開かれし扉が前にすすみ出で見上げる堂のいま翔ぶがごと
高野座主大僧正なる蜜雄師の九十にして書きしこの額
堂奥の壁に画かれし大日の仏のいろのやさしかりけり
画像二枚目左端に立つは木村武山が孫に当たる木村明正氏なり
武山は明治九年箱田の旧笠間藩士木村信義・春の長男として生まれたり
笠間小学校を卒業すれば東京の開成中学校に入りぬ
中学二年を終えたる明治二十五年東京美術学校日本画科に入学す
同二十九年卒業するや橋本雅邦の門に入り狩野派の奥義を学ぶ
同三十九年に岡倉天心 横山大観ら日本美術院重鎮と共に茨城県北端は五浦海岸に移りたる
文展に阿房却火(あぼうごうか)孔雀明王(くじゃくみょうおう)などを出品し入賞を重ね日本画家の地位を築きたる
武山は「仏画の武山」と称されたる
高野山金堂壁画を初め晩年にはこの大日堂が壁画に情熱を捧げぬ
昭和十二年に脳溢血で倒れたる後も左手で描き続けるも天井画四枚の完成を見ずに昭和十七年逝去す 享年六十七歳なり
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