よろず戯言

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スポットライト 世紀のスクープ

2016-05-09 14:05:28 | 映画

先日、映画を観てきた。

2002年、同時多発テロ直後のアメリカで社会問題となった、

多数のカトリック聖職者によって恒常的に行われていた少年少女への性的虐待事件。

強大な組織を相手に、その事件を明るみにした新聞記者たちの奮闘記。

実話をもとに描かれたノンフィクションドラマ、"スポットライト 世紀のスクープ"だ。

原題は"Spotlight”。

監督はトム・マッカーシー氏。

よく聞く名前なんだけど、この方の作品どれも観たことがないや・・・。

キャッチコピーは、"暗闇にひときわ輝く、希望の光―"。

日本で公開される前に、米アカデミー賞の六部門にノミネートされ、

公開直前に行われた、第88回アカデミー賞で、見事 作品賞と脚本賞を受賞した。

 

 

自分はクリスチャンでもカトリックでもなく、当初 さして興味も抱かなかった本作。

それが一変、観ようという気にさせられた出来事があった。

先月はじめくらいだったか、総務大臣の高市早苗氏の「電波停止」発言で、

マスコミ各社がえらく反応して、政府によるマスメディア操作がどうのとか、

言論の自由だの放送法の精神に反するだの色々訴えて、ジャーナリストらが抗議していた例の騒動。

またいつもの政治家の失言叩き・・その事件自体、大して問題視もしていなくて、

なんとなくそれを話題にした情報番組をボーっと観ていた。

そのなかで、公開直前のこの映画が紹介されていた。

 

 

2002年、アメリカ合衆国の新聞社、グローブ社が発刊する新聞、

ボストン・グローブによって特集・連載された、

ローマ・カトリック教会の神父たちによる、信者の少年少女たちへの性的虐待。

記事にするために真実を明かそうと奮闘する4名の記者たち。

相手は、警察も司法も手を出せない強大な組織。

判事も弁護士も匙を投げ、被害者もわずかな示談金で泣き寝入りしていた実情。

数々の障壁を乗り越えて、真実を暴いて記事にこぎ付けたという実話を画いた映画。

 

強大な組織に打ち勝って真実を伝えた新聞記者たちを画いたノンフィクション。

その情報番組では、高市大臣の「電波停止」発言に対して、

この映画を あて付けのように紹介していたのだった。

まあ、その電波停止発言は置いといて、俄然 この映画に興味が出た。

強大な宗教組織の卑劣な事件の隠蔽行為とそれを暴く新聞記者の奮闘。

これは是非、観なければ!

 

 

2001年、アメリカ合衆国ボストン州。

地元で購読されている日刊紙ボストン・グローブを発刊する新聞社、グローブ社。

そこへ新任の局長が配属される。

先にグローブ社の親会社となった、ニューヨーク・タイムズ社から出向してきた、

マーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)。

地元民に愛読され続け、記者もほとんどが地元ボストン出身者。

よそ者のバロンは、自身がボストンのことを深く知り、

またボストン・グローブを、インターネットにも負けない、

より地元民に支持される新聞にしようと、過去の記事を読み漁る。

そして、1976年に起こった神父による少年への"いたずら”事件、通称"ゲーガン事件"に注目した。

 

 

バロンは地元のしがらみに捉われない新聞づくりを目指し、

このゲーガン事件を徹底的に追求し、大きな記事にしようとする。

就任してすぐに、ボストン・グローブの役職者を集めて、このことを告げる。

だが、部長のベン(ジョン・スラッテリー)はじめ、皆が消極的だった。

なによりも購読者の半数以上がカトリック。

その神父と協会の不祥事を特集することなどできるわけがない。

だが、バロンは、「より興味を持ってくれる」と反論。

「どの組織にも縁らずに真実を伝えるべきだ。」と、彼の意志は固かった。

 

 

ボストン・グローブのなかで、人気のコラムがあった。

警察の不祥事や政治家の汚職など、ひとつの社会問題を取り上げ、

一年かけてじっくりと連載するコラム欄、"スポットライト"。

バロンは、そのスポットライトチームに、ゲーガン事件を取材させ連載記事にすることに決定。

 

