世の中 判断が 欠落しているように思う
タニシも コタニシに対して 平手打ちも した事はある
今なら 虐待と言われるだろう・・
だが 意味の無い 体罰などした事は ない
幼児と言えど 食べ物を投げたり した時に
食を粗末にするな!と 言う意味で 平手打ちをした事がある
コタニシは泣く事は無く
自分自身に 出来ない 悔し泣きの時は カーテンの中で 泣いた事がある
次男も 泣いた事は 殆ど皆無に等しい
コミニュケーション能力が あった兄弟は めったに泣かなかったし
姑に虐められて いつも 泣いてるか 無表情のタニシを見ていたからだと思う
虐待とは 自分の怒りを 躾と言い換えて やるから 子供には通じない
体罰とは 殴られた子供以上に 親も苦しむものだ
それは 我が子の 痛み 苦しみを感じるからだ
だから どんなに 腹が立とうとも 必ず 相手が怪我をしない程度に
叩く場所を考え 力も抜いているものだ・・・
だが 今の親は 虐待をするから 死んでしまうのだ
大体 兄弟姉妹が少ない中で 兄弟喧嘩も知らずに育つ
我儘に 相手の痛みも経験しないで 過保護に育つ
なのに 小姑のように 言葉の暴力をし 相手の痛みも分からず苛めをする
それは 社会に出ても 変わらない
暴力は 良くない・・・だが・・・
暴力に見えても 仕方ない事もある
仕事の出来ない新人 やる気のない新人を たとえば 殴ったと しよう・・
責任とかして 仕事ができ 実力のある上司を 辞職 辞めさせれば すむのか?
残った 出来損ないの 社員はどうなる?
そんな クズを沢山残しても 日本の未来は 暗い・・
昔から 「出る杭は打たれる」と言うが
出る杭とは 結局 仕事のできる人では ないのか?
妬まれて 周りによってたかって 打たれて 駄目になるのでは?
そんな事ばかりして 優秀な存在を 潰してばかりいたら
ただ 言いなりの 出来る人間ロボットしか 残らないのでは?
暴力は 決して 賛成できないが 優しいだけでは 意味がないと思う