先日の休み、久々に日帰り旅行。
ずっと前から行ってみたかった、山口県岩国市へ行ってきた。
山口県岩国市、はるか昔平安時代から豪族が支配し、
室町~安土桃山~江戸・・と、支配する領主が入れ替わる。
最終的に毛利元就の孫にあたる、吉川広家が関ヶ原の戦いの後、
岩国へと移封され、初代岩国藩主となる。
ただし、長州藩が岩国を支藩として認めなかったらしく、
岩国が正式に“藩”となるのは、ずっと後の大政奉還の後のこと。
特異な経歴を持つ岩国だが、
歴代吉川氏のもと、文武両道と倹約が推し進められ、
山陽道の要所であることから、大規模な干拓や産業開発が奨励されて、
岩国城下町は非常に栄える。
これで24時間戦える。
そんな歴史ある街、岩国を目指すため、
まだ外が真っ暗な朝4時に起床して出発。
栄養ドリンク一本飲み干してエネルギーチャージして夜道をドライブ。
高速道路に乗り、関門橋を渡って山口県へ―。
途中、美東サービスエリアで朝食。
山口に来たからにゃ、フグを食べなきゃ始まらない。
てんで、朝からフグの唐揚げ定食。
アンド、きつねうどん。
たぶんシロサバフグ(カナトフグ)。
フグ刺もフグちりもいいが、唐揚げも美味い。
そして朝8時半、岩国へ到着。
大きな川(錦川)にまたがる木造の大きな橋が見えてきた。
これが日本三橋として有名な、名勝・錦帯橋(きんたいきょう)だ。
そしてその錦帯橋が架かっている向こう岸の山の上に白壁の天守閣が見える。
これが周防の国のシンボル、岩国城だ。
錦帯橋。
河原にあつらえられた駐車場から。
錦川対岸から見上げた岩国城。
山の山頂付近にこじんまりとある。
錦川の広い河原に、有料駐車場が設けられていたので、
そこへ車を停めて、いざ岩国散策スタート。
日曜日だったが、まだ朝も早いので観光客はまばら。
さっそく錦帯橋を渡ることにした。
ふだんは緩やかなこの川の流れが、
ときに濁流となり、幾度となく橋を押し流したという。
岩国を蛇行しながら横断する大きな川、錦川。
城下町の西部と東部を行き交いするのに、渡し船を利用していたが、
やはり橋がないと不便。
だが、何度橋を架けても、洪水になるとすぐに壊れ流されてしまう。
三代目藩主・吉川広嘉が、清国からの帰化僧、
独立性易(どくりゅうしょうへき)から借りた書物の挿し絵を見てひらめき、
川中に石の土台(橋脚)を作り、複数の橋を連ねる形の橋を建造することにした。
どんな激しい流れにも耐えられるように、
土台からしっかりとした作りになっている。
錦帯橋の裏側(下面)。
格子状というか、幾何学模様のような複雑な作りが、
橋を強固なものにしているのだろう。
初代の錦帯橋は1673年に完成するも、翌年には無惨に流出。
だがそれにめげず、流失してしまった原因を徹底究明し、
設計し直して改良を重ねて、早くも翌年、本当に流れない橋が完成する。
この二代目錦帯橋は昭和25年に大型の台風で流出するまで、300年近く保ち、
当時の錦帯橋の構造技術が、現在の土木建築工学においても充分通用するものだったという。
昭和28年にさらに改良が加えられた、新しい錦帯橋が完成。
平成13年に半世紀経って、劣化してきた木造部分をすべて新造して架け替えられる。
今後も50年周期での架け替えが予定されているとのこと。
西側の橋の渡り口。
脇に料金所がある。
橋の通行料(往復)、 大人300円也。
錦帯橋を渡るのに通行料が要る。
大人往復で300円なのだが、
岩国城の入場料(260円)とロープウェーの往復運賃(540円)が含まれた、