スポットライトのリーダー、ロビー(マイケル・キートン)は、

現在取材中だったものを中止、仲間3人に新しく取り扱う内容を告げる。

取材担当の、マイク(マーク・ラファロ)と、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)、

資料収集と分析担当のマット(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)。

ロビーの指揮のもと、各々役割を決め、さっそく作業に取り掛かる。

 

 

手始めに被害者の会の代表、サヴィアノ氏(ニール・ハフ)を招き、

資料を見せてもらい証言を聞くが、4人は衝撃を受ける。

被害者の数は想像を遥かに超え、そしてその多くが心の病に冒され、

薬物中毒などに陥り、そして自殺に至っているということ。

さらにショッキングだったのは、これまで幾度となく、

その事実を警察や新聞に伝えても、なにも取り合ってもらえなかったということ。

ボストン・グローヴ社にも、資料を送っていたはずだと言いサヴィアノ氏は憤慨する。

 

 

マイクは当時、被害者の弁護を担当した弁護士、

ガラベディアン氏(スタンリー・トゥッチ)に会いに行く。

司法界隈で、"弁護士の面汚し","変わり者”と称される、くせものだ。

その噂にたがわぬ、気難しさでマイクの取材は難航する。

マイクは、ガラベディアン氏の醜聞が、

かつて強大な権力によって為す術なく敗れたものによるものだと知り、

接し方を変えて、熱心に折衝を重ね、

徐々に信頼を得て情報を提供してもらい、被害者も紹介してくれるように。

 

 

サーシャはゲーガン事件の被害者たちに会ってインタビューする。

皆、辛い事件の真相を赤裸々に吐露する。

厳しく追い返されたり、取材中に嗚咽するもの、途中でやめるもの。

インタビューを重ねていくうちに、被害者がもっと多数いることを知る。

そして、加害者、すなわち性的虐待をしている神父も大多数いることを知る。

代わって元神父にもインタビューをしようとするが、周囲の妨害に遭い、それは叶わない。

 

 

マットは過去の神父の名鑑を漁る。

ゲーガン事件当時の名鑑の記載から、虐待疑惑のある神父も探っていくうち、

ひとつの法則を発見し、膨大な記録をひとつひとつ探ってゆく。

そうして、でてきたのは信じられない数の、疑惑神父の人数だった・・・。

マットがはじき出した人数と、外部の提供による疑惑者の人数はほぼ一致した。

 

 

リーダーのロビーは自身の人脈を駆使して真実を探ろうとする。

だが、誰もかれも、この事件には固く口を閉ざす。

教会内部の事情に詳しい弁護士は、守秘義務を主張し、

さらに「お前の身のためだ。」と、ロビーに忠告する。

 

次々と明るみに出る驚愕の事実。

ボストン教会の背後にある、ローマ・カトリック教会という強大な組織。

所属する大多数の聖職者による、少年少女への性的虐待。

その事実を隠蔽し、何事もなかったかのように罰せられることもなく、

平然と聖職者を続けている神父たち。

そしてそれが、事件が明るみになった後も恒常的に続いているという事実。

記者たちは、その事実に驚愕しつつ、

あるものは失望し、あるものは怒りを覚え、あるものは納得するまで真実を追求し、

幾多の困難を経て、ついにそれを記事にする--。

 

 

 

なかなか面白かった。

ドキュメンタリーのように、淡々と進むだけなのだが、

被害者の証言や、資料解析によって、どんどん事件が膨らんでいき、

その過程で記者たちの様子も変貌していく様がリアルだ。

終盤は、苛立ちや疲れが見えてきたり、

事件の裏をとって、いよいよ記事にする間近には、

今度は他社にスクープを取られるかもしれないという方に焦点が変わり、ナーバスになる。

 

スポットライト・チームの記者たちを含め、

局長や部長らも、それぞれ今も存命で実在する人物たち。

演じた役者さんたちは本人に直接会い、インタビューを重ね、

当時のこの事件に携わったときの様相を、忠実に演じたのだとか。

派手さのないドラマだからこそ、リアルな演技が際立つ。

 

 

この映画、主演が設けられていない。

4人の記者と、局長、真実を暴こうとする それぞれが主役のように画かれている。

スポットライト・チームのリーダー、ロビーを演じた渋いおっさん、マイケル・キートン。

名前も聞いたことある俳優だし、この顔、前に観た覚えが・・・。

・・・初代バットマンだった!

