「自分を犠牲にしてでも他人に尽くす」
そうでなければならない、それが人として正しい、と考えていたのです。
しかしその思考は自分の生命をどんどん枯渇していきました。
栄養失調になったり、情緒不安定の日々を過ごしていきました。
自分の波長が落ちるほど、事故を起こしたり、モノを盗まれたり、悪いことに巻き込まれていきました( ̄∇ ̄)
このままでは生きていけない。もっと生きたい!もっと楽しく生きたい!!という自分の本来の魂の叫びを感じた時に
「まず自分を大事にしよう」と考えが変わっていったのです。
ここからが、僕の第二の人生のスタートとなりました。
当たり前のようで、実は自己犠牲の洗脳で生きてきた人には意外と難しいのですよね。
特に日本人はそれが美徳と考えたりもしますよね。
(自己犠牲の全てを否定している訳ではありません)
強い決意も必要だった。
今ある環境を全て捨てて、ギター一本持って再上京したのです。
他人の目よりも、自分の心を大事にしていきました。
思いっきり好きなことをやって、自分を思いっきり満たすことをしました。
ありのままに溢れる自分の感情を大事にしようと。
幸せというものを沢山感じようと。
それは他人に奉仕しないとか、自分勝手とか、そういう次元の考えではないのです。
自分が満たされていくと、知らずうちに他人も満たされていくんだよね。
不思議だね。
他人にも優しくできるよ。
ありのままの自分を愛していくと、自分がどんどん輝いていくよ。
お肌も綺麗になるよ 笑笑
その輝きは、そのひかりは、波紋のようにどんどん広がっていくよ。
周りの人もどんどん変わってひかり輝いていくよ。
知らず内に皆が無償で何かを与えている。
知らず内に循環していく
利他の愛とはその循環の中から自然に溢れ出る言葉のように感じます
それが新しい夜明けの時代のようにも思います
僕の音楽活動でいうと、路上行脚の日々にも繋がっていきました。
大きいホールとかで歌えたら、それはそれで幸せだけど、そうじゃなくてもね。
毎日路上に立って好きな歌を歌える喜び、そしてたった一人立ち止まって下さるお客様に歌える嬉しさ。
どこにだって小さな幸せってあるんだよね。
もっと言えば自分の一番近くに隠れていたんだよね。
僕の目がずっと遠くを見てたから気付かなかったんだよね。
自分を満たそうとすることで
全てが変わりました☆
そして、本当の奉仕も意味も知っていくのです。
幸せの初めの一歩は、自分を満たしてあげること。
自分の想いを自分で汲み取って、自分で叶えてあげること。
最初は少々、自己中と言われる位でもいいと思っているんです。
確かにそこがスタートラインだった☆
溢れ出る涙を止めないで
ありのままの空が広がっていくまで
今日はこの曲の気分かな☆
聞いてみてね^_^↓
またね☆