フルセットのものが930円で販売されていたのでそれを購入。
さっそく橋を渡る。
タンタンと木板の心地よい音が響く。
遠目に眺めているとそうでもないけれど、
実際に渡ってみると、けっこうな起伏。
橋の裾あたりは階段状に板が敷かれているが、
中腹あたりからはフラットに敷かれている。
ちゃんと足下見ていないと、思わずつまづきそうになる。
実際に渡るとけっこう起伏が激しい。
さらにアールの上部は板がフラットだが、
下部は階段状になっており、気を付けないとつまづく。
階段状になった橋の下部。
橋脚の上に居たハトさん達。
錦帯橋を渡り終えて、いよいよ岩国城のある錦川の西側へ上陸。
まず目に付いたのが手書きのチラシ。
ポスターだかカレンダーだかの裏に、マジックでおおざっぱに書かれたチラシ。
“ロープウェーと白へび観覧所 直進5分”と書かれていた。
そうそう、岩国は世界で唯一、白ヘビ(アオダイショウのアルビノ種)が生息する場所でもある。
白蛇神社なるものがあり、白へび観覧所では、実際に飼育されている白へびを拝むこともできる。
チラシを無視して、川土手に降りた。
ちょっと見ておきたいものがいくつか点在している。
手書きのチラシ。
こういうの好きだなあ。
あとそのイラストの葉っぱ、モミジに見えませんよ。
川沿いにはたくさんのモミジにサクラ。
ちょうどモミジが紅葉していてきれいだったが、春に来れば桜できれいだろう。
岩国市の開花標準木のソメイヨシノもあった。
紅葉で真っ赤に染まったモミジ。
岩国市開花標準木(ソメイヨシノ)。
かなりの老木だった。
大きく横に伸びた立派な松の木があった。
“槍倒しの松(やりこかしのまつ)”というもので、面白いエピソードが書かれていた。
大名行列がよその藩の城下を通る際、槍を倒して通過するのが礼儀だった。
だが、岩国は藩としては最下級とみなされていて、
よその藩の武士達は槍を倒すことなく、堂々と天に突き立てたまま通過した。
それが我慢ならなかった岩国の武士達が、
わざと橋の渡り口に枝を横這いに広げた松の木を植えた。
そうすると、どうしても槍を倒さなければ通過できない。
大藩の武士達が仕方なく槍を倒す様を見て、岩国の武士たちは喜んだという。
槍倒し(こかし)の松。
横に枝を広げた立派な松の木。
槍倒しの松の先には、柳の木が数本並んでいた。
その柳にまた、面白いエピソードが書かれていた。
“巌流ゆかりの柳”。
巌流島(舟島)で宮本武蔵と決闘した剣豪、佐々木小次郎(巌流)。
その小次郎がこの柳の枝とそれに止まるツバメを相手に、
必殺剣・燕返しを編み出したのだという。
これは小説家の吉川英治が、自著の“宮本武蔵”のなかで描いた創作。
創話とはいえ、そのゆかりの地ということで、
すぐ近くには小次郎の銅像も建てられていた。
柳の木にはユーレイがつきもの。
土手の散策を終えて、いよいよ城下町の散策を開始する。
“石人形ミニ資料館”なる建物が目に入る。
事前に調べていたのだが、岩国には“石人形”という民芸品がある。
錦川の川底の石に、水棲昆虫が作った小さな小石のかたまりが無数に付いている。
そのひとつひとつが、人型に見える(ちょっと強引だと思う・・・)ため、
それを採取して、七福神に見立てて縁起物の土産品に加工したり、
城下町らしく大名行列の模型を作ったりして土産品にし、
岩国の郷土品のひとつとして古くから作られているのだとか。
その資料館、入館無料とあったので入ってみた。
“売店 馬鹿石の店”とも書かれているのが気になる。
