これは納得だ。

 

 

単純に音と映像が繰り為す芸術作品だと思えば、

幻想的でミステリアスでそれはそれは素晴らしい作品だ。

だが、物語前半、きちんとストーリーが在り、

主人公の人間関係のトラブルや、少年たち研究者など、きちんと問題提起があり、

ひとつの物語として、ストーリーが組まれていたにも関わらず、

その答えを明確にしないままに終わってしまう。

 

 

まるで詩の朗読のように、延々と謎のメッセージが繰り返されていたので、

作り手側の明確な答えはあったようで、

観た人それぞれで自由に解釈しなさいってことでもなかったように思える。

自分の理解力が足りないのか?

はたまた原作を読んでなきゃ意味がイマイチ解らないのか?

あまりにも抽象的過ぎて、あまりにもスピリチュアル要素が高過ぎて、

曖昧なものを好まない自分は、到底おもしろいと思える作品ではなかった。

つまらないとも言えず、単に意味不明だった。

 

 

ただ、絵の美しさ、音楽の素晴らしさは近年のアニメ映画では随一だと思う。

CGは使っているのだろうが、あくまでも原作のタッチを殺さず、

無機質ではなく、しっかりと魂が吹き込まれた、

アナログ絵,セル画に見えるような、すばらしい出来栄えだった。

そしてそれに彩を加えたのが、久石氏の壮大な音楽。

海のシーンも、後半の意味不明な映像芸術のシーンでも、音楽の存在感は素晴らしかった。

 

 

主人公の琉花は快活でかわいい。

序盤、この子が肩に止まったカミキリムシを威嚇して追い払うシーン。

この辺りでは、期待して本当にワクワクしていたのだけど・・・。

タイトルの海獣の子供たち登場あたりから、もうだんだんと意味が・・・。

最後にみんな判るものだと思ったが、謎のままだなんて、生殺しもいいところ。

 

 

上に書いたストーリーのあらすじも、

パンフレットのあらすじを読みつつ、自分なりに一所懸命解釈したものであり、

原作者や映画製作者たちの訴えんとしていることとは、おそらくかけ離れているだろう。

個人的な解釈として、琉花の二人の少年と出会った海でのひと夏の経験が、

ひとりの人間の受胎の瞬間を表している・・・と。

それが壮大に描かれている、人=命=海=宇宙。

度々語られていた詩のようなセリフに、そんな意味が込められていると解釈して。

 

 

この場合、琉花の弟or妹になるのかな?

スタッフロールが終わった後、実は後日談が数分も続く。

そこで高校生になったらしき琉花は、

母親に頼まれて分娩に立ち会い、弟だか妹のへその緒を切る。

そのシーンを見て、そんなふうに解釈した。

 

 

あのババアが「隕石は精子」とか、そんなことを言っていたはず。

てことは、海に落ちて受精、その時の波しぶきや海の生き物たちに与えた衝撃は、

カルシウムイオンの波、つまりは受精波を表現していたってことかな?

数年後に生まれてくる、琉花の弟or妹の受胎としては時期がずれてしまうけれど、

その暗示というか、先だってそれを知ったとすれば話はまとまらなくはない。

結果、バラバラだった家族がまた、ひとつになったわけだし。

 

 

しかしあの謎のババア、こういうと何だけど、

割と美麗に描かれている他のキャラとは一線を隔し醜い容姿をしている。

だが、物語の最後に、琉花にこう語る。

「わたしもお前くらいの歳の頃、海獣の子供に会ったのさ・・・。」

それを聞いて・・・天空の城ラピュタの、ドーラ一家の母子のやり取りが甦った。

「え、あの子(琉花)もなるの?ババアみたいに・・・?!」

  

 

とりあえずスタッフロールが終わった後も数分物語が続く。

終わったと思って席を立つのは厳禁だ。

ただ、最後まで観ても、物語の全容がしっかりと判る、謎が解ける。

という保証はないので、そこは自己責任で。

あらゆる意味で物語が凄過ぎて、つい見過ごしがちだけど、

琉花の声を担当した芦田愛菜ちゃんや、

謎の研究者の声を担当した田中泯さんの声(演技)はすごく良かった。

   

謎の老婆、デデ。

声の出演は美しい大女優、富士純子さん。

引き受けて、このキャラ絵見せられたとき、どう思っただろう・・・?

 

 

イラストは本当に額に入れて部屋に飾りたくなるほど緻密で美麗。

 



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