なるほど、あの眼力とクールさ、納得した。

 

 

チームの紅一点、サーシャ役のレイチェル・マクアダムス。

数年前に観た、恋とニュースの作り方で主演していた女優さん。

歳を重ねて美しさに磨きがかかったな。

  

オフィスでのシーンが多く登場するのだが、

パソコンや電話、周りの家電など、15年ほど前のそれを再現しているのが凄い。

当時、そういう環境で働いていた者として、

そうだった、当時はこんなOS使ってたわ、コピー機こんなだったわ、

ほんの十数年で、今のオフィスとガラリと変わっていることに気付かされる。

携帯電話も、もちろんスマートフォンなんて登場しない。

 

 

しかし、この映画、先に書いた報道規制問題がどうのとかでなく、

宗教論とかで考えさせられる映画でもある。

日本の熱心な仏教徒や信徒以上に、あっちは敬虔なクリスチャンが多い。

そんななかで、やはりこういう部分に斬り込むのはタブーなのだろう。

そのタブーを超えて真実を暴いた新聞社。

その事件が一過性となって、人々が話題にしなくなった頃、この映画化。

ラストに文字だけでその後を伝えるメッセージがある。

神父による少年少女への性的虐待が、ボストンだけでなく世界中の都市で発覚したこと。

当時 事件に関わった聖職者たちが、一般の性犯罪者とは異なり、

これといった法的な咎のないままだということ。

 

 

自分は無宗教である。

各宗教に興味・関心はあれど、まったく信仰心がない。

「宗教が争いの根源」なんて言うひともいるが、そういう極端な考えは持っていない。

各宗教、その教えに、ありがたい言葉も多く、人生において役立つことも事実。

その一方で、それを組織する団体、個々に、

その理念から およそかけ離れた、醜悪な実態があることも耳にするし目にする。

その辺りを、信仰心の厚い、熱心な方々はどう捉えているのかも興味がある。

本作では残念ながら、その部分はあまり画かれていない。

敬虔な信者だったサーシャの祖母が、孫の記事を読んで絶句するシーンくらい。 

 

日本でも、信者の信仰心が厚く、組織力が強く、勧誘のしつこい某団体。

ネットなどでしょっちゅう見る醜聞悪行の数々が真実なのかどうか、

あの団体にメスを入れて暴いてくれるマスコミはないだろうか?

色々云われていることが事実であるならば、あれに勝る力を持った組織もない。

 

かつて、まだ"ブログ”という言葉が一般的でなかったころ、

あるパソコン雑誌で読んだ、個人のホームページを作る(ブログを始める)にあたっての、

三大タブー(取り上げるべきでないテーマ)なるものが書かれていた。

・政治思想

・アイドル・スポーツ批評

そして、

・宗教思想

これらを題材に記事を書くと、たちまち論争になって、

当時はなかった言葉だけど、ブログが"炎上"するという注意が書かれていた。

訪問者がそんなに居るわけでもないが、

自分もこれまで10年以上ブログをやってきて、これを順守してきた。

だが、この映画の記事を書くにあたって、

どうしても宗教の裏に対する、個人的な意見を簡単にでも述べたかった。

 

最後に、敬虔なクリスチャン、いやカトリック教徒の方が、

この映画ないし、この記事を読んで不快になってしまわれたならば、お詫びします。

信者の方々にまで偏見を抱いたり、その信仰心を否定したりするものではありません。

 

アカデミー賞を受賞したことで、チラシが変更になった。

左がそれ以前のチラシで、ノミネートを大々的に謳っている。

右が受賞後、燦然と輝くトロフィーが誇らしげに!

 

 



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