資料館(というか販売所)にはいると、いきなりレジカウンター。
そこに居られた柔和でまったりとした品の良い口調のおじいさんが、淡々と語り出す。
「おはようございます、いらっしゃいませ。」
「いしにんぎょうは、いわくにとくさんで・・。」
「 しぜんがつくるものですので、かたちやおおきさはばらばらですが・・。」
「えんぎのいい、おまもりとしてたいへんにんきがございます・・。」
「ちいさいですから、もちはこびにもじゃまになりませんし・・。」
こっちが館内を見ている間じゅう、強弱のない一定の声色とリズムで、
定型文のような宣伝文句を淡々と語るおじいさん。
で、自分ひとりだけだったが、新たに別の客が入ってきたら、
「おはようございます、いらっしゃいませ。」
「いしにんぎょうは、いわくにとくさんで・・。」
「しぜんがつくるものですので、かたちやおおきさはばらばらですが・・。」
やっぱり淡々と、同じ文句を一から発し始めた。
石人形(昆虫の巣?)が貼り付いた川底の石の標本。
ニンギョウトビケラ。
これは成虫の姿で、幼虫のときはトンボやホタルのように水棲で、
ミノムシが木の葉や枝で蓑(みの)を作ってまとうように、
トビケラの幼虫は小石で蓑?を作ってまとうのだとか。
それが石人形の正体。
おじいさんが熱心に語り続けるので、
石人形のキーホルダーを買ってあげた。
じっくりと資料館の展示物を見て、一周してレジへ戻る。
その間、休むことなく、石人形を語り続けてくれたおじいさん。
せっかくなので、 ひとつキーホルダーを購入。
するとおじいさん、城下町のマップを取り出し鉛筆片手に、
すごく丁寧に、他の見所の史跡や、おすすめの食事処などを案内してくださった。
ありがとう、馬鹿石店の店主さん。
馬鹿石の店(石人形ミニ資料館)を後にして、城下町を歩く。
とりあえず、岩国城を目指すが、途中、吉川史料館と白ヘビ観覧所には寄りたい。
少し歩くと、佐々木小次郎の銅像が現れた。
なぜさっきの柳の木のとこに建てなかった?
やっぱり若い美少年の姿。
本当は武蔵よりもずっと年長で、決闘のとき70歳を超えていたとも。
これ刀の持ち方おかしいだろ!?とかひとりで首傾げていたが、
燕返しという技を繰り出すには、この持ち方が正しいのだとか。
FFⅥのカイエンも確か使ってたよな、燕返し。
白壁作りの屋敷が並ぶ城下町を進んでいくと、ひときわ大きな門構えの屋敷が現れる。
“吉川史料館”、岩国藩を納めていた、吉川氏ゆかりの品々が展示されているらしい。
入館料500円と、わりと高めに感じたが、展示品のなかに、尼子十勇士のひとり、
山中鹿介(やまなかしかのすけ)の兜(実物!)があるということで迷わず入った。
受付で500円支払い、展示室の扉を開く。
「暗っ!!」
なんと真っ暗。
そういう展示ブースなのかと思ったら、
「あっ!」とひと声あげて、さっきの受付のスタッフが慌ててやってきて、
展示質の扉の脇のスイッチを押す。
瞬く間に明るくなる展示室。
おい・・・照明点け忘れてんじゃねえよ!
どうやら自分が、この日最初の入館者だったようだ。
吉川史料館。
代々吉川家に伝わってきた、書物や美術品のほか、
国宝の刀や、鎧兜などが展示されている。
こういうの好きなので、これまたじっくりと見てきた。
戦の際にやり取りしている伝書など、生々しいものもありなかなか興味深かった。
吉川家が毛利氏についていた際に、山陰の大名、尼子氏と激しく争った。
最後は上月城で尼子氏は滅亡するのだが、その際に手に入れたのか?
尼子氏ゆかりの書物なども多く、
尼子氏再興を誓った家臣、山中鹿介の兜も展示されていた。
一騎当千の猛将だった鹿介だが、
尼子氏降伏後、吉川元春らに連行される途中、謀殺されてしまう。
その鹿介のレプリカではなく本物の兜が展示されていた。
吉川資料館、展示室を過ぎると中庭が見えるエントランスがあった。
そこで閲覧自由な書籍や資料のファイルなどを眺めていたら、
中庭の立派なモミジの木の下にネコが居た。
立派な日本庭園の、真っ赤に紅葉したモミジの木の下。
そんな贅沢な一頭地でネコがひなたぼっこ。
キャンタマさらけ出してリラックス。
史料館の出口脇の小部屋で、なにか個展が催されていた。
せっかくなんで覗いてみることにした。
個展の主催者はあいにく不在だったが、
どうやら判(ハンコ)職人さんの個展のようで、読めない判がたくさん展示されていた。
う~ん、三文判とシャチハタしか使わないから、オラよぐわがんね。
出口に個展には必ず置いてある、
入場者の名前と住所を綴る帳面(これ正式名称なんていうんだろ?)があったので、
せっかくなんで名前を書いていこうと思い、脇にあった筆ペンを手に取る。
書こうとした瞬間、筆ペンを持った手が止まる。
「こ・・これは、なんちゅう達筆!」
直前に記名した人がものすごい達筆。
うわー、こういう人の後は書きづらいわ~とか思いながら、
ページをペラペラやってみると・・・どれもこれも達筆!
誰ひとりとしてヘタなひと、いや普通のひとすら居ない!
こ・・これは・・・そうか!
ハンコの個展を見に来るひとといえば・・・書道家!
そういうことか・・・わしは場違いだったというわけだ。
とはいえ、このわしとて書道四段まで行った男じゃ!
昔取った杵柄を見せてやるっ!
そう言って超達筆な方の隣の欄に、筆ペンを走らせる。
うーん、われながら上手く書けた。
ここ数年で一番上手く書けたわ。
これならば他の記名者にひけを取らな・・・いやぜんぜんレベルがダンチですけどね。
吉川史料館を出て、歩を進める。
城下町を縦に流れるお堀沿いに菖蒲園。
もうショウブは跡形もない季節だが、シーズンに訪れれば、
見事なハナショウブの群生が観られるのだろう。
岩国徴古館の入口。
どっしりとしたコンクリート作り。
その名前も相まってちょっと物々しい。
少し進むと、コンクリート造りで近代のものではあるが、古びた立派な建物が現れた。
“岩国徴古館(いわくにちょうこかん)”と書かれた看板。
敷地内には見事な牡丹園が整備されていて、
ここもまた初春に訪れれば、咲き誇る牡丹でさぞきれいだろう。
この徴古館、どういう建物なのかよく解らなかったが、
ここもまた岩国の歴史資料などが展示されているようで、
入館料もタダだったので、入ってみることにした。
岩国の歴史資料や美術品が展示されていた。
錦帯橋や岩国城の歴史資料や模型もあり、なかなか面白かった。
よく解らない芸術家というか仙人というか、
やけに怪しい風貌のジイさんふたりの、
作品展みたいなのも催されていたので、ついでに観覧。
書から陶芸からなんでもありだ。
で、それを見終わると、「よかったら、お茶いかがですか?」
和装のおばさまから、お茶を勧められる。
吉川家の家紋入りの落雁をいただき、立てたての抹茶をいただく。
城下町でお茶を味わう。
なんと風情のあるものよ。
徴古館を出て、またお堀沿いの道を進んでいく。
途中、ハクチョウ?が居たりしてなごやかな雰囲気。
山には散策路が設けられていて、その山の散策路を進んでみた。
このとき、岩国城へと登るロープウェイや、白ヘビ観覧所から遠ざかっていた。
が、なんとなく山歩きがしたくなって、そのまま林を進む。
ハクチョウ?
一匹だけ優雅に泳いでいた。
“木漏れ日のアプローズ”ってまだやってんのかな?
舗装されたりしているわけではないが、 歩きやすい散策路。
落ち葉や木の実を踏みしめながら、晩秋の山歩きを楽しむ。
見上げると、ヒノキやモウソウダケの間から心地いい木漏れ日。
山肌の露出した箇所を見ると、石灰岩とおぼしき岩がのぞいている。
岩国の地名の由来はこの山の岩から来ているとか。
岩国城の石垣も、山の石切場から採取されたものが使用されている。
石灰岩とおぼしき岩肌。
川を渡って木立を抜けて。
岩国散策・・・長くなるので、二回に分けて記事にしようと思う。
後半は岩国城と白へび。
「次回は、いよいよロープウェーに乗り、岩国城へ到着します。」
ナレーション:石丸謙二郎
音楽:溝口肇
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